加藤登紀子さんの「ユダヤの友よ」 ―正義とは弱い者を助け、命を尊重すること
歌手の加藤登紀子さんはパレスチナ問題に関心をもち、1972年にレバノン南部のパレスチナ難民キャンプを単身で訪問し、キャンプの指導者に難民の人々を歌で力づけたいと掛け合い、許可を得てギターの弾き語りをすると、子どもたちは一緒に踊り歌い始め、最初は難色を示していた指導者にも感謝された。
最近、加藤さんが歌うのは「ユダヤの友よ」という曲で、1970年代後半に、パレスチナ支援の音楽イベントに参加した際にこの歌に出会った。作詞はパレスチナの詩人ファウジ・エル・アスマールで、アスマールはユダヤ人との共存を考えながら、イスラエルによってパレスチナ人の土地が奪われることに憤りの感情を覚え、それを歌に表現するようになった。
「ユダヤの友よ」は、「人生と愛と思い出を/忘れるなんて 私にはできない/オリーブの木の下で育った頃のこと/ワインを飲み サボテンの実をかじったこと/友よ 祖国を離れろと言われても それはできない それはできない/星を空から落し海の水を知る/オリーブの木の下で育ったこの故郷/」などの歌詞が歌われ、パレスチナの土地への郷愁を表現している。
加藤さんは、中村哲医師の「『変わらぬ正義』と呼べるものがあるとすれば、それは弱い者を助け、命を尊重することである」という言葉を自分のお守りとして大切にしているそうだ。(「東京新聞」昨年5月28日)加藤さんによれば、中村医師は戦争が正義の名の下に正当化されてきたことに反発していたという。繰り返されるイスラエルのガザ攻撃は正義の名の下にずっと行われてきたが、多くの子どもたち、女性、老人など弱い者の命を奪ってきた。弱者の命を犠牲にするイスラエルのガザ攻撃に正義を感ずることはまったくできない。
ユダヤの友よ、旧約聖書に出てくるヘブライ語の「ツェデク(男性名詞、女性名詞はツェダカー)」は「義」を意味し、正義は神の支配の最も根本にあり、神ヤハウェは正しい裁きを行うことによって、虐げられている人、貧しい人、やもめ、孤児(みなしご)など弱者を救済するのではなかったか?
「アラブに死を!」「アラブの村を焼け!」「第2のナクバ(1948年のイスラエル独立をめぐる中東戦争で多数の犠牲者、難民が出たパレスチナ人の大災厄)が起きるように!」などのイスラエル極右のスローガン、あるいはガザ攻撃を継続するネタニヤフ前首相などのイスラエルのタカ派の考えは旧約聖書の正義と相容れないもので、ユダヤ教のヒューマニズムとは対極にある。
イスラエルの同盟国であるアメリカでも民主党の上院議員で、院内総務のチャック・シューマー氏は、ネタニヤフ首相について、「イスラエルの最善の利益より自らの政治的延命を優先するようになり、ガザでの民間人の犠牲が膨大な人数に上っていることで、イスラエルは友好国から見放され、世界の『のけ者』になるリスクを抱えている」と述べた。
最後に残されたこの小道の上で
そう ここで この土地で
僕らが流した血のうえに
ここからもあそこからも
オリーブの樹がなるだろう
(「だんだん世界がとじてゆく」原詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳詩:イルコモンズ )
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