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探究とは何か?―ジョン・デューイ【百人百問#024】

最近はよく「探究とは何か」について考えることが多い。
というのも、「Inspire High」という教育サービスの立ち上げに参加して、そのカリキュラムやプログラムを考えているからだ。

全国の10代向けのこのサービスは、世界中の面白い大人たち(”ガイド”と呼ぶ)にオンラインで出会い、その人たちの生き方や価値観に触れるというものだ。それだけではなく、オンラインワークショップのような機能もあり、ガイドに関連するお題が出ることで、10代は積極的に自分の考えを"アウトプット"することができる。

参加者のアウトプットはお互いに見ることができ、コメント機能によって"フィードバック"をお互いに送り合うこともできる。このガイドトーク、アウトプット、フィードバックに加え、リフレクションがセットになったプログラムになっている。

現在、様々な教育サービスが、日本の学習指導要領の大きな改訂を契機に生まれていっている。2017-18年に出された学習指導要領の第8回全面改訂において、日本の教育方針は大きな方向転換を行った。

主なポイントとしては、小学校、中学校での「道徳」の必修化、高校での「理数(探究)」と「総合的な探究の時間」という科目の追加である。小学校は2020年から、中学校は2021年から、高校は2022年からの実施となった。このタイミングに合わせて、Inspire Highもその他の教育サービスも続々とローンチされたのである。

と同時に、デジタル化の波も大きくなり、GIGAスクール構想や一人一台端末の取り組みなども相まって、データの活用、教育DX、MEXCBTなどがキーワードとなり、いわゆるEdTechの黎明期になっている。

ちなみに、いわゆる「ゆとり教育」が加速したのは第6回の全面改訂時であり、2002年頃から授業数の削減や円周率3などが展開されたが、2012年前後に実施された第7回改訂によって脱ゆとりの路線に戻っている。

今回の第8回改訂の方針は「生きる力」の育成である。文科省のホームページにはこう記載されている。

学校で学んだことが,子供たちの「生きる力」となって,明日に,そしてその先の人生につながってほしい。
これからの社会が,どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。
そして,明るい未来を,共に創っていきたい。
「学習指導要領」には,そうした願いが込められています。

文部科学省HPより

この生きる力に対して、「資質・能力の3つの柱」が必要になると定められている。その3つとは、「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」である。

ただし、これは日本のオリジナルではなく、アメリカのカリキュラム・リデザイン・センター(Center for Curriculum Redesign、CCR)が作成した「4次元の教育」がもとになっているという。

この4次元とは、「ナレッジ(知識)」「スキル」「アティテュード(人間性)」「メタ学習」であるが、最初の3つが3つの柱にほぼ変換されている。

つまり、今回の学習指導要領の改訂をざっくりまとめると、「生きる力を育むためにも、ナレッジとスキルとアティテュードを備えよう」ということになる。

そして、そのためにどのように学ぶのかと言うと、ゆとり型でも詰め込み型でもなく、「探究型」の学びが効果的だとしている。学習指導要領の中では「主体的・対話的で深い学び」と呼んでいるものだ。

「1.主体的」に自ら関心を持ち、「2.対話的」にチームや地域の人々と共に、「3.深く」自分なりの問題意識で回答を導き出す、ということを意味する。これが「探究的学び」とか「アクティブ・ラーニング」などと呼ばれているものである。

日本がこのような教育方針の転換を行ったのは、ようやくというものだ。
そもそも戦後の詰め込み教育への批判から、この探究的な学びは生まれている。批判というよりも、そもそも戦後の高度経済成長にとっては知識を蓄え、言われたことをしっかり実行し、みんなが横並びで前進することが求められていた。

この方針転換について、中央教育審議会(中教審)は2021年1月26日に「答申」を公表している。「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(答申)」というタイトルの文書である。

タイトルに「令和の日本型学校教育」とあるが、それは「過去の日本型学校教育」との対比で表現されている。

「答申」は冒頭において「社会の変化が加速度を増し、複雑で予測困難となってきている中、子供たちの資質・能力を確実に育成する必要があり、そのためには、新学習指導要領の着実な実施が重要である」と綴り、過去の教育方針をこう振り返る。

我が国の経済発展を支えるために,「みんなと同じことができる」「言われたことを言われたとおりにできる」上質で均質な労働者の育成が高度経済成長期までの社会の要請として学校教育に求められてきた中で,「正解(知識)の暗記」の比重が大きくなり,「自ら課題を見つけ,それを解決する力」を育成するため,他者と協働し,自ら考え抜く学びが十分なされていないのではないかという指摘もある。

