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猫語スクール(童話)

 ぼくは猫が大好き。この日も陽の当たるリビングで飼い猫のメルと遊んでいた。メルはサバ白の猫で、やわらかな毛がふさふさしている。外に出たいときは引き戸の前で「ニャー」と鳴き、ご飯が欲しいときは体をすりよせてきて「ミャー」と鳴く、とってもお利口さんの猫だ。
「ケンちゃんーー」ママが声をかけてきた。「英会話の時間よ。用意してあるの?」
「うん・・・・」
 ぼくはメルの背中をなでながらやる気のない返事をした。
「お前はいいなあ。学校も試験も何にもなくてさ。おれも猫になりたいよ」
 メルは気持ちよさそうに目をほそめてウトウトしている。
「ねえ、ママーー」ぼくは真剣にたずねた。「なんで英語を勉強しなくちゃいけないの?」
「なんだって、そりゃあ英語が話せると、外国の人と仲良しになれるじゃない。仲良しになったら楽しいでしょ」
「まあね・・・・」
「だったら勉強しないと。最初は難しいかもしれないけど、そのうち楽しくなるんだから」
「う、うーん・・・・」ぼくはそれでも英会話学校に行く気になれなかった。「メル、お前も一緒に行くか」
「メルを誘わないのーー」ママはメルを抱きかかえ、メルの腹にほおずりしながら言った。「メルちゃんも勉強のジャマしちゃダメよ」
 ママはぼくに負けずおとらず猫好きだ。
「あ、それとーー、これは今月分の月謝。忘れないで払うのよ」
「うん、わかった」
 ぼくは月謝の封筒をかばんに入れて家を出た。
「ああ、勉強したくないなあ・・・・」
 英会話学校に遅れて行こうと思い、遠回りして歩いた。いつもは通らない道を歩いていると、ある建物の門に『動物語研究所』という看板がかかっているのを見つけた。
「動物語研究所?」
 建物の中をのぞきこむと、受付にきれいなお姉さんがいる。何となく気になり、ガラス扉を押し開けて中に入った。
「ウー、ワン、ワン!」
 お姉さんはぼくを見ると吠えてきた。
「ワッ!」
 ぼくはお姉さんの意外な行動にびっくりしてひっくり返りそうになった。
「ごめんなさい、ついつい犬語が出ちゃった」
 お姉さんは恥ずかしそうにあやまった。頭がおかしい人ではなさそうだ。ぼくはこわごわたずねた。
「この学校ではどんな動物語を勉強できるんですか?」
「犬語・猫語・スズメ語の三種類が勉強できますよ」
「へえー、スゴイですねえ。動物語はムツかしいですか」
「発音はちょっとむずかしいかもしれないけど、単語の数は少ないし文法も簡単ですよ」
 おくの部屋から、「チュチュチュ、チチチッ」という鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「あれは何ですか・・・・」
「スズメ語のレッスン中よ。スズメ語は発音が一番むずかしいんじゃないかしら」
「へえー」
「坊やは好きな動物がいますか?」
「ぼくは猫が大好きです」
「猫語は大人気のコースですよ。もし上級コースをマスターすれば、猫と友達になれるんだから」
「猫と友達に!」
「今日は猫語の初級コースの開始日よ。今なら入会金が無料サービス中」
「入りたいけど、お金が・・・・」
 そのときママからもらった英会話学校の月謝のことを思い出した。猫語の月謝の値段を聞いてみると英会話の月謝と同じで、しかも勉強時間も曜日も同じだった。これならママにバレずに勉強できる。ケンはその場で入会手続きをし、今日から始まる初級コースをさっそく受けてみた。
「わたくしがこの学校の学長であり、先生でもあるアニマルです。どうぞよろしく」
 授業が始まり、先生が自己紹介した。先生は白い髪の毛がライオンのようにさか立っていて、うでが毛むくじゃら、見た目が動物のようで迫力満点だ。怖そうだけど話し方がていねいだった。
「猫語の単語は十六個だけです。好き、イヤ、欲しい、行く、寝る、怖い、ムカつく、うまい、臭い、つまらない、助けて、敵、仲間、うんこ、おしっこ、エサ、水。文法はそれらの単語に疑問、否定、強調の表現が加わります。初級コースでは主にリスニングと意味を勉強します。そして最後にテストがあり、それに合格すれば上のコースに上がれます」
