「国際平和デー」への教訓 ―モスラ、ゴジラ、大江健三郎さんと日本の平和主義
アニメの宮崎駿監督は座右の銘にしているのは、映画「モスラ」の原作者で、作家の堀田善衛の『空の空なればこそ』の中の「汝の手に堪うることは力を尽くしてこれをなせ」という言葉だ。
また、堀田善衛は次のような言葉も遺しているが、一切が閣議決定で決まるような今の政治に教訓として響く。
「言論は無力であるかもしれぬ。しかし、一切人類が、『物いわぬ人』になった時は、その時は人類そのものが自殺する時であろう。・・・・・・」-堀田善衛
9月21日は国連が定めた国際平和デーで、毎年この日には日本が1954年にニューヨーク国連本部に送った平和の鐘が鳴らされる。この鐘は当時国連に加盟していた60カ国の子どもたちから集められた硬貨によってつくられ、鐘には「世界絶対平和万歳」と刻まれている。戦争が終わってから10年も経っていない殺戮や破壊の惨禍の記憶が生々しい時期で、日本の平和への切実な想いが表現されている。
1954年は、3月に第五福竜丸がビキニ環礁の核実験で被爆し、それをうけて怪獣映画「ゴジラ」が同年11月に公開された年で、俳優の宝田明さんは、「ゴジラ」は反戦や反核がテーマで、アメリカにとって都合が悪い映画だと語っていた。ゴジラはアメリカの核実験で目覚めた怪獣だった。宝田さんは、「ゴジラ」をアメリカの戦争に反対と言えない日本の国会議員たちを集めて国会で上映すべきだとも話していた。また、戦争は無辜の市民まで虫けらのように命を落とすもので、決して戦闘員だけのものではないことを訴えたいと話していた。
国際平和デーを提案したのは中米の永世中立国のコスタリカで、1981年に制定された。コスタリカは人口500万人ぐらいの小国だが、1983年に永世非武装中立を宣言している。永世非武装中立を宣言したのは、軍隊が独裁政権生み出し、国民の自由を奪うと考えられたためである。
1940年代から70年代にかけて大統領の在任(32、34、38代)を繰り返し、合計10年間ほど大統領の地位にあったホセ=フィゲーレス(1906~1990年)は「兵士よりも多くの教師を」というスローガンを掲げ、軍事にかける金を教育や福祉に回すことを訴えた。
今年3月に亡くなった大江健三郎さんのお別れの会が13日に開かれた。作家の島田雅彦さんは「敗戦から占領を経て『自発的な服従』をたどった日本の国民が、屈折し絶望しながらも『復讐』していった過程を示唆し、米国のような国に対して知的なゲリラ戦を展開した」と語った(共同通信)。
2006年4月29日、パレスチナ出身のエドワード・サイードを中心に描かれたドキュメンタリー映画、佐藤真監督「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の完成記念上映会で、サイードと親交があった作家の大江健三郎さんは、その年12月に施行されることになる教育基本法の「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」の表現は、国境を超える文化の多様性を否定し、国家によって文化を一つにしようとするものであって、それは「文化と帝国主義」でサイードが否定した単一民族による単一の言語を基盤とする近代国家のフィクションであり、また中心が優位であり、周縁が劣位とする二項対立的な上下関係を否定するサイードの意思にも反するものだと主張した。
大江さんは、安倍政権の平和安保法制、「積極的平和主義」に反対し、日本の平和主義について「日本は、平和を維持するために戦うとは決して言いませんでした。 彼は銃を持っておらず、戦争には行かないと世界に言い続けました。 平和というところに立ち寄る姿勢です。 尊重されるべき『消極的な平和主義』だと思います。つまり、『積極的な平和主義』は『消極的な戦争主義』になります。・・・憲法9条が残っている日本は、まったく別の国になる。 後戻りはありません。 明日にはそれが現実になる。」と述べていた。
(大江健三郎 「『9条を守り、平和を願うことは生活の基本。 次の世代に伝えたい』と話した。」)Newsbeezer, March 13, 2023
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