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リリック with エッセイ

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オリジナルのリリックにエッセイを添えて・・・。
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#エッセイ

恋は、人を強くする。

いくつになっても、恋心・・・。生きていれば、いろんなことに遭遇するものです。辛く厳しい試練がある一方で、すべてがバラ色に染まって見える恋もある。何歳になっても、もちろん未婚・既婚例外なく、人間である以上は恋心ってあるのではないでしょうか。もちろん、一線を越えるかどうかは別ですよ。まずは、恋できる純粋な気持ちで、そして大きなことは期待せずに日々の瞬間を丁寧に生きる姿勢で、そんな人には、思いがけず・・・恋って現れるものかもしれません。 「スウィート・マジック」 曇り空から 太

この世の終りについて考える。

健康も、お金も・・・失くしたとき、そのありがたさを実感する。そんなことの繰り返しをしながら、わたしたち人間はこの世界で学びを続けているのでしょうか。その一方で、真面目に頑張っている人が、悪意ある人に騙されて身ぐるみはがされることも・・・そんなことは、どの国においても昔から繰り返されています。国どうしだって、同じことでしょう。この学び、当面は国も個人も、いつまで続ければいいのか見えない状況です。正直者がバカをみる、それも何らかの学びを必要としているからかもしれません。惑わせる地

人生ドラマ

人生の主導権、操縦桿。それを握るのは、まぎれもなくあなた自身です。もちろん自分そのものは変えることはできません。でも、役柄を変えることや行動を変えることは、振れ幅は多少あっても可能ではないでしょうか?このままの人生でいいのか、このままだとこのままの人生だな~、なんて思ったら、何か変化を起こしてみる。そんな思考も、たまにはいいかもしれませんね。 「人生ドラマ」 リアルな芝居に疲れたら ストーリーを変えればいい むかし あなたは そう言った 主役のわたしに できること セリフ

親思う心にまさる、親心。

お互いに愛をかけあう「あいよかけよ」。親が子を思う心は、ときに子にとっては重荷になるものです。親が過保護に甘やかすこと、逆に思い通りに子供を支配すること・・・それが愛だと思い込んで、やたら指示を出す。子にとっては迷惑この上ないことが、最近の子育てには多く見受けられるようです。親のエゴとも言えるでしょう。本当の愛とは何か?それを、親も子も学ぶ必要がある・・・それが現代なのかもしれません。 「あいよかけよ」 前を歩く あなたの背中 大きく見える ただ 旅立ちを 見つめてるだけ

えにしいまを生きて

この世に生まれ来た、いのち。えにしあって、その親の元で生まれ育ち、えにしあって、その街で生きる。良いも悪いも、この世に生きる自分の価値基準での判断。魂はさまざまなカルマ(業)を背負い、それを解消させるために人生ストーリーを描いているのではないでしょうか。人生のハーモニーを奏でる環境や人々がいます。良いも悪いも、魂のハーモニー。そのすべてを甘い・苦い含めて、改めて味わってみたいと思うのです。 「えにしいまを生きて」 生まれくるものに いのちを与えよう はるかなる このほしで

「まあいっか」気分で。

ビジネスでは大なり小なり、会議やミーティングがつきもの。その他学校のサークルやPTAなど、組織の中では必須のイベント。そんなとき、ただうなずくだけの自分はいないでしょうか?ここで何か言うと、流れを変えるかもしれない、おとなしくしておこう・・・そんな気持ちは、よくあることで、調和を保つためにも、必要な場合があるでしょう。ここぞ、という使命感がある場合を除いては、同調する。でも、心はモヤモヤ。そんなときは、無理に抑え込まないことです。また、自分をいじめないこと。まあしょうがないな

心の翼で、どこへでもいける。

その昔、キャプテンフューチャーというアニメ番組があった。こども心にその主題歌を聞くとワクワクが止まらなかった。「こどもの頃は、空を飛べたよ」から始まる歌詞に、空想すれば、科学の未来や、宇宙の神秘性を自由にデザインできるんだ・・・そんな暗示にも似た冒険心を重ねていた。そして大人になったいま、人生と重ねあわせている自分がいる。ビジネスや日々の生活に、どれだけワクワクしながら生きているだろうかと。 「瞬間トラベラー」 目をとじると 映りはじめる あの日の空が そこにある こころ

