どうにもならないこと。だけど、

今日のnoteは愚痴に聞こえるかもしれません。
先に謝っておきます。
気分を害した方、すみません。

就職活動の採用フローでほぼ必ずあるのがエントリーシート(ES)。

ネット上には”内定者のES”という名で選考に通過した学生のESが転がっている。

しかも、選考に通過したESを提出すれば謝礼がもらえるらしい。

ちょっと覗いてみた。”内定者のES”というものやらを。

「私の強みは◯◯です。私は大学3年生のときにサークル長を務めていました。・・・。」

「私は大学生時代にアルバイト先の売上増加に貢献しました。・・・・。」

ぞわっ。とした。鳥肌が立った。

内容は違うけれどテンプレ化された文章構成。

なぜ企業は差別化差別化と謳うにもかかわらず学生には画一化された文章構成を求めるのだろうか。

「いやいや、こっちは何万枚というESを捌いているんだからそこは配慮してよ。パッとみて印象に残るように、読み手に配慮した文章を作ることがここ(ES)では求められているのだから。そういうどうにもならないことは言わないでください。」

そういう声が多くの企業の採用担当者から聞こえてきそうだ。

確かにそうだと思います。この大量エントリーが当たり前となってしまった時代、読み手に配慮した文章構成はもちろん大切だと思う。

内定のためにとりあえずたくさんエントリーしておこうと思う学生がいても無理はない。

でも、今のままで、本当にそれでいいのだろうか。

2020年度から小学校が英語を科目として導入したり、プログラミング教育を導入したりと教育はそのあり方を変えようとしている。

プログラミング教育に関して言えば、2021年度からは中学校、2022年度からは高校でもカリキュラムが改訂される。

ここまで来るのに時間がかかったのは事実だけれど、確かに教育業界は少しずつ変わろうとしている。

なのに、就職市場は依然として画一化された大量のESをスクリーニングにかけている。

就活生も馬鹿じゃないから、このテンプレ化された就活をまるでゲームを攻略するかのように、就活セミナーに足繁く通っているのが現状。


就活もまた、義務教育のときと同じように画一化されたシステムになっている。

それでも、会社に入ってから求められるのはおそらく

差別化、差別化、差別化。

これでどうやって差別化するのだろうか。

ダイバーシティを謳っている会社は多いのに就活は画一化されたまま。多様性を発揮する機会すら用意されていない。


ちなみにこれ⬆️は4年前の文科省の中央教育審議会が発表した文書。

「え????もう4年も立ってる。」

”個人の能力と可能性を開花させ”という文言。

”養成すべき人材象”は書かれているけど、その潜在的な可能性を発揮する機会が就職活動にあるのだろうか。

全くないとは言いません。でもベストとは言えないし、ベターとも言えないのではないでしょうか。

社会と断絶された教育は社長の鞄持ちをしているときに、高校生の大学選びの現状を知るようになってものすごく感じた。

教育と断絶された社会の構造が就職市場でも浮き彫りになっているのではないだろうか。

教育と社会がともに手を取り合い、同じ山に向かって歩み始めなければ、また同じ問題が起きてしまう。

そんなことを考えながら、結局自分一人ではどうにもできない就活市場。

結局マクロ環境には抗えない私は、鳥肌を立てながら”内定者のES”を眺めるしかないのだ。

でも、この今の現状に対する危機感?、疑問?を一人でも多くの人に発信したい、共有したい、

そう思って今日はこんなnoteを書きました。

みなさんはどう思われますか?

やっぱり私の考えがおかしいのかな?

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