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日本は「オリエンタリズム」とは無縁の独立不羈の国であった

 アフガニスタンで支援活動を行った中村哲医師は「小さくともどんな大国にも屈せぬ独立不羈(他から影響されずに行動すること)の日本」というイメージが欧米列強支配にあえぐアジア民衆を励まし、アフガニスタンでも代々語り継がれた」と述べている。(『医者、用水路を拓く』40頁)

 中村医師は仏教の伝教大師最澄(767~822)の言葉「一隅を照らす」を座右の銘としていた。「一隅を照らす」とは、「各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力実行することで、お互いが助け導き合い、あたたかい思いやりの心(仏心)が自然と拡げられていく」というものだ。(天台宗 「一隅を照らす運動」のページより)中村医師の活動は、日本がアジアの「一隅を照らす国」であることを印象づけた。

 中村哲医師によれば、アフガニスタンが独立した1919年頃、アジアでは欧米列強による植民地化・半植民地化が進行する中で、アフガニスタンと日本は独立を維持している数少ない国だった。その結果、アフガニスタン人の間には独立不羈の国=日本というイメージが定着した。また日本は1904年から05年の日露戦争で、アフガニスタンの北の脅威であったロシアに勝利し、アフガニスタンの独立への運動を強く鼓舞することになった。

 さらに、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下に見られるように、第二次世界大戦で国土が灰塵に帰しながらも、戦後は技術大国として、戦争をしないで、復興を遂げた日本に対する敬意がわき上がった。戦争をしないでも繁栄がある国=日本への良好な感情は圧倒的で、日本は半ば外国とも見なされないようだったと中村哲医師は語っている。


 アフガニスタンではどんな山奥に行っても日本人であることは安全保障だったと中村哲医師は回想していた。日本人というだけで命拾いをしたり、協力を得られたりすることは数知れず、車両や診療所には必ず日章旗をつけていたとも語っている。日章旗は中村医師の誇りでもあった。中村医師が車両などに付ける日章旗は美しく映えたに違いない。

アフガニスタンの親日『武器ではなく命の水を送りたい』より


 パレスチナ系アメリカ人の文学者・思想家のエドワード・サイードが著書『オリエンタリズム』を1978年に出版してから45年が経った。ヨーロッパは歴史的にオリエント(東洋)を自らとはまったく対照的なものとして、後進性、敵対性、非合理性をもつ実体としてとらえていると主張した。進歩を遂げた西洋が後進的なオリエントを救済する美名の下に植民地主義、人種差別主義を正当化したというのがサイードの考えであった。米国がイラクの民主化を唱え、イラク戦争を開始したり、米国のネオコンなどがイスラームを「テロリズムの宗教」と唱えたりするのも、「オリエンタリズム」的な発想が欧米世界では根強くあることを示している。

サイード『オリエンタリズム』


 モロッコ・アトラス山脈近郊を震源地とする大地震が発生したが、モロッコの国王モハメド6世は旧宗主国フランスの救援チームがモロッコ国内で活動することを認めなかった。モロッコの新聞などによれば、フランスにはモロッコを見下し、蔑む姿勢があるからだそうだ。政治的にはフランスが西サハラ(※)に対するモロッコの領有権を認めていないことなどもあるだろうが、旧宗主国のフランスのモロッコ政治に干渉する姿勢に拒絶するムードがある。フランスのマクロン大統領がシャルリー・エブドのムハンマドの風刺画を容認し、「イスラームは危機にある、フランスの啓蒙主義(先入観を脱して理性によって世界を理解・把握するなどの意味)の価値観に応じるイスラームをつくりたい。」などと発言したことは、イスラーム世界の側からはオリエンタリズム、ネオ植民地主義の発言だという声が相次いだ。

モロッコ大地震 国王モハメド6世はフランスの支援の申し出を断った


 日本は第二次世界大戦でインドネシアなどのイスラーム地域に軍隊を駐留させ、統治したことがあるが、アフガニスタンなどの中東や北アフリカのイスラーム地域を軍事的に汚したことがなく、そのことも冒頭の中村医師の発言のように、日本に対する信頼となってきた。戦前の日本の右翼のイデオローグであった大川周明や頭山満などもアフガニスタンの独立を支持し、東洋から西洋を駆逐することを訴えていた。

 戦後、中国文学者の竹内好は日本の戦中期のイスラーム研究が軍部などの国策として行われたことは批判したが、しかし日本にとっては未知であった文明を、西欧の理解を超えて解釈するようになった業績については評価を与えるようになり、イスラームを介しても第三世界のナショナリズムを理解する必要があることを訴えた。

 日本は21世紀に入って小泉政権以降、米国の軍事行動に一体となる政策を、憲法解釈を変えてまで集団的自衛権を確立するなど明白に推進することになった。中村医師は日本が「独立不羈の国」とみられることに誇りを感じていたが、この資産を今の日本の政治家たちはどれほど意識していることか。せっかくの資産を台無しにしないように、深刻な干ばつなどで苦しむアフガニスタンに対して欧米などとは異なる日本独自の関わりや支援を考えるべきだ。


広島女学院高校のページより

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