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して、p8

この反省をもとに、次の時代の教育に進むべきであることを強く示している。

多くの課題がある中,令和時代の始まりとともに,「新学習指導要領の全面実施」,「学校における働き方改革」,「GIGAスクール構想」という,我が国の学校教育にとって極めて重要な取組が大きく進展しつつある。国においては,こうした動きを加速・充実しながら,新しい時代の学校教育を実現していくことが必要である。

同上、p13

上記に挙げた新学習指導要領とGIGAスクール構想に加え、学校の働き方改革を合わせた3つの軸をもとに、教育改革を進めていくべきだと書いている。

ちなみに、この答申で強調している方針としては、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の2つである。前者が個人の学びについてであり、後者がチームや教師や地域との集団での学びである。

個人はより個別最適化し、学習進度や興味関心によって学びを深め、チームワークや多様性を前提とした集団での学びができることが重要であると強調している。

各学校においては,教科等の特質に応じ,地域・学校や児童生徒の実情を踏まえながら,授業の中で「個別最適な学び」の成果を「協働的な学び」に生かし,更にその成果を「個別最適な学び」に還元するなど,「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実し,「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげていくことが必要である。

同上、p19

とてもお役所的な文章ではあるが、言っていることは、個人の学びと協働の学びで学びを深めましょう、ということである。この内容の詳細については、奈須正裕先生の『個別最適な学びと協働的な学び』において、ユニークな事例とともに知ることができる。

というわけで、このような状況下において、2023年になり、小学校から高校までが新学習指導要領での教育がスタートしている。まだまだ試行錯誤ではあるものの、これまでの学習指導要領の流れで言っても、10年くらいはこの方針で進むことだろう。そこにどうInspire Highが最善な学びのスタイルを築けるかが、個人的な課題になっている。

さて、実は日本でのこのような「探究的な学び」は初めての動きではない。大正自由教育運動と呼ばれる運動が1920年代から30年代くらいに起きている。およそ100年前のことだ。

その起こりは現代ととても重なっている。明治維新後の日本では詰め込み型で画一的な教育が主流だった。富国強兵、殖産興業の名の下で、軍隊のような教育モデルが必要だったからだ。

1920年代になり、大正デモクラシーの風が吹き始めたことで、より自由で生き生きとした教育が求められるようになる。主な方針としては、子供の個性尊重、生活教育、自学主義である。まさに現代に通じるものだ。

この時期に生まれたのが、沢柳政太郎の成城小学校、小原国芳の玉川学園、羽仁もと子の自由学園などである。他にも、文化服装学院、明星学園、和光学園、奈良女子大学附属小学校などがある。

実は学習指導要領に関わらず、探究的な学びに長年取り組んできた学校は、この時期に生まれたものが多い。その教育理念がリバイバルし、時代に適応してきたのである。(個人的には2018年に閉校してしまった文化学院に興味がある。その創立に関わった西村伊作という人物がとても興味深いので、別のところで探究したい。)

さらにちなみに、この大正自由教育運動の中で、鈴木三重吉は子供の自主性を育てる童話雑誌として『赤い鳥』を創刊している。日本人がいわゆる童話と呼ぶ「シャボン玉」や「蜘蛛の糸」などは、この流れの中で育まれてくるのである。

また、この時期に導入された教育方針に「ドルトン・プラン」というものがある。アメリカの教育者であるヘレン・パーカーストが生み出したもので、この指導方針は日本で初めて成城小学校に導入され、2019年には「ドルトン東京学園」という学校も生まれている。このドルトン・プランもまた、新教育運動の流れで生まれたものであり、100年の歴史がある。

ドルトンプランとは、1908年、アメリカのヘレン・パーカースト女史が提案した教育法です。パーカースト女史は当時の学校教育の弊害に対する試みとして、一人ひとりの能力、要求に応じて学習課題と場所を選び、自主的に学習を進めることのできる「ドルトン実験室案(Dalton Laboratory Plan)」を提唱しました。

ドルトン東京学園HPより

このドルトン・プランでは「自由の原理」と「協同の原理」という2つの原理のもと、「ハウス」「アサインメント」「ラボラトリー」の3つの柱によって構成されている。詳しくは省略するが、この2つの原理もまた、個人の学びと協働の学びに通じるものだろう。

ということで、この100年の日本の教育をざっくり振り返ると、大正自由教育運動で自由な教育が謳われ、様々な学校を生み出しながらも、そこから世界大戦へ突き進んでいく。その後、総力戦体制となり、戦後新教育、逆コース、高度経済成長期の詰め込み主義へと続き、ゆとり教育、脱ゆとりを経て、現在に至ることになる。

