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「パリピ孔明」に関する一考察。

このアニメは、渋谷という日本の中でも最先端の若者文化が開花している街を舞台に物語が展開する内容であるが、筆者はこの「パリピ孔明」ファンである。

そもそも、なぜ「パリピ孔明」に惹かれるのだろうか?自問自答してみた。

その理由は、二つあるような気がする。そのひとつが、夜のクラブに光を当てている点である。

夜の世界で生計を立てる人々については、自著の「東京恋物語」で新宿歌舞伎町のホストクラブを舞台に、その生き様について一部ではあるが、描いたつもりである。そこには、とかく敬遠されがちな世界にも、独自の哲学を貫いて仕事をしている人々が少なからず存在することを知って欲しいという願いがあった。派手でチャランポランに見える世界であっても、経営者はもちろん、末端で働く従業員においても、お客様や仕事仲間対して真摯に向かい合い、夢に向かって生きる人物は存在する。実際、筆者はそういった人々に出逢っている。

翻って、渋谷の道玄坂やセンター街でも同様に、大きな夢に向かって人生を切り開いている群像は存在すると思いたい。そんな筆者の期待を見事に描いてくれてた作品が「パリピ孔明」なのである。

そして、もうひとつの理由は、アニメで登場する孔明が「善なる軍師」として描かれている点である。戦いの計略には、相手を倒せばそれでいいという結果のみを追求する考え方が存在する。ある意味で、三国志演義で描かれている諸葛亮孔明は、勧善懲悪を好む大衆に迎合されるべく作り上げられた人物像なのかもしれない。当然ながら、命をかけた戦いの中で相手にかける情は、自分の命を失うことになりかねない。

しかし、このアニメでは、戦いを通じでウィン・ウインを目指す精神が宿っているように感じるのである。つまり、相手を徹底的に潰しにかかるのではなく、計略の中に敗者への愛を感じるのである。なぜ負けたのか・・・、その理由を相手に再考させる懐の広さには感動を覚える。

現代の実社会においても、それぞれの民草が自分なりの一隅を照らす役割に懸命となって取り組めば、「天下泰平」という地球規模での大きな夢へと進めることができるのではないだろうか・・・、そんな期待感を醸成するようなアニメである。

ちょっと大げさかもしれないが(笑)



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