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【小説】にじんでみえない

 チュンチュンチュン。

 デッデーポッポー。

 ううう、頭が痛い。

 飲みすぎたか…。

 体も痛い。

 変な寝方したな、こりゃ。

 うつぶせのまま酔いつぶれていた身体をなんとかひっくり返し、目ヤニで頑丈に閉じられた目をムリヤリこじ開ける。

 見慣れた天井。

 見慣れた景色。

 ちゃんと家には帰ってきたらしい。

 我ながら、酔っぱらったときのオートモードは優秀すぎて怖い。どれだけ記憶をなくそうとも、知らない天井で起きたことはないし、ましてや、(文字通りの意味での)青天井で目を覚ます、なんて、だらしないことは経験がない。

 ただ、こうして昨日のアルコールが残っていて、これはしぶとく昼すぎまで残る気がする。

 昨日は、新規に契約をした会社の担当者を接待して、二軒めで趣味が同じことが発覚して意気投合して、そのままガールズバーに行って…。うん、そこから記憶がまったくない。

 あー、喉渇いた。

 でも起きあがる気力もない。誰か水ぅー。

 ダッダッダ。

 階段をかけのぼる音がする。

 大家族の我が家のなかで、朝からこんな音を立てるのは一人しかいない。

 バンっ。

 かけのぼる勢いのまま、この部屋のドアが開け放たれる。

「おにいちゃーんおーきーて―!!!」

 侵入者は止まることなく、おれが寝ているベッドへダイブしてくる。

 グフッ。絶妙な位置に落下したそれにより、頭痛は吹き飛んで、おれは悶え苦しむ。おまえ、そこはいけない…。

「おきた?」

 無邪気な笑顔で覗きこむ少女の名は茜。おれの二番目の姉の子で、小学2年生。

 せめてもの抵抗として、近づけた顔に向かって息を吸い込み。

 ハーッ。

「うわーっおっさけくっさーい!」

 茜はキャハハハハと笑いながら、おれの上ではしゃいでいる。逆効果だった。

 身体を起こして、茜をひっくり返す。きれいな後ろまわりからの尻もちをつき、またケラケラと笑いだす。朝から元気なことで。

 うーん、くそっ。

 目がぼやけて茜の顔が見えない。

 何度もこすりつけ、視界を取り戻そうとするが、茜の顔だけピントが合わない。飲みすぎで視力が悪くなったのか?

 …?

 顔だけ?

 そう、ぼやけているのは顔だけで、茜の手や足、身体、壁に飾られたポスターに、タンス、カーテン、昨日脱ぎ捨てたであろう床に散らばるスーツの残骸ははっきりと見えている。

 これは…どういうことだ?

「どうしたの?」

 そう口にする茜に視線を戻す。ぼやけているというより、にじんでみえる、というか、なんだこれは。

 茜、おまえ、顔、にじんだ?

「おぼえてないの?」

 何を?

「ゆめ」

 夢がどうした?

「おにいいちゃんとおなじゆめみたの!」

 茜の話を要約するとこうだ。

 夢で、虹を渡ったら不思議な国に迷い込んだ。その国ではみんな、眼鏡をしないと物が見られないらしい。みんなそれぞれ、いろんな色の眼鏡をしていて、視力を補っていた。眼鏡をかけるだけでよいのだから、それほど不便もなく、みんな幸せそうに生きていた。

 でも、色眼鏡で見ているせいで、裏ではみんなお互いのことを信用していないし、悪口ばかり言って、いがみ合っていた。

 そこに、眼鏡をしない茜がやってきて、住民は大パニック。なにせ、茜は眼鏡をしなくても、はっきりと物が見えるのだ。

 そのうえ、悪口はいけない。仲良くしなきゃだめ。なんてことを言うものだから、それで成り立っていた人たちは混乱。

 事態を重く見た国王は、茜を捕まえ、ムリヤリ色眼鏡をかけさせようとした。

 そこにおれが颯爽と現れ、演説を始めたのだ。

 この国の人たちは、眼鏡をしないと物が見れないのではない。物を見ようとしていないだけなんだ。じぶんの都合のいいようにしか見ようとしないから、ピントが合わなくなっているんだ。

 国王は国王派の貴族だけを、貴族は贔屓の商人だけを、商人は金払いの良い顧客だけを、庶民は都合のよい相手だけを…。そうやって、みんな、現実を見ようともしない。

 本当は、見えないところで苦しんでいる人がいるのに。

 見えないところで膿がひろがり、この国を蝕んでいるのに。

 今こそ、その色眼鏡を外して、現実を直視するときではないのか!

