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和歌山県雑賀崎の迷路っぷりに惚れる

 雑賀崎はその名前からもわかるように戦国時代、石山合戦で織田信長と戦った雑賀衆が城を築いた要害の地である。地図を見ると、小さな湾を抱き込むような形で、半島が海に突き出し、その先端に灯台が立っている。
 この小さな湾が雑賀崎の漁港で、漁港に臨む丘の斜面にはたくさんの家が建ち並んで、その様子が、誰が言い出したか、イタリアの名勝アマルフィの街並みに似ているという。一部では「日本のアマルフィ」などと呼ばれているらしい。

海から見た雑賀崎

 アマルフィを知らなかったので検索してみると、石造りの建物が海に面した断崖にへばりつくように並ぶ、迫力のある街だった。建物の明るい彩りが、いかにも地中海といった風情だが、日本のアマルフィはそれほどの断崖でもなく彩りもなく、はっきり言ってたいして似てない。アマルフィのそそり立つ絶壁と、雑賀崎のなだらかな町並みはまったく別のものだ。
 むしろ、そんな異名を持たせることによって、派手な景色と比べてしまい、かえってこっちが貧相に見えてしまう可能性がある。それより、雑賀崎は雑賀崎としての魅力を堂々とアピールするべきと私は言いたい。
 雑賀崎の魅力とは何か。
 それはもちろん、その比類なき迷路っぷりである。
 雑賀崎こそは、知る人ぞ知る、日本屈指の迷路の町なのである。

日本における迷路の町の多くは漁村だ。以前横須賀をいっしょに歩いたドンツキ協会の齋藤さんも、漁村、温泉、鉱山の3要素が、迷路の町を形成しやすいと言っていた。
 なぜ漁村に迷路が多いのか。
 それは、山がちな日本列島には、港に適した入り組んだ海岸が多いわりに平地が少ないからである。
 風除けにいい入り江であっても、周囲が断崖絶壁に囲われていては町は発達しにくい。それでもそこに住みたいとなれば、人間のほうが土地に合わせて集落を作るしかない。比較的緩やかな場所を選び、狭い平地と後背斜面を利用して村を作っていくのだ。当然、漁村はいびつに広がらざるを得ず、直線的な道路も引けないから、結果として迷路の町ができあがるのである。
 雑賀崎もまさにそのようにして発展してきたと思われる。

雑賀崎地図

 ならば海沿いのアマルフィもきっと迷路の街だろうと思い、ストリートビューで確認したところ、意外にもそうではなかった。斜面が急過ぎて垂直方向の道路が限られてしまい、迷路になりにくいのだ。
 なるほど。斜面が急過ぎても迷路は発達しないのか。期せずして迷路に関する新しい知見が得られた。

アマルフィ地図

 そう考えると、雑賀崎は、実はアマルフィよりステージが上だったということができる(トポフィリ面で)。アマルフィのほうこそが、雑賀崎になれなかった町なのだ。アマルフィが世界遺産なら、雑賀崎は宇宙遺産、いや、次元遺産というべきかもしれない。世界どころか、この3次元空間を代表する遺産なのである。
 
 ということでアマルフィを凌ぐ雑賀崎の町を歩いてみよう。
 町は小さな半島の東南斜面に扇形に広がっている。要はもちろん漁港である。

漁港は迷路多発地帯
 
港にはカフェもある

 この漁港では、船から直接鮮魚を購入できる直売をおこなっており、それを目当てにやってくるお客さんも多いらしい。そのためそれなりに賑わいもあって、カフェもある。

 一方、斜面の上、半島の尾根には県道が走っており、これは先端の灯台へと続いているのだが、この尾根の県道と、漁港の間の斜面全体が、今回紹介する迷路の町である。

雑賀崎拡大図

 町の中には建物がぎっしりと連なっており、それらはほぼ個人の住宅だ。その間を縫うようにして細い路地が縦横に走る。
 路地のなかには漁港から尾根の県道へ抜ける幹線と呼べる道が4~5本あるようだが、もちろん車などは入れないし、とくにその道だけが太いわけでもなく、各所で分岐しているから、明確にこれが幹線と特定することは難しい。
 ただ県道からの入口のひとつに、「中の丁道」という表示があったので、住民には幹線と支線の区別があるのかもしれない。とはいえその「中の丁道」を私がたどってみると、道はいくつにも分かれて、どれが「中の丁道」に当たるのかすぐに見失ってしまった。

中の丁道の標識

 数えたところ、県道側から町に入る入口は7~9ヵ所、漁港側からも同じぐらいある。何ヶ所ときっちり特定できないのは、それがどう見ても個人所有の敷地の中を通っていたり、町に入った途端にすぐに道がまとまってこれを1ヶ所とするか2ヶ所とするか判然としなかったりするからだ。
 そうした入口のいくつかを紹介したい。
 まずこれは漁港側からの入口のひとつ。

