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いじめの一つの判断基準

良く言えばスキンシップ。悪く言えばただの暴力。
小突いたりとかの身体的暴力でも良いし言葉の暴力でも良いけど、そういう行為(以下、「加害行為」)について、得てして「冗談じゃねえか。そんなのでいちいち怒るなよ」と言われたり、逆に「相手が実際に傷ついている以上は冗談では済まない」と言われたりで、意見が分かれるものだ。

やっている本人も、心底からいじめの自覚などはなく、単なるスキンシップのつもりでいたりする。

私は、そういう加害行為が冗談で済むか済まないか、いじめになるかどうかの判断基準として、加害者の側に
「相手からの反撃を、当然に受け入れる姿勢があるかどうか」
「相手が心底から嫌がっていたら、すぐやめる姿勢があるか」
というのがあると思う。

学生時代から通して、私に対して加害行為を行ってきた者たちのやってきたことは、その基準に照らせばどれも冗談で済むものではなく、いじめに該当するものだった。
被害者たる私からの反撃を受け入れる姿勢なんて、どこにもない。もう少し言い換えると、自分だけは決して指1本触れられる反撃すら受けないように、絶対安全に振る舞う姿勢しかないのだ。

そのやり方の例は次のようなものだ。

  • 背後から強く叩いてきて、私が気付いて振り向いたら、走って逃げていく。もちろん、私が走っても追いつかせないような速さでだ。追いつけないことをもって、足遅せえなと罵る目的もある。

  • 複数人がいるときに、誰がやったか分からないように、後ろから石を投げてきたり叩いてきたりする。犯人が名乗り出る事は、もちろんない。

  • その他、物を隠すなど、程度の軽重に関わらず、誰がやったのかを分からないようにして行う加害行為全般。

  • 会社で上の立場にいる先輩上司が、部下が反撃できないことを計算に入れた上で加害行為を行う。

これら、相手の反撃を許さないよう振る舞って行う行為は、いじめではあっても冗談では済まされないと考える。その最大の理由は、相手を対等とみなす姿勢がどこにも見受けられないことだ。
多少暴力的な行いであっても本当に友好的なスキンシップなら、その場から逃げたり誰がやったかを不明にしたりしないはず。そして被害者がもし反撃してきたなら、一切逃げずに当然に受け入れる姿勢がある。というより、反撃されて相互コミュニケーションが成り立つことを前提にするはずだ。

だから、たとえ反撃をさせているようであっても、そこから更に強く攻撃して、相手が反撃できなくなるまで心を折ろうなどとしているなら、それは当然いじめだ。

私が彼らのそういう行為について、最も許せない事は、暴力とかいう行為そのものではない。それよりも、相手を対等として見ていない、格下としか見ていないということだ。

ああいう連中は「やられる相手は一方的に暴力を受ける立場であって、やり返す立場などではない。自分は、一方的に安全圏から相手をいたぶるだけの立場だ。」という考えでいる。
そういう姿勢でいる以上、たとえ彼らに自覚がなかったとしても、そこに友情なんてない。一方的な隷属関係ばかりが前提にある。

漫画なんかで、弱い生徒から物を取り上げて、パスパスとかやって返さないといういじめ・からかいがあるだろう。
私もそれをやられたものだが、それがまるで冗談で済まないものになる境界線は、その取り上げたものを、相手が少しでも心から嫌がっているとなったら即座に返す姿勢があるかないかだ。
返すくらいなら最初からやっていないだろうというのはあるが。

私が学生時代に苦しめられた連中は、私がどんなに心底から嫌がる態度を露骨に見せても、絶対にそういういじめ、行為を途中で止めなかった。
そして彼らにはいじめの自覚もあまりなかったようだった。だからといってそれが冗談で成立していたと言うことには全くならない。

彼らには、相手の反撃を受け入れる姿勢などない。相手が心底から嫌がっていたら、途中であっさり止めるなんて姿勢も、もちろん全くない。
自分たちが一方的に安全圏から、飽きて飽きて飽き果てるほど相手をからかい尽くすまで、絶対にやめない。相手がどんなに傷つこうが、そんな事は一顧だにする気もない。そういう最低極まりない連中だ。


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