プロフェッショナルの陳腐化
昨日高校生に
「自分の興味や関心がないことでも話を聞くべきですか?」
と質問された。
私も過去にこの疑問を持ったことがある。
昨日その質問に回答することて、改めて自分も納得できたし、興味や関心のないことでも話を聞こうと思った。
その質問に対する私なりの回答をここに書いておこうと思います。
「あなたは何ができますか?」
できること、言い換えればプロフェッショナルを求められる場面は多いと思います。
でもプロフェッショナルだけいいのでしょうか?
プロフェッショナルは必要条件ではあると思います。
けれど、十分条件となり得るのでしょうか。
プロフェッショナルが陳腐化する瞬間
私はプロフェッショナルとは付加価値を与えて価値を高めることだと思うのです。
営業のプロなら、トークやヒアリングという付加価値を与える。
エンジニアのプロなら、形にするという付加価値を与える。
プレゼンのプロなら、伝わる表現という付加価値を与える。
何かしらの付加価値を与えられることがプロだと思うのです。
でもそんなプロフェッショナルでも陳腐化する瞬間があると思います。
それは、できることにフォーカスした結果、一部分には詳しいけれど、それ以外は素人以下になってしまうということです。
比較できるからこそプロフェッショナルと言える
形にするプロ、営業のプロ、伝えるプロ
どれもすごいです。どれも必要です。
でもこれって、比較できるからこそ価値を感じられるのではないでしょうか。
形にするプロがいても売れなければ意味がない。
売れるものでも形にできなければ意味がない。
プロはプロだけでは成り立つことができないと思うのです。
形にするプロ、売るプロの相互理解があってはじめて双方に価値がある。
そう考えると、情報というのも点でとらえるのではなく、いろいろな分野の情報を収集することで、それらが線でつながり、一つ一つの価値と全体像が見えてくる。
一つのことで尖ることは大切だけど、それだけでは足りない。
わかりやすいのは、今回の新型コロナウイルスによる世界的な経済の停滞でしょう。
就活生としては、この経済の停滞が雇用問題や採用数減少までにつながる将来が考えられるので他人事ではありません。
これはあくまで一例ですが、高校の文理選択のように社会の構造は明確に分けられていることはあまりなく、むしろ複雑につながっているので、興味のないことでも話を聞いてみるのはよいかなと思います。
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