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デマ情報とわかっていてもトイレットペーパーを買い占めるのはなぜなのか?

ここ最近で一番驚いたニュース。

昨日から今日ににかけて日本各地でトイレットペーパーの買い占め騒動が起きたらしいのです。

じゃあなんで買い占めが起きたかというと、実はネットで拡散されたデマ情報が原因だったらしいのです。

しかもこの騒動のさらに驚くべきことが、買い占めをした人たちは拡散された情報がデマ情報であると知っている上でトイレットペーパーを買いに来たというのです。

たしかに、この不安定な状況で何を信じればいいのかわからなくなってきているなとは思う。

でもだとしても、デマ情報と知ってても行動してしまうのはなぜなのだろうか。

物事を独立した事象として捉えてはいけない

なぜこんなことが起きてしまったのかと考えたとき、

まずトイレットペーパーの買い占めをした人の多くがこのデマ情報を単独でしか見ていなかったのではないだろうか。

「中国でトイレットペーパーの工場が止まった」 → 日本でもそうなる

一旦冷静になるとこれってめちゃくちゃ短絡的な考え方だと思うんです。

なぜならこの情報って日本にあるトイレットペーパーが中国製という前提での情報になっているし、そもそも中国の工場と日本の工場で原料の輸入先が同じという前提になっている。

冷静になって考えると「???」と疑問が生じるのにそんな疑問を上回るレベルでデマ情報を鵜呑みにするしかない状態になるまで人は追い込まれているのだろうか。

そうとも言えるかもしれないけど、それだけじゃない気がする。

普段の情報収集の在り方が問われるきっかけとなったのがこの騒動なのかもしれない。

情報の質は”発信者の信頼性+普段の情報収集の網羅性”で決まる

情報の質とはその情報がもつ確実性のこと。

根拠に基づく情報であるかということ。(もちろん、根拠となるものの確からしさも重要になる)

情報の質が高い = 確実性が高い、根拠に基づいている

私は今回の騒動から情報の質が

①情報発信者の信頼性

②自分の普段の情報収集の網羅性

のこの二軸で決まると思った。

①情報発信者の信頼性

これは以前にnoteでも書いたことだけれど、今は情報が溢れすぎている分、何を言うかというよりも誰が言ったかの方が大事になってきている。

つまり、”情報を発信した人に信頼性があるか”ということが大事になってくる。

自分に置き換えると、信頼性がない発信者になると自分が発信する情報に価値がなくなることにもつながる。

②自分の普段の情報収集の網羅性

一部の情報やいわゆる”バズっている”情報だけだとその情報に流されてしまう可能性が高いと思う。

今回だと、マスクの原料とトイレットペーパーの原料が違うと言う知識、日本のトイレットペーパーのほとんどが日本製であると言う事実、というように自分の持っている知識に網羅性があれば、デマ情報を鵜呑みにする前に情報を疑うことができたり、これは間違った情報だと認識できたのかもしれない。

ただ今回の場合、不安が不安を誘ったということも言えるかもしれない。

普段の情報収集の網羅性が情報を見極めることに役立ち、不安な状況のときにその網羅性が露呈される。

そういう意味では新聞は情報発信者の信頼性と情報の網羅性が両方備わっているから情報収集手段の一つとして最適なメディアな気がしてきた🤔

そうは言っても不安に影響されるのが人間なので、新聞を読んで不安の原因を一つひとつ排除していこう。

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