体の筋力が低下していくということ(恋愛編)

ずっと、書きたいのに書くことをためらっていました。

障害と恋愛。様々なメディアで取り上げられ、特に映画では悲恋、あるいは大恋愛として定期的に取り上げられるテーマです。

考え方は種々あるでしょう。そのどれも否定するつもりはありません。障害でなくても、どのような状況でも大事な人と関係を育み、結婚や子育てをされている方はいらっしゃいます。これは、あくまで私のケースです。

ミオパチーという筋肉の病気だと分かってから、特定の異性と将来を考えるような関係になることを控えています。正確にいうと、ちょうどそのときお付き合いをしていた人を最後に。

当時は20代半ばから後半、周りは結婚ラッシュで子どものことも考える、微妙な時期でした。果たしてこの体で子育てができるのか。また、何より、子どもにこの疾患は遺伝するのか?

主治医は、「自分が見立てた病気であれば遺伝するだろう」と言います。自分が当てはまる疾患に関する論文も読み漁りました。そのどれも、明るい話題は見つけられませんでした。

当時、お付き合いをしていた人は子どもを強く望んでいました。これは私が女性だからなのかは分かりませんが、深く好きになれば、私もその人の子どもが欲しいと思ってしまいます。私は、彼に子どもを作ってあげられるだろうか。子どもができなくとも、幸せに暮らしていくことはできるだろうか。子どもができたとして、赤ちゃんのときなら抱っこできなくてもまだ何とかなったとして、歩き出したら?道路に走っていった我が子を止められなかったら?もし何かあったら、自分を許せないだろう。では、もし赤ちゃんが障害を持って生まれたら?その子の世話をするのは誰?彼は私と子どもを介護するの?彼の人生はそれでいい?覚悟できる?

それより前に必要なプロセスがある。彼の親にはどう説明する?私のことを知ったら、どう思う?

結局、その人とは別れました。唯一、結婚を意識した人でしたが、結婚まで、子どもを作ることまで踏み切ることができなかった。その上、そもそも自分の体のこともきちんと話せていませんでした。

まだ障害のことすら受け入れられていなかった当時、自分のことで手一杯で、結婚や子どものことまでとても現実的に考えられませんでした。ネガティブなことが起こってしまったら、自分の決断を恨むことになるだろう。こんな思いをずっと抱えていたくない。彼を手放したくないけれど、開放しなければならない。

すべてから背を向けて、逃げました。

今も、逃げ続けています。それでもうっかり好意を抱き、異性と距離が近くなることはあります。状況が許すまでそばにいてもらいたい、と勝手なことを思ったり、これ以上近くなったらもっと求めてしまう、と悩んだりもします。

一方で、自分の状況については話せるようになっています。障害の程度が比較的軽かったころは「普通にみられたい」、「もしかしたら治るかもしれない」という思いもあり、まったく相手に話せなかったものの、「もうしょうがない、治りようがない」といったフェーズでは、それでもそばにいてもいい、と思ってくれる人でないと一緒にいられない。

その先も欲しくなるけれど、自分にどのようなことが起こるかは分からないので、押しとどめているような感じです。

同じような症状に悩まされつつも結婚や子育てをしている人たちに対して、うらやましいなと思います。私とは違う強さを持っているな、とも思います。生きる思いの強さ、欲しいものを追い求める強さ。素直になる強さ。

今後、考え方がまた変わっていくかもしれません。ただ、障害の発覚時から、重くなっていった際の考え方の変遷を残しておきたいと思います。

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以下、障害と関係あるかは分からないのですが、おなかに宿った命を失った経験について記したいと思います。直接的な表現もあり、センシティブですので、有料とさせていただきます。

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