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シルクロードは戦争ではなく、生活でつながっていた

この世の栄光を誇るなかれ、私たちの存在は短い
お前は留まることなく、必ず通り過ぎる、お前は永遠でない
死という献酌官がお前に透明な飲み物を運んでくる
自らが死の盃にすがりつく、お前は永遠でない
この世は砂上の砦、時は文字をも消し去る
永遠に続く混濁のなかで一切はその価値を失う
かつて生命が栄えたところもいまは死の砂漠と化している
過ぎし日の牧民の宿営地もいまは消えた、お前は永遠でない
別離はつらい、別れる人たちは嘆き悲しむ
お前が若く力強いとき、正しく慈悲深くあれ
お前のいのちに火がともされ、熱く燃えるだろう
そしてたいまつのように燃え尽きるだろう、お前は永遠でない

 この無常観を鮮明に表現する作品は、考古学者で、シルクロードの研究者である加藤九祚(かとう・きゅうぞう:1922~2016年)氏の著書『中央アジア歴史群像』で紹介されているトルクメニスタンの国民的詩人ともいうべきマハトゥム・クリ(1724~1807?)によるものだ。独裁的な権力を誇り、軍事でつながるロシアと北朝鮮の指導者たちが会談を行ったという報道に接してシルクロードに生きたマハトゥム・クリのこの作品が頭に浮かんだ。

慶北大学博物館に展示された新羅石仏の前に立つ加藤九祚先生。彼は「故郷の地を踏めずに70年余りの歳月が流れたが、母親が生まれた私を産湯に入れた洛東江と村の前の飛龍山の姿は一時も忘れたことがない」と話した。//ハンギョレ新聞社 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18451.html


 中東イスラーム世界では独裁者の末路は、イラクのサダム・フセイン大統領、リビアのカダフィ大佐、エジプトのムバラク大統領などみじめなものだった。プーチン大統領や金正恩総書記の権力も永遠ではなく、突然終わりを告げたり、その死後に評価ががらりと変わったりする可能性もある。独裁者たちには死んで肯定的な評価を得た者はほとんどいない。

 加藤氏は、シルクロードへの関心を次のように語っている。
 「世界は遠い昔からつながっていたということが大前提で,そのことが証明されることがうれしい。それらの人々は戦いではなくて生活の中でつながっていたということがシルクロードの肝心なことではないかなあと思っている。」

 日本の無常観とも重なるようなマハトゥム・クリの詩に接するにつけ、日本文化もシルクロードとつながっていることをあらためて知る想いだ。中央アジア・ブハラで活動したサーマーン朝(873~999年)の宮廷詩人ルーダキー(858~941年)の下の詩も同様に無常観を表している。

黒き瞳の乙女たちと楽しく生きよ
この世は幻に過ぎず、風のように過ぎ去ってしまうもの
来るべき時を楽しく迎えよ
過ぎ去った時を思い出すな 

 「発掘によって過去の考えを知りたい。」とも加藤九祚氏は語っていたが、94歳まで発掘を続けた人生はまさに素晴らしいと敬服せざるをえなかった。「シルクロードは戦争ではなく、生活でつながっていた」という言葉は中国やロシアを警戒する日本政府にも教訓を与えるものだろう。

「日本の古本屋」より


 2014年、「長安・天山回廊の交易路網」が世界遺産に登録されたが、これは洛陽・長安(現在の西安)から敦煌などを経て中央アジアに至る8700キロ、33の遺跡群が登録されたものだったが、これを受けて日韓の間で韓国、日本にこのシルクロードの遺跡群の世界遺産登録を東方に延伸することが検討された。シルクロードはロシアや北朝鮮もルート上に位置する。軍事的な対立視点だけではない交流をいずれ視野に入れてもよいはずだ。

 古代のシルクロードをなぞるかのようにインドを訪れ、仏教など東洋思想への造詣を深めていったヘルマン・ヘッセは詩作「階段」の中で次のように狭量な精神の克服を説いている。

  われわれは 朗らかに 次々と通りぬけていかなければならない、
  どの場所にも 故郷に対するような執着を持ってはならない、
  世界の精神は われわれをとらえようとも狭めようともせず、
  われわれを一段一段高め、広めようとしているのだ。



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