原爆投下を正当化するアメリカの上院議員と、核兵器をめぐる人種主義
12日、アメリカのリンジー・グラム上院議員はイスラエルのガザ攻撃を自衛権と正当化する中で、「広島・長崎への原爆投下を負けられない戦争を終わらせた。正しい決断だった。」と述べた。
アメリカは広島・長崎の原爆投下で、今のイスラエルと同様に非常に多数の市民を殺害した。アメリカが原爆投下した時、日本はアメリカの存亡に対する脅威ではなかった。
イスラエルは同様に現在存亡の危機に直面していない。イスラエルの見積もりによれば、ハマスのカッサーム旅団の兵力は3万人、他の武装集団は数千人で、これらの武装集団を「せん滅」するために、イスラエルは人口220万人のガザ地区に無差別攻撃をしかけ、ほとんどが市民の3万5000人を殺害した。13日、イスラエルは国連職員も殺害している。
イスラエルには16万9000人の兵力と46万5000人の予備役兵がいて、241機の戦闘機(高度な先進的なF-35を含む)、48機の攻撃ヘリコプター、2200両の戦車を保有し、圧倒的な戦力差があり、ハマスのロケット弾はイスラエルに存亡の危機を与えるようなものではまったくない。
イスラエル軍にはレバノン南部でクラスター爆弾を使用してきたが、アメリカは昨年10月以来ガザを攻撃するイスラエルにクラスター爆弾を2度にわたって供与したとされる。
アメリカ人作家のスーザン・サザードさんは、「Nagasaki: Life After Nuclear War」を2016年に出版したが、多くのアメリカ人が歴史の授業では、広島・長崎への原爆投下が戦争の終結を早めたと教えられるが、それにはなんの根拠もなく、冷戦時代の核軍拡を進めることに国民の支持を得るための政府の意図が背景にあり、このような政府の主張によって、広島・長崎で実際に起こったことからアメリカ人たちは注意が向かず、いまだに核軍拡を支持する要因となっているとサザードさんは訴えている。グラム議員の発言もアメリカ社会にある固定概念から生まれたものなのかもしれない。
サザードさんの著書「Nagasaki」は、サザードさんが親交があった谷口稜曄(すみてる)さんら5人の長崎の被爆者たちの苦難に満ちた戦後を描いたものだが、サザードさんは、真珠湾攻撃、日本の中国での残虐行為は確かにあったものの、アメリカは日本の66の都市を空爆し、668、000人の市民を殺害し、長崎では1945年の末までに原爆で74,000人の男女・子どもが亡くなったが、そのうち軍関係者はわずかに150人であったことを指摘し、これは現在では「テロリズム」と呼ぶべきものではないかと語る。これと同様にイスラエルがガザで行っていることもまったくの「テロリズム」のように思う。
作家の林京子さんは、1945年8月9日に長崎市内の三菱兵器工場に学徒動員中に被爆した。被爆から30年後、その体験をモチーフに書いた短編『祭りの場』で、芥川賞を受賞した。
林さんは、長崎の原爆投下から54年後の1999年にアメリカ・ニューメキシコ州トリニティ・サイトを訪ねた。ここは、1945年7月16日に核爆発実験が初めて行われた場所で、この時と同じプルトニウム型の原子爆弾が長崎に投下された。林さんはトリニティ・サイトでカラスなど鳥も飛んでいない様子を見て、広島や長崎より前に原爆の犠牲になった声なき生物がいたことを知った。またトリニティ・サイトを訪問していたのは、白人ばかりで、黒人やアジア系の人間はいなかったが、ここにも核兵器をめぐる人種観が表れていた。グラム議員の発言やガザを攻撃するイスラエルにもネルソン・マンデラが「魂の病」とした人種主義が色濃く投影されている。
現代パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュは、長崎原爆投下の日である2008年8月9日、心臓疾患のために亡くなった。こ
ダルウィーシュは、「迫り来る大地」でパレスチナ人の抑圧された想いと抵抗、平和への願いを次のように表している。
「私達はここで死ぬ、最後に残されたこの道で。
ここで、ここでこそ、私達の血はオリーブの木を根付かせるだろう」
(小林和香子氏訳)
長崎の犠牲者たちの声なき声は世界の平和への想いを後押ししているが、彼らにとってもグラム議員の発言や無辜のガザ市民を殺害するイスラエルのガザ攻撃はまったく容認できないものであるに違いない。
表紙の画像は上の記事より
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