見出し画像

ホットドックを食べながら

娘と同じころ・・・熱が出ると母が働いていたのでおばあちゃんに看病してもらった。食欲はないのに、なぜかいつもおばあちゃんのやきそばが食べたくなる。おばあちゃんの焼きそばはそぼろのお肉と卵入りでとても美味しかった。母が夕方に仕事から帰ってくると、いつのまにか着物姿のおばあちゃんは新橋のお店へいく。おばあちゃんは新橋でひさしという母の名前のついたお店をしていた。肺を患い先立ったおじいちゃんに残されたお店をして、3人の子どもたちを育てた。その後、はやみさんに任せることにしたひさしは、はやみという店名に変え、新橋駅前のビル計画がはじまり、そのビルの中でしばらく開いていたがもう閉店してしまった。

私が肺炎で入院したときは、病院食は拒否して(笑)金町は喜泉病院の前にあった中華やさんで、母にやきそばを買ってきてもらった。おばあちゃんの味とは違ったけれど、カーテンをしめて毎日こっそり食べた。仕事帰り、遠いのに毎夜きてくれる母とやきそばを食べるのが入院中の楽しみだった。

大好きだったおばあちゃんはもういない。私が20歳を迎える前日にドラマティックに亡くなった。母は何度か手術をし、痩せてドライフラワーみたいだけど、見事に回復してとても長持ちしてくれている。すごく嬉しい。

そして今。高熱でお腹も痛いよ〜と言いながら病気の時にはいつも、ホットドック食べたい。ママの作ってくれるのがいい。という娘の看病をしながら・・・ふと、小さな窓から見える広くてどんよりした空を眺めていたらそんな昔のことが脳裏に浮かんできた。同時に、いつも不安に思っていた母といつかくるであろうお別れの日のことも。

とても悲しい気持ちになる。

娘と同じころ・・・私の家族は母と祖母と3人だった。誰かのお葬式に連れられて参列するたびに、喪主と呼ばれている役割の人を見ながら母の時は私がそれをすることになるのだろう、と想像し孤独と恐怖を感じたものだ。キョウダイがいたら良かったのになぁと思った。そこにいる人たちは真黒の服を着ていて泣いている人もいて悲しそうだ。母やおばあちゃんとのお別れは、とても悲しいものだろう。想像するだけでぞっとした。

その予想通り、おばあちゃんとのお別れの日はとてもとても辛かった。

だれかとバイバイまたね!とお別れをするとき、家族にいってらしゃい!と言うとき、後ろ姿を見守りながらもしかするともう会えないかもしれないなと思ったりする。

だから私は感謝する。
母がいてくれること、いただいた命に、すべてに、この家の小さな窓から見えるどんより空にも。私のように孤独な子どもは可哀想だと思っていた私は、結婚も子どもも選択をしないつもりで生きてきた。それでもある日、私の元にきてくれた娘の存在に。今の家族に。

そして、いつかみんなとお別れする。その日がくるまで後悔しないよう、感謝と、できるだけ楽しく今を生きよう!そう思っている。悲しいことも嬉しいこともすべてが生きているってこと。

生まれてきてくれてありがとう

生んでくれてありがとう

すべての命に、ありがとう

そんな午後でした❤佐鳴台にて娘5年生ある日の看病日記


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?