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〜の場合 - 1. Sayoko

小夜子の場合

桜は、散った後の花びらがいい。ピンクのカーペットが小道を覆う。
人々に愛でられ、そして忘れられた花びらは一時の命で道を埋めつくし、風とともに去って行く。

小夜子は、これまで、忘れることで生かされてきた。

風に乗り軽く飛んで行く花びらのような人々の中で、踏まれ疲れて生きてきた。

桜を愛でることもなく、花見に誘われることもなく、ただ生きてきた。

春は、嫌い。

だけど、今年だけは桜の木の下で花見をしよう。一人きりでも構わない。
自分の心を桜の下に埋めていこう。
心はこれから、この木とともに毎年、毎年、育って行くだろう。

これまで、何もかも忘れ続けて生きてきたけど、忘れるわけないじゃない、あなたを。

踏まれ潰れて道の上に残った、ひとひらの花びらが朽ちるのを待っている。

<私のようだ>と小夜子は呟き、拾う。

埋めた心の友にしよう。木の幹に貼り付ける。日陰の黒い茶色の樹に、朽ちた桜色がとても合う。
<後は心と一緒に、花を咲かせるのよ、この木に>
でも、<ひとひらじゃあかわいそうかしら>

小夜子は、哀しく踏みつけられた花びらを探す。
たくさん有り過ぎて選べない。たな心のお椀いっぱい掬って運ぶ。

<こんなにもたくさん踏み付けられているのね>と何度も往復する。

陰が暗闇になる頃には、小夜子の埋めた心が、花びらの王冠を被っていた。
枯れた花びらに少し残った、桜色でモザイクされたドレスも着ている。

裾広がりの桜色のドレスを羽織った心は、シンデレラの舞踏会で踊っているようだ。
カボチャの馬車が迎えに来るまで、たくさんの時間と楽しみがある。

綺麗な時を、今いっぱい楽しもう。

終焉は誰にも訪れるのだ。

<桜色の心は持ち帰ろう>小夜子は決める。そして去っていく。

心が去っても桜の花は、また咲く。王冠とドレスが栄養になる。他の木より綺麗な花を咲かせるだろう。

その夜、夜桜を愛でに来たカップルが叫ぶ。<見て、見て見て!❢>

その桜の木の麓には、漆黒の闇から出て来た満月の光に照らされ、綺麗なドレスが見える。
小夜子が心を抜いたドレスで着飾った木に、彼らの心が入っていく。

毎年、毎年、桜の木は花びらをつける。

ドレスは春を待っている。

小夜子は呟く。
<知った時には、あなたはもう居なかった。あなたは、ドレスを着る前の私>

春は、またやって来る。

fin
アースナルK 


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