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フーシ派が日本を攻撃する? ―「日本はガザを支援していない」

 イエメン・フーシ派のアルブハイティ幹部は「日本のようにガザの人々を支持していない国々は、神の罰を受けることになるだろう」とテレビ朝日の取材に答えた。(22日付ニュース)この発言で思い出すのは1973年の第4次中東戦争で日本のパレスチナ問題への取り組みが消極的だという理由で日本はアラブの「友好国」と認められずに、石油減産の影響を被るという警告を受けたことだ(=第一次石油危機)。

第一次石油危機 https://diamond.jp/articles/-/298015

 日本の田中角栄政権は慌ててイスラエルの全占領地からの撤退を求めたり、パレスチナ住民の合法的な権利を認めたりするという声明を出し、「友好国」に含めてもらった。それ以来、日本政府はパレスチナの民族自決権を認める立場を取ったのが、近年になると、パレスチナに援助を与えつつも、イスラエルとの防衛協力やワーキングホリデー制度の確立などイスラエルに傾斜する姿勢も目立つようになっている。

 10月7日のハマスの奇襲攻撃があってから岸田首相はイスラエルの国際人道法に違反する攻撃を非難することなく、「ハマスのテロ」を強調する姿勢が目立っている。イスラエルの攻撃で甚大な被害が出てもなおガザの人々がハマスを支持するのは、イスラエルがパレスチナ国家樹立を平和的な手段ではいっこうに認める気配がないからだ。

22日のテレビ朝日「ワイドスクランブル」より

 フーシ派の運動はイエメン北部のシーア派ザイド派の復興運動から発展したものだ。フーシ派の運動は自らを「アンサール・アッラー(神の支持者)」と自称し、フーシという名前は運動の創始者サイン・バドルッディーン・フーシ(1959~2004年)の名前をとってフーシ派と呼ばれるようになった。

 イエメン北部のザイド派の活動は893年に始まったと見られている。ザイド派はシーア派の中でも少数宗派だが、イエメンでは発展し、目立つ宗派となった。

 ザイド派の人々が反発したのは、イエメン共和国体制下で、サウジアラビアの国教であるワッハーブ派の影響が彼らの社会に浸透するようになったことだった。1980年代初めイエメン北部のサアダ県でワッハーブ派の神学校が建設されると、ザイド派には脅威と感ぜられ、彼らはザイド派のアイデンティティーに目覚めていった。1990年代に南北イエメンが統一されるとザイド派ではアル・ハック(真実)党が結成される。

22日のテレビ朝日「ワイドスクランブル」より

 ハック党の議員の中で最も顕著な活動を行ったのは、既述のフサイン・バドルッディーン・フーシだった。彼は1997年に議会を離れると、「信仰する若者(アッ=シャバーブ・アル=ムウミン)」を起ち上げ、宗教教育、社会福祉活動などを熱心に行った。

 サレハ政権がアメリカのブッシュ政権のイラク戦争を含む「対テロ戦争」を支持するようになると、フーシの「信仰する若者」はサレハ政権を批判するようになり、「アメリカに死を!、イスラエルに死を!、ユダヤに呪いを!イスラムの勝利!」というイランと同様なスローガンを叫ぶようになる。サレハ政権は2004年6月にフーシの運動の弾圧に乗り出し、フーシに逮捕状を発行した。同年9月、フサイン・アル・フーシ(フサイン・バドルッディーン・フーシ)はイエメン軍に殺害され、運動の指導者は父、そして弟のアブドゥル・マリク・アル・フーシに移っていった。

イエメン内戦をめぐる構図 https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/nms/news/285979

 2011年に「アラブの春」が起こると、イエメンでもサレハ政権の打倒が叫ばれ、2012年2月、サレハ大統領はハーディ副大統領に権力を移譲して退陣した。2014年7月にハーディ政権が燃料への補助金を削減すると、大規模な抗議運動が起こり、これに治安部隊が発砲すると、フーシ派の反乱が起こり、同月末にフーシ派は首都サナアの一部を占領した。翌年1月にフーシ派は大統領宮殿を制圧して、ハーディ大統領は辞任を余儀なくされた。

2019年9月、各地を攻撃されてサウジアラビアもフーシ派との和平に向かっていった https://www.tokyo-np.co.jp/article/27334

 2015年3月からサウジアラビアが軍事介入を行い、ハーディ前大統領はサウジアラビアに亡命した。フーシ派の経済基盤は港湾都市のホデイダを掌握していることにある。ホデイダ港の貿易収入はフーシ派が独占していた。ホデイダ港はまた国際的な支援物資の搬入の窓口であっために、国連がサウジアラビアなど有志連合軍とフーシ派の間の和平調停を行い、2018年12月に停戦が成立した。

 フーシ派は10月7日のハマスの奇襲攻撃にイスラエルが徹底的な空爆などの攻撃を加えると、反イスラエルと神の支持者であることを強調するようになり、ミサイルやドローンをイスラエルや、バーブ・エル・マンデブ海峡を通行する船舶に向けて発射するようになった。船舶に対する攻撃は世界を震撼させ、フーシ派はこれらの攻撃によってアラブ世界での存在感を示し、その統治の正当性を訴えた。またイエメン和平の有利な条件を引き出そうとしている。しかし、同時にフーシ派の攻撃は米英軍の攻撃を招き、フーシ派はアメリカによって「テロ組織」に認定された。

表紙の画像は「「フーシ派」と言っても実質的にはイエメン軍だ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/eeaab97d0188072c44c3d45b1116b1ee417a0008

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