こういうわけなので、まさしく"ようやく"の自由教育の復活に至っているのである。

さて、前置きが長くなりすぎたが、再び20世紀初頭の新教育運動に戻る。
この運動はイギリスから始まり、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、ロシア、インド、中国、日本などに広がっていった。その中でアメリカで重要な役割を果たしたのが、今日の主役であるジョン・デューイである。

デューイはアメリカの哲学者であり教育学者である。プラグマティズムの旗手としても有名だろう。そして、大正自由教育運動にも大きな影響を与え、現在の探究的な学びのルーツのような人物である。

教育学者の上野正道は『ジョン・デューイ』(岩波新書)の中で、デューイをこう表現している。

今日、教育や学びの場で広く取り入れられているもののなかには、デューイの思想にその由来や端緒、深い関連があるといわれるものが数多くある。たとえば、アクティブ・ラーニング、探究的な学び、対話的な学び、協同的/協働的な学び、問題解決/課題解決学習、生活教育/経験主義、プロジェクト学習、ラボラトリー(ラボ)の学び、学び合い/学び続ける/学びを学ぶ、振り返り/反省的思考/リフレクション、批判的思考/クリティカル・シンキング、論理的思考/ロジカル・シンキング、横断的・総合的な学習、ワークショップ、サービス・ラーニング、主権者教育/シティズンシップ教育、多文化主義/多文化教育、平和教育、環境教育、SDGsの学習、コミュニティ・スクール/専門家の共同体/学校・家庭・地域の連携とパートナーシップなどである。

上野正道『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』p.3-4

これらすべてのルーツであるというわけではないが、デューイが思想した教育は、これらと密接につながっているし、現代の多くの教育者もデューイの思想を参照している。

19世紀末から20世紀初頭において、新教育運動が隆盛したことは先ほども述べた。教師や教科書中心の「旧教育」に対して、子ども中心の「新教育」を掲げる新教育運動は、18世紀から19世紀前半のジャン=ジャック・ルソーやヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ、フリードリヒ・フレーベルらの思想にさかのぼる。

その時代、旧教育においては、アメリカではドイツのヘルバルト主義というものが流行していた。ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは「教授のない教育は無い」と主張し、教育における単元学習の基礎を築いた人物である。いわゆる外部にある知識をどう身につけるかということに重点が置かれている。

これに対してデューイは『意思の涵養に関係する興味』において、ヘルバルト主義が本質的に「校長の心理学」であり、「子どもの心理学」ではないと指摘している。またここで、デューイは「興味」について論じている。

「興味」とは、教師にとってのものではなく、子どもにとってのものである。「興味」はそれ自体、教育の「目的」ではないが、教育においては「興味の背後」にあり、「興味を引きおこす条件」を把握することが重要であり、それには子どもの存在全体から態度、プロセス、自主性をはぐくみ、持続的、知性的な意志を育てることが大切である

上野正道『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』p.31

旧教育では「興味」に重点はなく、知識をいかに効率よくインストールするかが問われていた。デューイはそれに対して「子ども」を主語にした。旧教育に対して、こう綴っている。

四〇人の子どもたちが来る日も来る日も同じ本を読み、同じ課業を練習し暗唱していることを想像してみよう。このことが、およそ大部分の子どもたちの活動を構成し、そして勉強の時間に何かを覚え、暗唱の時間にそれを復唱できるかという観点から絶えず評価される、ということを想像してみよう。そこには、いかなる社会的、道徳的な分業の機会もないに等しい。それぞれの子どもが他者の成果にかかわり共通の蓄積に貢献し、なおかつ自分にとって固有な何かを生みだすような機会は、与えられていない。すべての子どもは、まさに同じ作業をおこない、同じ結果を得るように仕向けられている。そこで、社会的精神が涵養されることはない。実際、この方法が採られるかぎり、それは、活用されないので、退化してしまう。

『デューイ著作集 6』より

まさに「答申」にあった旧来型の「日本型学校教育」に当てはまる文章だろう。これが100年前に綴られていたことに、デューイの現代的な意味がある。

そして、デューイについて最も有名なのが「教育におけるコペルニクス的転回」である。『学校と社会』という本の中で書かれた有名な文章である。

私が言いたかったことは、古い教育は重力の中心を子どもに置いていないということである。その中心は、教師や教科書や、その他どこであろうとかまわないが、とにかく子ども自身の率直な本能的行動や活動以外のところに置かれているのである。
(中略)
今日私たちの教育に起こりつつある変化は、この重力の中心を移動するということにほかならない。それは変革であり革命であって、コペルニクスによって天体の中心が地球から太陽へと移動したことに匹敵するほどのものである。この場合、子どもが太陽となり、そのまわりを教育のさまざまな装置が回転することになる。つまり、子どもを中心として、その周囲にさまざまな教育のいとなみが組織されることになるのである。

