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「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第二話

「そっ、その三つの道、教えて下さい」

すでに会社の窓際族と言ってもいい立場となっている吾朗は、先ほどまでのタメ口を改め、神妙な口調で佳乃子に聞いた。

「一つ目は、このまま我慢して年下の上司に嫌われながら仕事をする。二つ目は、その上司に媚びて従順な下僕になる。そして最後三つ目は、現状からの脱出計画を考える・・・、以上よ」

「最後、三つ目の脱出計画って、なんだがドラマや映画みたいだけど、ちょっと憧れるなぁ~」

そう言った吾朗は、はるか遠くを見つめるような眼差しで、煙草のけむりを吐き出した。

「アイデアなら、『これでもか~』って、いうくらいに出してあげればいいんじゃない?その若い上司に・・・。ただ、その若い上司の性格次第では、今さら何をしてもムダかもしれないけどね」

「何をしてもムダか・・・。それを言うなら、上司云々より、まずオレに原因があるかもね。すでに失敗者の烙印を押されているから・・・」

「まあ、何かしでかしたの?」

そう聞いた佳乃子に対して、吾朗は、自分の妻にも伝えていない、かつて社内で巻き起こった騒動のことを思い出しながら、その顛末を話し始めた。

今から三年前、吾朗は都内でも比較的規模の大きな支店で営業担当次長をしていた。そして、支店内に五つある営業課に属する合計七十名ほどの社員全員を統括していたのである。当時、上半期の支店業績が、都内の支店でもトップとなる結果を残したことから、社員への慰労として、吾朗は十月初旬から営業課ごとに日程を分けて、宴席を用意したのだった。そして不運な出来事は、支店内で最も業績に貢献した営業第一課の慰労会に参加した時のことだった。一次会で雰囲気が盛り上がったことから、自然な流れで、吾朗が十名ほどの部下を連れて二次会へと、カラオケボックスに入った後に、その騒動が発生した。

それは、ひと通り全員がカラオケを歌い終わり、吾朗がマイクを握って広東語のラブソングを歌っていた最中のことだった。吾朗の隣に座っていた女性社員が歌の途中で突然泣き出してしまい、部屋を飛び出したのである。その女性社員は、本社の海外企画部に所属しており、今回は特別ゲストとして招待されていたのだった。というのも、吾朗の支店が好業績で終わることができた大きな要因は、大手精密機械メーカーの海外向け新規輸出案件を彼女が紹介してくれたことにある。この騒動の後で吾朗が聞いた話しでは、その女性社員は、日本生まれのカナダ育ちで、都内の有名私立大学に帰国子女として入学した後、新卒採用で入社した二年目社員とのことであった。

カラオケボックスの部屋を飛び出した彼女の後を、他の女性社員が追いかけて、一階ロビーにある椅子に並んで座りながら、落ち着くまで様子を見守っていたが、結局のところ、彼女の涙と部屋を出た理由は、聞くことができなかった。後日、他の女性社員から聞いた話では、吾朗が歌っていた広東語のラブソングや、交わした会話が原因となって、彼女の抑えていた感情が噴き出してしまったのではないか・・・、という事であった。

当時の吾朗は、かなり酔っていたものの、後で思い返せば、彼女が、マイクを握って歌う吾朗のほうを、凝視するように見つめていたのは確かだった。

やがて、この騒動は部内で静かな噂となり、あらぬ尾ひれが付いた内容で支店、そして本社へと広まってしまったのである。つまり、カラオケボックスの部屋で、吾朗が隣に座る彼女の体を触ったというセクハラ疑惑や、不倫疑惑である。もちろん、吾朗には全く身に覚えのないフェイク情報であったため、会社側には出来るかぎりの説明を繰り返したが、客観的証拠が無かったことから、この件はグレーなままで、うやむやに処理された。

そして、騒動の日以降、一ケ月ほど有給休暇をとっていた彼女は、会社側に当時の詳細を話すことなく辞めてしまったのである。一方、吾朗のほうは、その数か月後に、都内の子会社へと出向になってしまった。とはいえ、出向先での吾朗は、気を取り直して真面目に仕事をしてきたこともあってか、一年半前に、本社総務部の研修担当次長として子会社からの復帰を果たしたのではあるが、今年四月の人事異動で部長職へと昇格することができず、役職定年に伴い、平社員として本社営業企画部に配属されたのだった。

「そんなことがあったの・・・」

佳乃子は、そう言うと、吾朗のグラスを手にして、二杯目の水割りを作り始めた。

「不名誉な噂だから、今まで言えなかったけどね」

苦笑いをしながら、そう言った吾朗は新しい煙草を取り出すと、自分のライターで、みずから火を点けた。

「まあ、ハンサムな綾島くんだから、モテるのは分かるけど、セクハラや不倫疑惑だなんて・・・、運が悪かったのかな」

そんな佳乃子の言葉通り、吾朗は学生時代から女性にはモテた。映画俳優並みに整ったルックスとスタイル、そして、何事にも前向きで真面目な性格は、常に他の男性から羨望と嫉妬の入り混じった眼差しが向けられていたのだった。そのせいもあってか、吾朗はこれまで、心から信頼できる同性の友人が一人もいなかったのである。逆に、その反動で女性に対しては、恋愛感情を抜きにして、男性と同じような接し方をするのが習慣化していた。そんな自分の言動が女性の心理に影響を与えているのは承知していた吾朗だが、三十歳近く年齢が離れている女性社員から好意を持たれたとは、今でも全く思っていない。