 ここはおそらく一番幹線ぽい主要な入口で、人通りも多い。突き当たりの階段の上に見えるのは和歌山市の支所である。手前のブロック塀に描かれた「理容」の黄色い文字に昭和の残照が見える、と言いたいところだが、とくに文字がなくてもそこらじゅう昭和だ。
 ここを入っていいのかためらわれるような入口もある。

入っていいのかどうなのか

 道というより、家と家の隙間だ。公道ではなく私道かと思うが、迷路の町では公道私道の区別はもともと判然としないことが多い。法的には私道だけど、暗黙の了解があって、勝手に通ることを許されているというのが現状ではないだろうか。
 続いて尾根の県道側からの入口を見てみると、たとえばこれ。一瞬、水産加工場の私有地では? と見紛うが、れっきとした道である。いかにもこの先に迷路が続いていますよと言わんばかりのダンジョン感あふれる素敵なクランクだ。

 普通はこの先に未知が続いているとは思うまい

 さらに、迷路の町の入口としてこれ以上ふさわしいものはないと言える素晴らしい階段を見つけた。

わくわくする階段

 これは誰だって昇ってみたくなるはず。これを昇ると、謎めいた通路に続くので、ますます気分は盛り上がる。

わくわくする小径

 どの入口を選んだとしても、ひとたび街区内部に侵入すると、もはやどこかどう繋がっているのか、一、二度来たぐらいで雑賀崎迷路を把握することは不可能である。私も何枚か写真を撮ったものの、それがどの位置で撮影した写真なのか今となってはもうよくわからない。
 なので、以下の写真はランダムにピックアップしたもので、場所に繋がりはないものと思って見てもらいたい。

幹線道路

 これは比較的明瞭な道。幹線のひとつと思われる。

路地

 ごちゃごちゃして見えるが、これも道としてはわかりやすい。

崖の上の道

 ときどき海が見える。

極上の階段

 下っていけばいずれ漁港に出るので、抜け出られなくなって困ることはない。

路地?

 これは私道ではないのだろうか。踏み込みにくい道のひとつ。

気になる青階段

 上の青い階段はどこへ行く階段なのか。

この先に何があるのか

 この奥も、れっきとした通路である。

空き地

 突然の花畑。

工事現場へコンクリートを送り込む

 道に太いパイプが通っていたので、何かと思ってたどってみると、漁港の駐車場から100メートルぐらい奥に入った場所に、新しい家が建築中だった。これはその土台に流し込むコンクリートのパイプらしい。
 迷路の町で家を建てようとすると、重機どころか車も入ってこれないうえ、斜面になっている雑賀崎には階段が多く、自転車やバイクでさえ入り込めないから大変だ。それはなにも家を建築するときだけの話ではなく、日常生活においても同様である。重い荷物を持って階段を昇り降りしなければならないわけだから、高齢者にはきついにちがいない。
 こういう場所にこそドローンが必要なのかもしれない。ドローンが無理なら、せめて斜行エレベーターのような設備があればと思ったのである。
 迷路の中には、スーパーマーケットや雑貨屋のようなものはなかったが、郵便局はあった。

味のある郵便局

 また港近くに改装工事をしている家があって、歴史資料館ができるらしい。地元でもこの独特な町を観光スポットにしようという試みが始まっているようだ。
 私のような部外者が迷路の町を散策しようと思うとき、人々の日常のなかへ踏み込んでいくことになるので、どうしても遠慮がちになる。これはどう見ても私道だろうと思えば立ち入ることは躊躇するし、とくに誰にも何も言われなくても不審者と思われているんじゃないかと疑心暗鬼に陥ることもある。そもそも私のような単なる物見遊山の来訪者は、歓迎されていない可能性が高い。
 なので、地元側で観光客を歓迎していることを示してくれるならば、こちらも落ち着いて散策できてありがたい。その意味で歴史資料館の開設はうれしい変化である。
 もっと言えば、案内してくれるガイドツアーがあれば助かると思ったのだが、後に調べてみると、今は市の観光協会に事前に申し込めば案内してもらえるようだ。

こうした迷路の町の面白さを、どのように伝えればいいか、その方法がいまだにわからない。横須賀の町を歩いたときもそうだったが、写真と文章だけで伝わるとは到底思えないのだ。
 そこでためしに地図上で道路だけを描き出してみた。
 青が車道、赤が路地だ。

雑賀崎迷路図

 これだけ見ても雑賀崎が相当込み入った町であることがわかってもらえるだろう。
 もちろん道だけが迷路の魅力要素ではないので、これだけでは不十分とは思うけれども、迷路好きとしては、引き続き、少しずつでも迷路の魅力を伝えていければと考えている。
 早くコロナが明けて、迷路の町の探索に出かけられる日がくることを祈る。

  
【建設の匠】より転載(記事の内容は2020年に取材したものです)



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