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この土地で私は愛と思いやりを育む種のみを植える -中村哲医師を称えるルーミーの詩

 2019年12月、カブール市内に中村哲医師の業績を称える壁画が描かれたが、そこには中村医師の肖像画とともに、「この土地で私は愛と思いやりを育む種のみを植える」というアフガニスタン出身のスーフィ詩人(イスラム神秘主義詩人)ルーミー(1207年~1273年)の詩が添えられていた。アフガニスタンの大地に愛の種子を蒔き続けた中村医師にふさわしい詩だった。

 ルーミーは、現在のアフガニスタンのバルフで生まれた。ペルシア名はジャラール・アッディーン・ムハンマド・バルヒー。最後の「バルヒー」は生まれ故郷のバルフにちなむ。ペルシア文学史上最大の神秘主義詩人と言われている。モンゴル勢力による戦火を避けるため、家族は何年にも渡る放浪生活の末、最終的にアナトリアのコンヤ(現在のトルコ)に住み着いた。 


 「ルーミー」という名前は新たに住み着いた土地のコンヤがかつて神聖ローマ(Rum)帝国の支配地だったところからつけられた。生まれ故郷のアフガニスタン・バルフは戦乱のために破壊され、二度と戻れない状態になってしまった。つまり、ルーミーはいまでいう難民だった。コンヤを中心に、ルーミーが開祖の踊るスーフィ教団(旋舞教団)として知られるメヴレヴィー教団が形成されていった。

 中村医師を称える詩のように、ルーミーの詩作には、愛や思いやりにあふれたものが多く、アメリカでは「ベストセラー詩人」とも形容されている。アメリカはアフガニスタンを軍事的に支配できなかったが、アフガニスタン出身のルーミーの詩はアメリカ人の心をしっかり捉えている。東京のアフガニスタン大使館のメインホールにもルーミーの名前が付けられているほどアフガニスタンの人々はルーミーを誇りに思っている。日本でももっと知られてよい詩人だ。


 米国の俳優ブラット・ピットの右腕にはイランの詩人ルーミー(1207~73年)の詩の一節がタトゥーとして彫られている。それはコールマン・バークスの英訳で「There exists a field, beyond all notions of right and wrong. I will meet you there.(正しさと誤りの概念を超えたところに野原がある。そこで君と会うだろう。)」というものだ。つまり、人間は互いの相違を乗り越えて寛容にならなければならないということだろう。


「空が愛の中になければ、このように澄み切っていないであろう。太陽が愛の中になければ、光を与えることはないだろう。川が愛の中になければ、沈黙し、動くこともないだろう。山や大地が愛の中になければ、成長するものはないだろう。」 ―ルーミー


「愛によって苦さは甘さになり 愛によって銅は金になる
 愛によって澱は上澄みになり 愛によって痛みは薬になる
 愛によって死者は生き返り  愛によって王は奴隷となる」 -ルーミー

 アフガニスタンではタリバンが政治を掌握したが、アフガニスタンのスーフィ教団に平和的役割への期待がかけられている。スーフィ教団は寛容や多様性などを重んじるが、アフガニスタンでは米軍の駐留に反対し、タリバンを支持してきた。世界的にもルーミーのように愛や慈愛で知られるスーフィ教団がアフガン政治の表舞台に立つようになれば、タリバン主導の体制でも国際的な認知は容易になるに違いない。

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