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鎮魂と平和への願いを込めた「我が心のアランフェス」と自由への希求

 1936年から39年まで継続したスペイン内戦は、民主的に選出された人民戦線(共和国)政府と、国内の反乱軍、また国外のドイツ、イタリアというファシズム勢力との衝突であった。戦場における死者の数は10万人から15万人、またファシズムの反乱軍側による処刑は30万人から40万人と見積もられ、その中には詩人のガルシア・ロルカも含まれていた。哲学者のミゲル・デ・ウナムーノ(1864~1936年)は反乱軍側の反知性主義と野蛮な行為を批判して、また反戦を説いたため、軟禁状態に置かれた後に(1936年10月)、死亡した。(同年12月)(スペイン現代史研究の斉藤孝氏による説明)


 スペイン内戦の顕著な特徴は、処刑と報復による大量の死者を出したことで、反乱軍側は組織的、計画的、また大量に行われた。共和国側にはアーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルローやジョージ・オーウェルなどの世界的な著名の作家たちがスペインに赴いて支援を行った。ドイツのコンドル兵団によるゲルニカ空爆を批判したピカソの作品「ゲルニカ」はあまりに有名だが、スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ(1901~99年)は、悲惨な戦争による犠牲者への鎮魂と平和への願いを込めて有名な「アランフェス協奏曲」を戦争が終結した1939年に作曲した。スペイン語の歌詞はアルフレード・ガルシア・セグーラが1968年に付けて「我が心のアランフェス」という歌曲になった。その歌詞は下のようなものであり、美しいアランフェスの情景とロマンスを懐古する内容となっている。

ポール・モーリアでは「恋のアランフェス」になっています https://www.snowrecords.jp/?pid=160534494


よりそい
過ごした 愛の花園
きらめく泉 その水音は
やさしく ささやくよう
香るバラたちに
麗しい
梢のみどり葉は 風に吹かれ
舞い散った 遠い日のロマンス
色あせた 愛のわくらば
ここはアランフェス
二人が見た 夢のあとよ
むなしい
言葉は空に舞う 風にまみれ
消え去った まぼろしのアモール
この胸の 想いがまだ
どうかあなたに
愛しい人に 届きますように
ここはアランフェス
二人歩いた あの小径よ
(日本語訳詞:チャコ&チコ 西川恭)

アマリア・ロドリゲス 「我が心のアランフェス」 https://www.paradiserecords-japanpress.com/.../product/3965


 スペイン内戦の理不尽な勢力との戦いは、ロシアによるウクライナ侵攻を彷彿させるが、ロシアは攻撃の第二段階に入り、ウクライナのゼレンスキー大統領は18日、東部のドンバス地方(ドネツィク州とルハーンシク州)をめぐる戦いが開始されたと述べた。

 昨年4月の復活祭のスピーチで、ローマ教皇フランシスコはウクライナの平和の実現を祈り、また1955年の「ラッセル=アインシュタイン宣言」に触れながら、核兵器使用への危惧を強調し、「人類を消滅させるか、人類が戦争を終わらせるか」と述べた。教皇はヨーロッパの戦争は不合理で、悲惨であることを強調しながら、エルサレムに兄弟愛と相互尊重が、また中東のレバノン、シリア、イラクにも平和や国民の和解が訪れることを祈ると語った。

 中東の、特にペルシア湾岸のアラブ王政諸国がロシア非難の輪に容易に加わらないのは、権威主義のロシアが「カラー革命」に見られるようなウクライナなど旧ソ連諸国の自由主義や民主主義の潮流を恐れるのと同様で、アラブの王政は、2011年の「アラブの春」の時のように、民主化の動きが自国に波及することを警戒している。サウジアラビアは、バイデン政権がムハンマド皇太子のカショギ記者殺害への関与やイエメン空爆を批判することを快く思っていない。アメリカのバイデン大統領はロシアのウクライナ侵攻について「自由は専制主義に常に勝つ」と述べているが、ならばロシアと同様に占領政策を継続するイスラエルも批判しなければ公平ではない。


コメントを寄せました 東京新聞


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