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「無関心は常に敵の友」 ーエリ・ヴィーゼル

 ノーベル平和賞作家のエリ・ヴィーゼルは「無関心(indifference)」について次のように述べた。

夜 エリ・ヴィーゼル 村上光彦訳 1996年/みすず書房 http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=193526


「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。美の反対は醜さではなく、無関心です。信仰の反対は異端ではなく、無関心です。そして、生の反対は死ではなく、生死に無頓着なことです。」
「無関心とは始まりではなく、終わりである。それゆえ、無関心は常に敵の友であり、攻撃者の利益となるものである──決してその被害者の利益とはならない。」

 ヴィーゼルは、ルーマニアの首都ブカレストの北西400キロ、ウクライナとの国境に接したマラムレシュ地方のシゲットの町でユダヤ人の家庭に生まれた。マラムレシュ地方はルーマニアとハンガリーの間で帰属が変わるところで、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリーが敗北すると、ハンガリー領からルーマニア領(一部はチェコスロヴァキア領)となり、さらに第二次世界大戦中の1940年、ナチスが支援するウィーン裁定で再びハンガリー領となった。第二次世界大戦後にルーマニア領に帰属することになった。マラムレシュ地方の木造聖堂群はユネスコの世界遺産にもなっている。ヴィーゼルはナチスのホロコーストを生き延び、暴力や圧政、差別を告発し、ノーベル平和賞を受賞した。

ルーマニア 伝統衣装 https://www.pinterest.jp/pin/439804719852628885/


 反ナチ運動組織である告白教会の指導者であったマルティン・ニーメラー(1892~1984)も次のように語った。

「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

 若者たちの政治離れが指摘されるが、無関心が国の行く末を危うくしないことを望む。

ルーマニア 女性 https://www.pinterest.jp/pin/454159943661488079/

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