ジョン・デューイ『学校と社会』

教師や教科書ではなく、子どもを中心にするという、今となっては当たり前のことを、改めて示したことに、その意義がある。これは当時の教育界でも大きな反響を呼び、デューイは「新教育」の旗手に祭り上げられることになる。

ただし、デューイ自身は旧教育を完全に否定し、新教育を主張したわけではなかった。その両方に良さがある上で、この二項対立自体を嫌ったのだった。

デューイはプラグマティズムの哲学者としても有名である。倫理の授業などで、パース、ジェームズ、デューイという一連で暗記した人もいるかもしれない。

プラグマティズムとは実践の哲学である。日本語では実用主義や実際主義とも訳されるが、ギリシア語で「行為」「実践」「実験」を意味する「プラグマ」が語源になっている。

プラグマティズムを説明し始めるとさらに沼にハマっていくので、詳細は省くが、真理や知識があらかじめ決定されているというものではなく、「行為」や「実践」によって知識が生み出されていく、というものだ。

デューイは「Learn by doing」と呼んだが、プラグマティズムを暴力的に超訳すると「やってみないとわからない」ということだ。いくら頭でわかっても、やってみると、そこには新たな可能性や誤りがあるかもしれない。実験や実践を通して、知識や真理を探究するという思想だと言えばいいかもしれない。思想というよりも方法に近いかもしれない。

注意が必要なのは、「役に立つ知識を得る」という実用主義のことではない、ということだ。プラグマティズムでは、知識自体が動的なもので、実践してみると知識自体が変容することが重要になる。

デューイ自身はプラグマティズムとは自分を呼ばなかったそうだが、明らかにその影響は受けており、この思想がデューイの根底にはある。

だからこそ、デューイの教育思想には「経験」や「実験」が重要視される。新教育を実験するためにも、「シカゴ大学実験学校」を設立もしている。ラボラトリー・スクールと呼ばれ、実験的な学びにもとづく学校づくりでだったという。

どういう教育だったかというと、例えば「仕事(オキュペーション)」と呼ばれる主題探究型のプロジェクトの学びがある。このカリキュラムでは、亜麻や綿の木などの原材料に触れ、木綿と羊毛を比較したりする。とても実践的な学びである。

デューイは、学校に「仕事」を取り入れるのは、(中略)それらの活動をめぐって自然の材料や加工過程に対する「科学的な洞察」がおこなわれ、それを出発点として、子どもたちが「人類の歴史的発展」について理解するようになるからだと述べる。

上野 正道『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』p.41

実際の物や自然の素材に触れることで、それらがどうやって扱われているか、社会の中での役割などを理解するようになる。

デューイはいくら知識を与えるための「リアルっぽい授業」をしたとしても、実際に農場に行ったりすることには到底及ばないと主張している。学校という箱庭で「ぽい」ものを学ぶのではなく、「本物」に触れることを重視したのだ。「1オンスの経験は1トンの理論にまさる」とも表現している。

また、デューイは競争的なものも避ける。知識を吸収するだけの授業では、成功をはかる基準が競争的なものとなってしまい、生徒同士が手伝うことが「罪」になってしまうからだ。

実験学校の学びでは、子どもたちのさまざまな意見や提案が交換され、互いに触発しあう「自由なコミュニケーション」が大切にされた。そこは、知識の量よりも、質が問われる場であり、つねに問題が生成し、解決へと向かう協同的な学びが展開される場でもある。

同上、p44

受験競争と呼ばれるような学びではなく、お互いに協力し合いながら、学びを深めていく場をこそ、求めたのである。狭い功利的な見方ではなく、社会的で協働的な視点を重んじたのだ。

さらに、デューイは子どもたちの「本能的で衝動的な態度および活動」を重視し、子どもの「興味」を4つの観点から考察している。「対話的なコミュニケーション」「制作」「探究」「芸術的な表現」である。

「対話的なコミュニケーションへの興味」とは、他者との会話や交流を通して生まれるものである。「制作への興味」は、何かをつくりたいという衝動。「探究への興味」は何かを発見することに向けられ、最終的には何かを表現したいという「芸術的な表現への興味」が生まれる。