「アニマル先生、中級コースは何を勉強するんですか」
「中級コースはスピーチです。猫の声が正確に出せるようにならなければなりません」
「上級コースは?」
「上級コースは会話です。身振り、表情、目線、態度、動きも合わせて表現します。最終試験に合格すれば猫語マスターとなり認定書が渡されます」
 ケンはなぜか自分がマスターになれるような気がして俄然やる気がわいてきた。この日から猫語を猛勉強する日々が始まった丨丨。
 一カ月が経過した。ケンは初級コースの試験を百点で合格した。この日、ケンはメルの頭をなでながら猫語で話しかけた。
「ニャニャミャーウ(もうすぐお前と会話ができるぞ)」
 まだ発音がうまくできないので、メルから何の反応も返ってこない。
 二カ月が経過した。ケンは中級コースの試験も百点で合格し先生からほめられた。このころからメルと話が通じるようになってきた。
「ニャ、メーメー(はらへったか?)」
「ニャオ(いや、そうでもないよ)」
 メルの返事も聞き取れるようになってきた。
 三カ月が過ぎ、上級コースのテストがさしせまってきた。これに合格すれば猫語マスターとなれる。メルと顔を突き合わせながら試験勉強のための会話を練習していると、ママはそれを横から見て声をかけてきた。
「あらケンちゃん、ネコの真似が上手ねえ」
「ニャ(まあね)」
「ん?」
 うっかりすると猫語が出てしまう。
 最終のテストの日となった。このテストに落ちたら、また上級コースを一からやり直しだ。上級コースの合格はむずかしく、今まで百八人の生徒が受験し、合格者は三名だけだ。ぼくは近所の猫たちを庭に呼んで、みんなでおしゃべりをし、最終調整をしていた。そのとき、ふと後ろが気になりふり返ると、ママがリビングのカーテンのかげから、ぼくを怖い目で見ていた。
「あっ、時間だ。テストだから今日は早めに出かけなくちゃ」
 猫たちに別れを告げて、家に駆け込んだ。
「ママ、英会話に行ってくるよ」
 いつもは「行ってらっしゃい」と送り出してくれるのに、今日は無言だった。何か様子が変だが、まあいい。ぼくは駆け出すように家を出た。
 動物語研究所に着き、待合室の長椅子でテスト勉強をしてると、
「ーーケンちゃん」
 後ろから声をかけられた。振り返ると、そこにママの顔があった。
「ニャッ!」
「今日ね、英会話学校から電話があったの。ケンちゃんが三カ月学校に来ていないって・・・・」
 ママはウウウと泣き出した。
「毎週時間通りに出かけているし、月謝も毎月払っているから、てっきりがんばって勉強しているものと思っていたら、こんなところで・・・・。ママはケンちゃんをそんな嘘つきに育てた覚えはありません・・・・」
「ニャンって?」
 ぼくの頭は猫語のことがいっぱいで、ママが何を言ったのかうまく聞き取れなかった。
「お母さんーー」そこにアニマル先生がノシノシとやってきた。「あなたの息子さんは天才ですよ。千人に一人の逸材です。小学生が猫語の上級試験に合格したら前代未聞の大事件、スゴイことですよ」
「猫語の試験・・・・・」
「今日は上級コースの試験の日なんです」
 待合室に待っている人たちはみんな猫のように背を丸め、「ニャーオ、ニャーオ」と猫のように鳴いている。
「何なんですか、ここは・・・・」
「ここは世界初の猫語スクール。すばらしいでしょ」
「ど、どうして猫語を勉強しなくちゃいけないんですか」
「猫語が話せると、猫たちと仲良くなれるんですよ。仲良くなったら楽しいでしょ」
「え、ええ・・・・」
 待合室には数匹の猫もいて、生徒さんはその猫たちと「ニャーニャー」楽しそうにおしゃべりしている。
「ケンとまったく同じだ・・・・」
「お母さんも勉強しましょう。最初は難しいかもしれないけど、そのうち楽しくなりますよ、ハッハハ」
「は、はい・・・・」
 ママはアニマル先生の勢いに押されてその場で入会した。ぼくのうちは近い将来、日本語ではなく猫語が標準語になるかもしれない。
                 (終)2019年作


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