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鈴木瑞穂さんが唱えた平和の国・日本

 俳優・声優の鈴木瑞穂さんが亡くなった。
 1927年に日本の植民地だった朝鮮の「新義州」に生まれ、朝鮮が日本の植民地であることに何の疑いももたなかった。軍国少年は江田島の海軍兵学校に入り、人間魚雷「回天」で死ぬしかないと思っていた。被爆後の広島を訪問するなど日本の戦争の惨禍を実感する。敗戦後、京都大学経済学部に入学し、河上肇の「貧乏物語」で経済の仕組みを知ったという。憲法9条に接すると、こんな考えがあったのかと驚き、涙した。京大在学中、劇団民藝の「カモメ」を観て人間の喜怒哀楽を描いた芝居に感激して、宇野重吉に誘われて大学を中退して民藝に入る。劇団銅鑼を設立して主宰するようになった。


 岐阜・九条の会で2016年12月に講演をした際に「9条を守ることではなく、広めよう。9条に反対する(憲法を改正しようとする)人たちの間に入って、話し合うことだ」と述べて話を結んだ。

遙かなる山の呼び声(映画) 高倉健のお兄さん役だった https://cardiac.exblog.jp/28909318/


 2018年の終戦記念日の前日「毎日新聞」で<日本は戦力を放棄する。もう二度と戦争をしない、と書かれている。なぜこんなにやさしい言葉で、一人一人の人間に愛情を注げる憲法が生まれたのか。感動したというより、未知のものを見た驚きがありました。兵学校の2、3期上は戦地に赴き、無残に死んでいった。この憲法は、戦争で死んだ人たちの遺言に思えたのです>と語っている。

アマゾンより


 ヴァイツゼッカー氏の演説「過去に目を閉ざす者は、現在にも目を閉ざす」にも感銘を受けていた。
過去に目を閉じる者は現在に対しても目を閉じる。
非人道的行為の記憶を拒むものは誰であれ、
再び同様な危険を冒すことになる
―リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

 「歴史から何を学び、現在及び将来にどう生かすか」ということは一つの重大な命題である。我々は日常生活で何か大きな出来事に直面した場合、自らの経験だけでなく、過去の類似した出来事を参考にその問題に対処することもある。しかし最近の有権者の政治意識のようにごくごく近い過去を忘れてしまうのでは、過去の過ちが際限なく繰り返されてしまう。鈴木さんはその危険をずっと指摘されていたと思う。

 集団的自衛権を確立した安倍元首相は日本の過去から目を背けるように、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。」と述べ、また「戦後レジームからの脱却」を唱え、中国の脅威を強調していた。今の岸田政権もそれを引き継ぎ、防衛費倍増、反撃能力と緊張のほうに大きく舵を切り、ナショナリズムに訴え、防衛産業を潤すかのように軍備を拡大し、軍国主義化していった戦前の歴史に学んでいないかのようだ。

安倍元首相の歴史認識 https://www.nikkei.com/article/DGXNZO55211600Z10C13A5NN9000/


 ドイツのヴァイツゼッカー元大統領は、「国民に求められるのは、民族や祖先を讃えるのではなく、国家を信頼に足るものとすることである」と述べたが、二つの大戦を引き起こしたイデオロギーであるナショナリズムの行き過ぎを戒めた言葉だった。敗戦国であるドイツはヴァイツゼッカー元大統領の言葉にも見られるように、事あるごとに戦争の歴史に対する省察を行ってきた。日本は十分な歴史的省察を行ってきたのか、またヴァイツゼッカーの言うように、日本人は国家を信頼に足るものとする努力をしてきたのか、鈴木さんの訃報に接してその思いをあらためて強めざるを得ない。

日本政府は常に歴史の負の部分を薄めてきた https://www.tokyo-np.co.jp/article/168575


 政府は、28日、広島への原爆投下について記録した写真1532点と映像2点をユネスコの「世界の記憶」に登録するよう推薦することを決定した。岸田首相は「2025年春の登録に向けて取り組んでいきたい」と述べたが、ニューヨーク国連で開かれた核兵器禁止条約の第二回締約国会議にはオブザーバー参加すらしなかった。被爆地・広島選出の岸田首相には筋が通った姿勢が見られず、本当に広島の歴史と向き合っているのかと思ってしまう。


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