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パレスチナ・チーム、決勝トーナメントへ ―アジアカップ・サッカー

 1月24日、AFCアジアカップに出場しているパレスチナのサッカーチームは香港に3-0で勝利し、初のベスト16、決勝トーナメントに進出した。パレスチナ・ガザでは10月7日以来、2万5000人が殺害され、選手の親族にも犠牲が出るなど物心ともに困難な中での勝ち取った決勝トーナメントだった。フォワードのマフムード・ワディ選手はグループCのイラン戦の前日に従兄弟がガザで殺害されたという知らせを受けた。ワディ選手はトーナメントでの勝利がパレスチナ人に喜びももたらすだろうと語っている。

パレスチナ「笑顔もたらした」 初白星でアジア杯16強 香港戦でゴールを喜ぶパレスチナの選手たち=ドーハ(ゲッティ=共同) https://www.chunichi.co.jp/article/842793


 パレスチナ・チームは、アルゼンチン、チリなどのラテンアメリカ諸国の選手や、イスラエル国内のパレスチナ系の人々、さらには中東や欧米のリーグでもプレイする選手たちによって構成されている。

 パレスチナ・サッカー協会(PFA)が最初に設立されたのは、1928年8月のイギリス委任統治時代で、1929年6月にFIFAに参加した。この当時、協会にはアラブ人クラブ、ユダヤ人クラブ、またイギリスの警察官・兵士で構成されるクラブが参加していた。アラブ人だけのスポーツ団体「アラブ・パレスチナ・スポーツ連盟(APSF)」が創設されたのは1931年のことで、PFAがアラブ人の利益を代弁しないという不満を背景にするものだった。しかし、1936年にパレスチナへのユダヤ人移民の流入に反発する「アラブの反乱」が起こると、APSFの活動はイギリス委任統治当局による妨害を受け、1930年代後半には活動は停止した。

2022年のワールドカップで パレスチナ旗を手にするモロッコのチーム https://www.aljazeera.com/opinions/2022/12/7/fifa-world-cup-palestine-1-israel-0


 1948年の第一次中東戦争の後、パレスチナ・アラブ人のサッカーの試合は、「アラブ・ゲーム」や「アラブ・カップ」などに限られていた。1995年5月にパレスチナはFIFAの暫定加盟国となり、1998年6月8日に正式メンバーとなった。アジアカップには今回を含めて3回出場しているが、決勝トーナメントへの進出はかなわなかった。現在のFIFAランクは99位となっている。

FIFAアラブカップでパレスチナ旗を手にするアルジェリアの選手たち 2021年12月11日 https://www.middleeasteye.net/news/fifa-arab-cup-algeria-raises-palestine-flags-after-win-morocco


 パレスチナのサッカーチームの障害となっているのは、イスラエルがヨルダン川西岸とガザの人々に課している渡航制限と、イスラエルからの出国ビザの取得が難しいことがある。2006年にはヨルダン川西岸とガザの選手たちは出国ビザを拒否され、彼らはAFCアジアカップ予選に参加できなかった。2007年10月、2010年ワールドカップ予選のシンガポール戦はパレスチナ人選手が出国ビザを取得できないために、シンガポールの不戦勝となった。2008年12月から09年1月のガザ戦争の際には、アイマン・アルクルドなど3人のナショナルチームの選手たちが殺害された。マフムード・サルサクのように、「イスラム聖戦」のメンバーと判断され、2009年7月に行政拘禁となった選手もいた。

 さらに2014年夏のイスラエルによるガザ攻撃で、パレスチナの名ミッドフィールダーで、ナショナルチームのコーチだったアヘド・ザクート(享年49歳)が亡くなった。さらにガザ攻撃中、イスラエルに抗議するヨルダン川西岸でのデモに参加していたモハメド・カターリーとウダイ・ジャーベルという二人のパレスチナのサッカー選手もイスラエル軍の銃撃の犠牲となった(ともに享年19歳)。

ガザの東京リーグ パレスチナ人に希望を与える日本であり続けてほしい https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/palestinian-soccer/?fbclid=IwAR1sYfP6M6UG21B_o-2qRVRBNuqHydFUwsBqMQjCsqKHV5S7ofMVdPbc1Mg


 当時、ナショナルチームのゴールキーパーで、キャプテンを務めるラムズィー・サーレハは、イスラエルの妨害、破壊、また殉教者を出しているにもかかわらずパレスチナ人が存在することをサッカーで世界に訴えたいと語る。その思いは現在アジアカップに出場しているパレスチナの選手たちにも共有されていることは明らかだ。イスラエル軍の攻撃や銃撃で脚を失ったパレスチナのサッカー選手たちは2019年にアムプティー(手足などを失った人)によるサッカーチームを創設し、杖や義足を用いながら練習に励んできた。

日本とパレスチナの協力年表 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000214578.pdf


 2019年4月、ヨルダン川西岸でのトーナメントを勝ち抜いたヘブロンのチームがガザに入って日本とUNDPが共催する「東京リーグ」の決勝戦を行った。ヘブロンのチームの選手たちは生まれて初めて海を見たと行ってガザの海岸で喜んだという。サッカーなどスポーツはパレスチナの人々に希望や勇気を与えることになっているが、その後押しをする日本であり続けてほしいと思う。

ガザの東京リーグ


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