対話し、制作し、発見し、表現することへの興味は子どもの成長にとって不可欠であるとデューイは考えていたという。

さらに、デューイは「リフレクション」も重視していた。『学校と社会』の中で、「反省的注意(リフレクティブ・アテンション)」と呼んでおり、それは判断、推理、熟慮を通して、子どもがみずから問題を形成し、探究し、解決の方法を探ることを指した。

それによって獲得された思考は「子ども自身のもの」となり、子どもたちは様々な問題をより深く思考する習慣を形成するようになるという。デューイはここから、「反省的探究」へと概念を発展させていく。

デューイにとって「探究」とは「反省的(リフレクティブ)」なものである。「思考またはリフレクションは、私たちがしようと試みることと、結果として起こることとの関係の認識である」という。

つまり、「やってみる」で終わってはいけないということだ。その経験の意味を問い直し、思考する。そうすると、わからなかったことがわかるようになり、未解決の問題が解決するかもしれないし、逆にまだわからないままかもしれない。この半知半解の状態が探究のプロセスなのだ。

デューイにとって「思考する」こと自体が「反省的(リフレクティブ)」であり、「探究的」である。それらはほぼ同義である。ということは「探究」に終わりは無い。「完全に分かる」ことは無いからだ。

これまでのデューイにとっての「探究」をまとめるとこうなるだろう。
まず興味を持つ。それは対話や制作や発見や表現への興味である。やってみたい、という衝動が起こる。そこから実際に「やってみる」。実験であり、実践であり、経験である。その上で、リフレクションで「振り返る」。この行動の意味や、やってみたことによる結果を冷静に分析する。

そうすると、わかったことと、まだわからないことが見えてくる。そこから、また興味が湧き上がる。人としゃべりたくなるかもしれないし、何かを創りたくなるかもしれない。そうして再び「やってみる」。

こうして探究は続いていく。このように習慣化していく経験の連続的なプロセスこそがデューイにとっての「教育」なのである。

デューイにとってはあらゆるものは連続的である。学校と社会も分けるものではなく、教科書と子どもも、知識と関心も、科学と生活も、旧教育と新教育も、別々のものとする見方を拒否し、両者を連続的に捉えようとしたのだった。

ただし、このデューイの思想にも批判は出てくる。とはいえ数学や歴史などの基礎学力も必要だろうという視点や、興味次第で学びの質に個人差が出てしまうこと、自由すぎてコストが掛りすぎてしまうことなどである。「本物の自然」に触れれば、危険も伴うだろう。

こうして、デューイの思想は、キルパトリックの「プロジェクト・メソッド」やモリソン・プラン、先述のドルトン・プランなどに継承・発展していくことになる。

したがって、デューイの思想は完璧なものでは決して無い。しかしながら、中教審が「令和の日本型学校教育」と謳っているもののコアな部分にはデューイの思想があるだろう。

そもそもデューイが示唆したのは、そうやって二項を分断して考えることではなく、連続性の中で捉えることだった。詰め込み型の知識も探究型の学びも連続的で半知半解で向き合っていくのが重要なことだろう。

探究とは何か?
それはデューイにとって思考そのものであり、生きることそのものだった。ここではデューイの考える民主主義などへは言及できなかったが、このような教育のもと、社会のあり方も思想している。

そして、ぼく自身の課題は「Inspire Highの学びとは何か?」ということだ。ひとまず、デューイ流の興味のきっかけや対話の機会、表現の促進やリフレクションはプログラムの中にパーツとして組み込んではいるものの、これが何かの完成形ではないだろう。

その上でこれからの探究的な学びにとって重要なのは、そもそも興味を減退させた10代はどう興味が再び喚起されるのか、ということと、社会への連続性をどう獲得するのか、ということだろう。

つまり、学びの入口と出口の設計である。
小学生まで生き生きと学んでいた子どもたちがいつしか試験勉強に追われ、興味をもって学ぶことをやめてしまうというのは日本の学校教育で多く見られる光景だろう。

そうなる前に対応することも重要だし、そうなってしまった10代に再び興味の芽を生み出すきっかけが必要なのだと思う。そして、学校の中で実践したことが、社会でも活かされ、学校と社会がつながっていると実感できることが必要なのだと思う。

この入口と出口を学校の中に組み込めたときに、デューイの言う連続的な学びになる。デューイは学校が社会から孤立することを嘆いていた。学校が社会や生活と有機的につながっていくためにも、学びの入口と出口が令和の日本型学校教育には必要なのだろうと思う。

ぼく自身も実践や実験を繰り返しながら、リフレクションしながら、「学びとはどうあるとより善いのか?」を探究し続けたい。


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