 脱げよ国民!ダーツメガネ!

 脱眼鏡を謳ったおれの言葉に、国王をはじめ、国の人たちは目を覚まし、次々と眼鏡を外していった。

 蛇足だが、国王はその後、裸眼の王様と呼ばれるようになったらしい。

「おにいちゃん、ありがとう」

 こいつも立派になったもんだな。

 いや、最初から立派だったのかも。

 色眼鏡で見ていたのはおれも同じだな。

 姉ちゃんが離婚して、出戻りで家に帰ってきて。親父もお袋も、孫を甘やかしてきた。そのせいでナマイキに育った。が、手を焼くことは少なかった。

 もともと、駆け落ち同然で家を飛び出して、音信不通だった姉。

 相手の男がどんなやつか、おれはよく知らないけど、温和な両親ともに結婚に同意しなかったんだから、なんらかの問題があったのだろう。

 事実、結婚後はDVを受け、こどもが出来てからはロクに家に帰らなくなったらしい。こどもに手を出されるのを危惧していた姉にとっては、良いことだったのかもしれない。そんなある日、旦那は交通事故であっけなく死んだ。

 稼ぎだけはよかったDV夫を失くし、専業主婦の姉は、両親に頭を下げた。

 両親は姉親子を受け入れた。

 こいつはこいつなりに、人の顔色をうかがって生きてきたんだろう。

 うちはただでさえ、特殊な家庭だ。

 一番上の姉は根っからのアイドルオタクで、結婚する気はさらさらなく、推し活に人生を捧げている。

 長男はその昔、グレにグレて、少年院に入ったのち更生。今ではこの街でナンバーワンのホストとしてブイブイ言わせている。が、実はゲイで、今の彼氏は店のチェリーボーイらしい。

 次女は前述のとおりの出戻りシングルマザー。

 三女である妹はこどもが大好きらしく、茜にべったりだ。将来は結婚したくないがこどもは欲しいらしい。最近、精子バンクについて調べだしている。

 末っ子の弟は女の子が大好きすぎて、ある日、突然、妹になった。

 次男のおれは、酒クズであることを除いて、ふつうだろう。ふつうに大学出て、ふつうに働いて、ふつうに彼女もいたし(いまはいないけど)、言っちゃなんだがまともだ。

 どうしたら、穏やかで物静かな両親から、こんなにエキセントリックな子どもたちがうまれるのであろうか。

 聞くところによるとお袋はとある元財閥の御令嬢だったらしく、平社員だった父と結婚するため、実家とは縁を切ったらしい。

 これは噂好きの、父方の叔母さんから聞いた話だ。

 事実、母方の実家に行った記憶はないし、その話は我が家ではタブーだ。

「おもいだした?」

 そうだった。二日酔いで頭が痛いんだった。

「ちがう」

 そうだ、茜と夢の話をしていたんだった。

 相変わらず、茜の顔はにじんでみえる。

「それでね、おにいいちゃんもメガネはずせっていわれてたんだよ」

 いやいや、おれはメガネかけてないから。

「でも、おにいちゃん、おめめのなかにメガネしてるっていってたよ」

 …あ、コンタクトレンズのことか!

 あー、なるほど、コンタクトつけたまま寝ちまったのか。それでこんな視界がぼやけてみえるんだな。しまったしまった。

 おれはコンタクトを外した…いや、見えないけど?そもそも、コンタクトつけたまま寝たからって、顔だけにじんでみえるわけないだろ!

「みえた?」

 見えない。にじんでは、見えるけど。

「まだちょくしできてないのかなあ」

 何を。なんで。

「あかねのおかお、きらい?」

 ちが、ちょっと待て、そんな顔するな。いや、どんな顔してるか、にじんでみえないけど、たぶん泣きそうな顔してるだろ?ああ、頭痛い。

 茜。すまんが、一人にしてくれるか。ちょっくら、寝て、夢のなかで視力取り戻してくるわ。

「あかねもー!」

 こうしておれは、視力を取り戻す夢を見るため、布団に潜り込むのであった。

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