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日本人の背中【祭ラジオ#9】

モンゴルの首都ウランバートルでいよいよ担ぎ上げられた神輿。
多くのモンゴル人が集まってきてくれました。
神職の方も同行し、降神の儀式を行います。
神事を行う際、一体どんな気持ちで臨んでいたのでしょうか。

言葉では説明できない

お神輿は神様の乗り物なので、モンゴルで担ぎ上げる際も神様をお呼びしてお神輿にお乗りいただきます。
今回も神職の方がお神輿が担ぎ上げられる前に神事を行いました。
しかし、“神様をお呼びする”ということがどういうことなのか、言葉で説明することも難しく、一回も見たことのない現地の方に伝えることができるのかどうかが重要です。
日本人にとって大切なお神輿という文化の素晴らしさをせっかくの機会に感じて欲しいと思います。

担ぎ手が集まり神事が行われました

神主は背中で語らなきゃ

神職のりょうちゃんは、「神主は背中で語らなきゃ」と言います。
神事を執り行う以上、仕草、立ち姿、振る舞いから、“今そこに神様がいらっしゃった”と感じてもらえなければいけないと言います。
それは、言葉以上の説得力があり、神職がお神輿の前で祝詞を奏上する意味がそこにあるのでしょう。
しかしそれは、神職だけではありません。
そこにいる私たち日本人がどういう振る舞いをするのかをモンゴルの方が見ています。
真剣に向き合い、そこに本当の敬意を捧げる姿があるからこそ初めての方々もそのようにお神輿へと向かってくれるのだと思います。

スポーツやエンターテインメントではないから

精一杯声を出し、みんなで一生懸命に担ぐお神輿はとても楽しいものです。
それは団体でやるスポーツや、多くの人が集まって行うエンターテインメントの要素もあるのかも知れません。
しかし、今回の国交50周年の神輿渡御はそうではないはずです。
両国の友好と平和を願い、日本から神様をお呼びしてお神輿に乗って頂き、モンゴルに眠るご先祖様を鎮魂するものです。
そこにどんな意味があるのか。
日本人とはどんな民族なのか。
今回のお神輿に携わる人たちがどんな風に振る舞うかでその行事の価値が変わってくるのだと思います。
神事は滞りなく行われ、お神輿は、強制労働させられていた日本人が作ったスフバートル広場へと向かっていきます。

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