本当のさよなら

別れの涙。それは、ある程度の時間を経て、訪れることもある。別れた人の姿、生き方、愛情が実感できたとき、それは自然に流れ落ちるのかもしれない。そのとき、人は、本当のさよならをすることができるように思う、過去を思い出として、引き出しに納めることができるのではないか。 「冬の山ひとり」 吐く息白く 冬の山 歩く 峠の道 ひとり むかし二人が 教えてくれた 見晴台へ 石畳  遠くに 白き アルプスが オレンジ色に 染まる 夕暮れ 思い出す旅 冬の山 歩く 峠の道 ひとり 父と母

フェードアウトという終わり方

ビジネスにも、恋愛にも、人間関係という面でみると、終焉は大なり小なり必ず存在する。ある関係性の終わり方には、ケンガ別れ、円満な別れ、音信不通などの自然消滅等々あり、パターンを数えればきりがない。つまり、人の顔や指紋がひとりひとり違うように、十人十色。ただ、終焉に向けた何らかのアクションについては、それを出す側、出される側と、多くの場合ほぼ間違いなく両者が存在すると思っている。もし、終わりを告げられたら、どんな姿勢で臨みますか?言いかえれば、終わりのマネジメント。まあ、これも、

崩れ去ったあとに

何かを失ったとき、人はその大切さに気づくものです。仕事、家族、健康、日常のあたりまえ。何かにせかされるように生き急ぐのはなぜでしょう?人は常に「何か足りない」を繰り返しながら、生きているのでしょうね。 「砂の城」 浜辺で作った モニュメント 波にさらわれ 崩れていった 何も なかったかのように 守りたいもの それは 心の中にある 嘘のプライド それとも密かに 隠しもってる 執着なのか 守ろうと すればするほど 傷ついて 傷つく度に 崩れ去ってゆく  何も なかったかのよ

見つけてみよう

多くの若者が、将来に対して漠然と、いやリアルな不安感を抱いている。だから、恋愛もできないという状況は、多くの若者が直面している悩みのひとつ。持っていない、だからできない、そんな声が聞こえてきます。では、ほんとうに何も持っていないのでしょうか。何かもっているもの、それは自分のカラダ、思考力、なにより生きているいまの自分。コツコツでもいいじゃない。地道でもいいじゃない。カッコ悪くてもいいじゃない。誰かがあなたのことを思っている。それが何よりもの、持っているものかもしれません。

価値感の変化

時代とともに、ビジネスツールは進化してゆく。とともに、その段取りや展開方法も変わる。だが、どうだろう。それを操るビジネスマインドは?いまが変化の過渡期にあるように感じるのは、私だけではないだろう。それに人はついてゆけているのだろうか。過去と同じように、集団のなかで流されるままに、変化を変化と認識しないままに、自分を見失っていないだろうか? これまで崇め祭ったものが、実は大して価値を感じなくなったりする。そんな価値観の変化を感じるのが、今なのかもしれない。 だから、自分がし

もう一度、ヒーローになれ。

むかしの同級生には、誰かしらヒーロー的な人気者がいたはず。ガキ大将的な者、秀才的な者、イタズラ好きな者、さまざまなキャラが輝く、その道のヒーロー。もちろん、主役がいれば脇役もいる。そんな脇役だった私から見て、憧れのヒーローだった人物が、仕事に、ビジネスに、悩む姿は見たくない。「もう一度、頑張ってみなよ」と背中を押してあげたい。 「もう一度ヒーロー」 心の影 誰もが みんな持っている 気づいても 見えないふりをして 魔化している でもいつか 向き合う時がくることを 君は知ら

トンネルの向こう側

いま辛い、いま苦しい。ビジネスの中で苦難と向き合っている時間がある。結末は見えない。ただ、その瞬間に味わうことは必然かもしれない。人生の設計図通りに、コトは運ばれているのかも。しかし、プレーヤーにはそのカラクリは分からない。つまり、ただ苦しむ戦士たちなのである。 「To the future」 本当の自分に戻る その日まで 心から笑える その日まで 悔しさを押しこめた笑顔なんて 見たくない 満たされてない 作り笑顔・・・見たくない 街のショーウインドウが 映し出す 張