ある動画をきっかけに、見えているはずが、見えていないのかもしれないと思った50代
私たちが見えているものが全てではないようです
以前に、褒める達人検定3級を会社命令で受講してきたとき、
下記の動画が紹介されました
https://www.youtube.com/watch?v=P-PP35A0vHw
何回パスしているのか?を数えるのですが
パスを数えていると、ある動物が横切っていることに気が付きません
反面、一度その動物が見えてしまうと
どうやっても、その動物しか目に入らなくなります
私たちが何かを見ようとした時、
実は何かを犠牲にしているのかもしれません
〇〇を数えよう、□□に注意しようと思いながら、書類を読んだいた時
誤字脱字に気が付かなかったり、アラートに気が付かなかったり
意識して何かをしようとしている時以外でも、
実は何かを見落としているかもしれない
それは至って当たり前のように感じますが
私は、何かを見ようとしたとき、何かを犠牲にしているのかもしれない
そんな思いにいたりました
無意識のうちに何かを犠牲にしながら、何かを見ようとしている
職員間で書類の確認をしてもらったときなど
なぜあんなことに気が付かないのか?
簡単な数字を誤植しているのに気が付かなかったり、
誤字脱字は訓練なので、ある程度の経験でカバーできることも多いのですが
文字校正や数字の確認以外でも、何かに気が付かないということがある
そう思うと、積極的に確認を人に頼み、意見を聞き、
何か見落としていない?と聞きたくなります
それが組織で働くということでもあり、チーム協働の強みでもあるはずです
褒める達人検定では、この動画を使って先入観のお話がありました
こう思うと、そのようにしか見えなくなってしまう
そのものの例えてとして、動画が使われていました
何かを見た時、何かを見ようとした時、何かが見えなくなっていることを
分かっておくだけでも、生き方の厚みが増すのではないでしょうか?
このことを考えた時、ちょっと恐ろしくもなりました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?