「その彼女って、綾島くんに好意を持ったというより、もっと他に、何か理由があったんじゃない?」

そう言って佳乃子は、二杯目の水割りを吾朗の前に差し出した。

「他に理由?特にないと思うけど・・・」

「その彼女・・・、歳は、いくつだったの?」

「確か、二十四、五歳だったな」

「結構、若いじゃない。まだ子供って感じがするけど、綾島くんの口がすべって、何か変なことでも言ったんじゃない?」

「確かに、子供といえば子供かな。それと、オレの口がすべってだって?ん?待てよ・・・、もしかして・・・」

吾朗は、何かを思いついたように、そう言うと、飲もうと手にしたグラスを口元で止めた。

「どうかした?」

何かを思いつめたように、グラスを口元で止めていた吾朗を見ながら、カウンター越しに佳乃子が言った。

「えっ?いや、なんでもない」

そう返事した吾朗は、平静を装ってグラスを傾けると、少し多めに口の中へ水割りを含ませながら、かつてカラオケボックスの部屋を急に出ていった彼女の名前を思い出していた。

「確か、若山亜矢子だったな・・・」

吾朗は心の中で、そうつぶやくと、急にハッとした表情で、水割りをゴクリと飲み込んだ。

「綾島くんって、これまでに付き合った彼女、何人いるの?」

佳乃子は、吾朗が急に顔色を変えたことから、そのワケを聞き出そうと思ったのか、興味津々のような眼をして女性関係の質問を投げてきた。

「そんな~、何人もいないよ。ひとり、ふたり・・・、かな」

「そう?ちょっと、勿体ないかもね。その顔と性格でひとり、ふたりなんて・・・」

「ぷっ」

佳乃子の言葉に、吾朗は、飲みかけた水割りを噴き出しそうになった。

「じゃ~、私が、綾島くんの彼女になってあげようかな~」

「ゴホッ」

今度は、気管に水割りが入ってしまい、むせるように咳をした吾朗だが、同時に、自分が過去に消し去っていた記憶をフラッシュバックさせていた。

「そういえば、あの時も、そんな風に言われたな・・・」

おしぼりを口元に当てながら、心の中でそうつぶやいた吾朗は、入社して数年後の若かりし頃に経験した、遠い記憶を思い起こしていた。

今から二十八年ほど前。

当時、吾朗は社内の海外研修員制度に応募し、その選抜試験をクリアしたことから、香港にある現地法人への赴任を命じられた。それは、吾朗が二十五歳となった十月の人事異動であった。

やがて、二年間にわたる香港での業務研修を終えて、吾朗が東京へ帰任する前日、その記憶に残る出来事は起きたのだった。

九龍側のウォータールー・ロードに、英国ではフラットと呼ばれるマンションを借りていた吾朗は、帰国の三日前にフラットを引き払い、香港島側にあるヒルトンホテルに宿泊していた。そして、香港で過ごす最後の日、新たに次の二年間を香港で過ごす新任の業務研修員に対して、最後の引き継ぎを終えた吾朗は、午後六時に予約しているタイ料理の老舗、黄珍珍(ウォンチンチン)レストランへと急いでいた。そして、吾朗がレストランに到着した時はすでに、腕時計の針は、午後六時から十分以上が過ぎていたのだった。

「ごめんない、最後の引き継ぎに時間がかかって、しかも途中、渋滞に巻き込まれちゃって・・・」

会社があるチムサーチョイ・イーストから、レストランのある九龍城まで、吾朗はタクシーを使っていた。通常であれば、十分ほどで到着するのだが、平日の夕刻、激しい渋滞に巻き込まれたため、到着に二十分以上かかってしまったのである。

「大丈夫よ。私も、さっき来たばかりだから」

そう言ったのは、吾朗と同じ香港の現地法人で、総務部に勤務している若山十和子である。

吾朗は、香港に赴任後一年間、平日の午前中は、広東語の語学教室に通っていた。そして、それ以外の時間は、できるだけ早く語学を習得させるため、会社側が業務として総務部の十和子に、吾朗の広東語指導役を任せていたのだった。

そんな十和子は、小学生でも低学年の頃、大手総合商社に勤務する父親の海外赴任に伴い、家族揃って香港に住み始めたのだった。当初は日本人学校に通っていた十和子だったが、十和子自身の希望により、中学校からは現地校に入学したのである。やがて、香港人並みの語学力を身につけ、高校生となったある日、父親の本社転勤が決まったことから、家族揃って日本へ帰国することになったのである。しかし、十和子は引き続き、親しくしていた香港の友人宅にホームステイする形で、一人この地に残る選択をしたのだった。やがて、カナダのバンクーバーにある名門大学へ留学した十和子はMBAを取得し、大学卒業後は香港へ戻って、帝国通運の香港現地法人に現地採用で入社したのだった。

「二年間、お疲れ様でした。それにしても、綾島くんの広東語、すごく上手になったわね」

メニューを手に、吾朗が広東語でオーダーをした後、十和子が目を細めながら言った。

「若山さんのおかげです。これまで、いろいろ有難うございました」

そして吾朗は、正面に座る十和子を見つめた。

スレンダーな体型ながら、ふっくら色白で整った十和子の顔立ちは、いかにも和服が似合いそうな大和撫子といった雰囲気を醸し出している。しかし、そういった柔和な外見からは微塵も感じられないほどに十和子は、香港とカナダを渡り歩いただけの男勝りな度胸を持っていた。また、既に三十歳を過ぎた既婚者ではあるが、未だ子供がいないせいもあってか、実際の年齢よりも、五歳以上は若く見える。

「今日は帰国の前日なのに、付き合ってくれて、ありがとうね」

タイミングよくテーブルに運ばれて来た、フィリピン産サンミゲールの生ビールジョッキを持って十和子が言うと、吾朗も同じように、ジョッキを手にして乾杯した。

第二話 おわり


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