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ローマ教皇フランシスコが称えるスルタン・カーミルとアッシジの聖フランチェスコの出逢い ―彼らは異教への敬意と共通の価値観を見出した

 NHKスペシャル「衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルとパレスチナ〜」(初回放送日: 2024年1月28日)ではイスラエルの極右政治家たちへのインタビューも行われ、彼らは「イスラエルに占領地はない」「2000年前、3000年前にはユダヤ人の国があったからここはすべて我々の土地だ」などと発言していた。パレスチナ人が暴力に訴えるのはイスラエルの理不尽な行動がまかり通り、それが一向に正される気配がない現実への反発や憤りが背景にあることは言うまでもない。イスラエルのパレスチナ人への敬意や譲歩がない限りパレスチナ問題は解決されることはないだろう。

 フランシスコ教皇は異教の人々への敬意の例としてアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ修道会の創設者、カトリック修道士:生年不詳~1226年)とスルタン・カーミル(アイユーブ朝の第5代スルタン:在位1218~1238年)の出逢いをしばしば引き合いに出し、それに現代社会の人々も倣うことを呼びかけている。

2019年は聖フランシスコとスルタン・カーミルの出逢いから800年だったのですね


 第5次十字軍が行われていた1219年、アッシジのフランチェスコはエジプトの地中海に臨むディムヤートに到着したが、この貿易と商業の中心であった都市に赴いたのは、十字軍にディムヤートに対する攻撃を止めるように説得し、異教徒のムスリムにキリスト教の和平の精髄を説明することが目的だった。しかし、戦闘を継続した十字軍はアイユーブ朝軍に敗退し、聖フランチェスコは捕らえられてスルタン・カーミル(在位1218~1238年)の下に連れていかれた。

アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群 ウィキペディアより


 十字軍を撃退したアラブの英雄サラディンの甥であるスルタン・カーミルは、学芸を愛好し、寛大で、高潔な人物として知られていた。ディムヤートの戦いでも十字軍に対して講和を数度にわたって申し入れていた。エジプトでもクリスチャンの扱いに寛容だったスルタンは、ヨーロッパ側の史料でも十字軍の捕虜を人道的に扱っていたと書かれている。当時のエジプトではムスリムもクリスチャンの礼拝の場を同じくする場合もあったとされるほどムスリムとクリスチャンは同じ社会の中で融合、共生していた。

よろしくお願い申し上げます。


 聖フランチェスコは、スルタンと彼のイスラム神秘主義の師であるファフル・アッディーン・アル・ファーリスィーと会談した。会談は1219年9月1日から26日まで行われたが、聖フランシスコはスルタンがキリスト教に改宗することを望んだが、しかしスルタンが神をよく理解し、神への愛に優れた人物であり、価値観を共有する人物であることを知ると、宗教間の対話こそが平和をもたらす道であることを同時代や後世の人々に伝えることにした。

サンフランシスコの語源は聖フランチェスコにある https://nialldavid.com/commercial/landscapes-cityscapes-photography/?fbclid=IwAR0Ge1ytvGmGGDbequoZd7cessHfrDI8BCwp_wLnNtHWO8BlOz_oBLBHgqk


 ディムヤートは、地中海の主要な貿易港で、アフリカ、アジア、ヨーロッパから商人たちが行き交い、カトリック文化にも触れる機会が少なからずあった。商業や貿易の他にも、ディムヤートがある地中海地域は11世紀から13世紀にかけて学芸や文化の交換が頻繁にあり、スルタン・カーミルは様々な背景や宗教の人と交流があり、学識のある人々との対話を好んでいた。

 十字軍の戦いがある中で聖フランシスコとスルタン・カーミルが対話を行ったことは、暴力の行使がいかに無益か、力による勝利がいかに幻想的で、空しいか、敵を倒すことによって得られる平和がいかに脆く、はかないかを伝えるものでもあった。

 スルタン・カーミルが心酔していたイスラム神秘主義は神への愛に身を捧げること、神との合一(ファナー)になること、神についての神秘的知識(マリーファ)の三つの要素を統合する宗教思想だ。イスラム神秘主義は、多様性は神の人類に対する慈悲・恩寵などという解釈も行うが、こういう神秘主義が本来もつ平和思想も、スルタンの聖フランシスコとの対話や相互理解の背景とり、また清貧を重んずるイスラム神秘主義の価値観も、同じく質素な生活を送る聖フランシスコに通じるものがあった。

 のちにスルタン・カーミルは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とジャッファ条約を結び、エルサレムをめぐる和平を成立させた。フリードリヒ2世が亡くなると、その遺骸を包んだ衣装にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」とスルタン・カーミルを称える刺繍がされている。

私は愛の宗教を告白する。
愛の隊商がどこに向かおうとも、愛こそが私の宗教であり、信仰である。
イブン・アラビー(聖フランチェスコとスルタン・カーミルと同様に12世紀から13世紀を生きたイスラム神秘主義の思想家)


イタリアの女優 モニカ・ベルッチ



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