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現在のイスラエルで復活する「マダガスカル計画」という民族浄化措置

 イスラエル政府はガザ住民たちの再定住先を議論し始め、アフリカのコンゴも移住先として両国政府の間で協議されているという報道があった。イスラエルがガザ住民たちの意思に反してガザ住民たちの強制移住を始めようとしたら、明白な人権侵害、民族浄化の措置で、国際社会は断固として抗議し、実行させてはならないことは言うまでもない。

コンゴ  ーイスラエルはガザの住民たちにこの国に移住させることも考えている https://www.flickr.com/photos/141515516@N07/43163058871


 イスラエル国家のイデオロギーであるシオニズムは、パレスチナ住民に対するアパルトヘイト、彼らを二級市民として扱うことなど多くの点でナチズムに似ていることが指摘されている。コンゴへの移送という話に接して、ナチス・ドイツによるユダヤ人のマダガスカルへの強制移住政策、通称「マダガスカル計画」を思い出してしまった。

 ナチス・ドイツはドイツ領からのユダヤ人の放逐を実行したが、しかし領土拡大政策や第二次世界大戦の緒戦の勝利によるナチスの他国の占領などに伴ってさらに多くのユダヤ人たちをその支配下に抱え込むことになった。ドイツは、1938年3月にオーストリアを併合し、さら同年9月にチェコスロバキアのズデーテンラントを自国領土とした。1939年3月には、現在のチェコ共和国であるボヘミアとモラヴィアへの支配を確立した。

マダガスカルで有名なのはキツネザル https://kids.nationalgeographic.com/geography/countries/article/madagascar


 ドイツが1939年9月1日にポーランドに侵攻すると、ユダヤ人問題は、火急に考慮しなければならない問題となる。ドイツとソ連によるポーランド分割が完了すると、ドイツは新たに200万人のユダヤ人をその支配下に置くことになった。ドイツは、ユダヤ人をアフリカ東方に浮かぶマダガスカル島に送ることを考えるが、しかし、マダガスカルに至る航路は戦争状態にあって、またナチスにはユダヤ人たちを大量に運ぶ輸送力もなかった。この計画は実現性がないものとして放棄されることになったが、その経緯は次の通りだ。

マダガスカル https://www.oooh.jp/magazine/madagascar_culture-and-customs/


 ナチスのユダヤ人問題の最終的解決とは当初彼らを大量にヨーロッパから移送し、排除するというものだった。ユダヤ人のヨーロッパからの排除はドイツ、フランス、ポーランドの協議によって進められていた。ユダヤ人を嫌っていたのが第三帝国のドイツだけではなかったことがわかる。1938年12月、フランスのジョルジュ・ボネ外相はドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣に、フランスから1万人のユダヤ人難民を取り除くには、ユダヤ人難民を他の国に移送する必要があると伝えた。

 1938年3月5日、親衛隊将校のアドルフ・アイヒマンは、保安警察(SIPO)長官ラインハルト・ハイドリヒにドイツ・フランス・ポーランド間で交渉されてきた外交問題の解決策に関する資料「マダガスカル計画」を提供するように命ぜられた。この計画は1940年6月にフランス政府がドイツ占領によって崩壊すると、いっそう進められることになった。アイヒマンは、フランス植民地省から寄せられたマダガスカル島と、その植民地化の可能性に関する公式な報告書を作成した。この計画は4年間に400万人のユダヤ人たちをマダガスカルに移送し、巨大なゲットーを創設し、警察機能も置くというものだった。財政的にはヨーロッパのユダヤ人から没収した財産や世界のユダヤ人からの資金提供によって、移送やマダガスカルでのゲットーが運営されるものとされた。

アマゾンより


 マダガスカル計画は1940年8月に正式に第三帝国政府によって承認されたが、ナチス政権はもう一つのユダヤ人の最終解決の方途、つまり強制収容所への移送、労働、処分を進めていた。1942年1月にユダヤ人の絶滅を決定したヴァンゼー会議の数週間後に「マダガスカル計画」は正式に棚上げされ、ユダヤ人たちを「東部に避難」という表現が彼らの最終解決について用いられるようになった。

ヴァンゼー会議が開催されたヴァンぜー湖畔の山荘 2001年2月


 昨年10月に始まるガザ攻撃でもイスラエルは「住民の避難」という言葉をしきりに用いたが、実際は「避難」の中で多数の住民が攻撃され、犠牲になった。イスラエルは東エルサレムでも民族浄化措置を行い、イスラエル人入植地は拡大し、パレスチナ人の住宅は取り壊され、パレスチナ人の放逐も行われてきた。ナチス・ドイツの言語は、自らが「最高」「この上もない」ことを誇るものだった。ナチス政権が成し遂げたことは、最善、最も偉大で、歴史的で、比類なきものだということが強調されたが、いまのイスラエルの極右の言語もまったく同様な響きをもっている。

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