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斃(たお)れなかった長崎の少女はGHQの圧力に屈しなかった -「実戦」を知らない政治家は勇ましい。

 今日は78回目の「長崎原爆の日」。鈴木史朗市長は平和宣言で、5月のG7広島サミットの核軍縮文書「広島ビジョン」を批判し「核抑止への依存からの脱却を決断すべきだ」と訴えた。

 手記「雅子斃(たお)れず」は、柳川(旧姓石田)雅子さん(1931年生まれ)の長崎での被爆体験をつづったものだ。「若い人が読み、戦争のむごたらしさを知る一助になれば」と願い続けた。

文京太極拳羽の会 柳川雅子師範著書のご紹介 平和文庫 『雅子斃れず』 2014年8月19日(火) http://www.tokyo-taichi.jp/katudou/140709/140819bunkyohane.html?fbclid=IwAR27WsBsQi8B5DnZKyvximy-m70vFxgkxIh7hJ3QbcCcgQVvmNSZzGkogNw


 柳川さんは東京生まれだが、父の転勤で長崎高等女学校へ転校した。学徒動員され、爆心地から1・4キロの魚雷工場で被爆した。

 「雅子斃れず」のみずみずしく、平明な文章は故永井隆博士(1908~1951年)も絶賛した。「被爆から2カ月後に書かれた長崎最初の原爆文学」という評価があるくらいだ。

永井隆 「長崎の鐘」


 被爆から約1カ月後、原爆症の症状が出て白血球が急減した。長崎を離れて九州帝大病院に緊急入院し、手厚い治療を受けて回復した。

 「雅子斃れず」は当初、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で「悪魔のような原子爆弾」といった表現が反米感情をあおるとして発禁処分となった。家族が署名運動をするなど尽力して出版された。

 さらに、GHQが問題にしたのは下の箇所などだ。
「火傷で皮ふがむきだしの裸体、皮をむいた桃のような死体・・・・。 私は気が動転していました・・・・。死体、脚が大きな川を埋めていま した。・・・・親子が抱き合って其の儘焦げちじれている死体・・・・。  ああ、何と悲惨な光景でありましょう。・・・・」
「核廃絶は遠い未来の理想ではなく、近い将来に必ず実現しなければならない」と柳川さんは語っている。

 「Nagasaki: Life After Nuclear War」を2016年に著した米国人作家のスーザン・サザードさんは、”Ground Zero Nagasaki” という記事をTomDispatch.comに2019年1月17日に寄稿しているが、その中で多くの米国人が歴史の授業では、広島・長崎への原爆投下が戦争の終結を早めたと教えられるが、それにはなんの根拠もなく、冷戦時代の核軍拡を進めることに国民の支持を得るための政府の意図が背景にあり、このような政府の主張によって、広島・長崎で実際に起こったことから米国人たちは注意が向かず、いまだに核軍拡を支持する要因となっているとサザードさんは訴える。トランプ政権がロシアとの中距離核全廃条約から離脱を表明し、また1兆6000億ドルの核兵器の近代化計画をもっていることにも警鐘を鳴らしている。

米国人作家のスーザン・サザードさんの「Nagasaki: Life After Nuclear War」(2016)


 サザードさんは、真珠湾攻撃、日本の中国での残虐行為は確かにあったものの、米国は日本の66の都市を空爆し、668、000人の市民を殺害し、長崎では1945年の末までに原爆で74,000人の男女・子どもが亡くなったが、そのうち軍関係者はわずかに150人であったことを指摘し、これは現在では「テロリズム」と呼ぶべきものではないかと語る。

 永井隆博士は「我子よ、日本をめぐる国際情勢次第では日本の中から憲法を改めて戦争放棄の条項を削れと叫ぶものが出ないとも限らない。そしてその叫びが、いかにもっともらしい理屈をつけて世論を再武装に引きつけるかもしれない。そのときこそ、誠一よ 茅野よ たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けてもきっぱりと戦争絶対反対を叫び続け叫び通しておくれ!」(永井隆『いとし子よ』)と語っている。

「実戦を知らぬ将校が自己の名誉心を満足さすために、何も知らない部下を叱咤して戦場に駆り立てる傾向がありはしないでしょうか。実戦というものは残酷なものですよ。」――永井隆『長崎の鐘』

 8日、自民党の麻生太郎総裁は台湾で講演し、「戦う覚悟です。お金をかけて「防衛力」持っているだけではダメなんだ。台湾海峡の安定のためにそれを使うという意思—明確な意思を相手に伝えてそれが『抑止力』になる」になると発言した。中国との余計な緊張を招く軽率な発言で、実戦というものをまったく知らない日本人を戦場に駆り立てるものだ。21世紀になって政府・与党のタカ派的傾向がますます強まるばかりで、戦争の犠牲になった人々の体験や不戦の想いをまったく踏みにじるもので、実に愚かしい傾向が続いていると言わざるを得ない。

「人々が対立する問題に分離とか、戦争は解決を与えない。音楽でもなんでもいい。協力こそが必要で、私は楽観的だ。」 ―エドワード・サイード

 今の日本、米国、中国の政治家たちがこのような視点をもっているならば、東アジアはもっと住みよくなっているだろうに、と思わざるをえない。


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