選手たちからもらった”小さな革命の火”

前回の記事のハッシュタグの順番が
#未来へ #悪くない #しょうがないよも
となってしまい(本当は前後逆にしたい)、直したいのに直せなくて、
また「しょうがない…」とつぶやいてしまったゆーきです。

さて、今日は前回子どもの言葉から考えたことを書いたので、引き続き子どもから学んだこと、考えたことを書いていこうと思います。

1.返ってこなかった答え「どんな選手になりたいんだ?」

今考えるとこの出来事ももう7年前とかになるんですね…
と書く前から一人しんみりしそうになりますが…
これは私が世界一周から戻って地域のサッカーチーム・ウイングスで本格的にコーチを始めた頃の話です。

6年生のチームで本格的に指導を始めたのは2014年の春。
その代はなぜかコーチや周りの大人にダメだダメだ言われていた代でした。
でも私が見ていて、何がそんなにダメなのか分からなかった。
体の大きい子がセンターラインに3,4人いて、技術のある子も、足の速い子もいた。

とても気になったのはとにかく暗いこと。
選手たちからの発信、自己主張が一切ないこと。
本当に自分たちがやりたくてサッカーをやっているの?と感じるほどだった。

そんな中で行われた対外試合。
結果は5点ほど失っての大敗。
選手が泣いている中、私はセンターバックをしていた選手を呼んで話をしていた。

「今日の試合どうだった?」
「なんで泣いているの?」

一向に答えが返ってこず、下を向いて泣くばかり。
これはダメだと思い、

「泣いてばかりじゃ分からない。君はどんな選手になりたいんだ?」

この問いかけを最後にしようと決め、そこからはだんまり。にらめっこ状態。
試合後で疲れているだろうに、さんさんと陽の光が降りしきる暑い公園で、立ったまま泣き続ける彼と私のにらめっこは30分以上続いたと思う。
長い沈黙の後、もう無理かと思ってあきらめかけた頃(ほかの選手はとっくに帰っていたと思う)、その選手がかすかな声で何かを口の中で呟いた。

「…」
「ん?何??」
「走れる選手…」

正直に言うと、この時点では答えてくれた嬉しさでこっちが泣きそうになった記憶がある。
彼の頭をくしゃくしゃっと撫でて、

「そうか、走れる選手になりたいのか。これから頑張ろうな」

こんな会話から始まった彼らとの1年間だった。

2.問題の本質

程度の差はあれ、当時10人ほどだった6年生の選手はみんなこんな感じだったように思う。
この問題の本質は、きっと彼らにはない、と強く思った。
家に帰ってから今日の出来事を頭の中で反芻する。(サッカーのコーチなのにもはやサッカーのことではなく試合後の選手との会話ばかりを考えている。)
考えた末の私の結論は、きっとこの問題の本質は学校教育にあるのだ、ということである。
どういうことか。
例えば学校で、算数の授業で同じことが起こった場合を考えてみる。
先生にあてられた児童・生徒はその場で立ち上がる。もしくは黒板の前に進み出る。
内心は心臓がバクバクだ。なんせ答えが分からないのだから。
何も言えないまま10秒が経過する。
この時教員が取れる対応は何だろうか?
恐らく「分からないの?」と聞いて、児童はコクっとうなずき、座りなさいとなってお役御免。
この間児童には自己表現の必要どころか、言葉を発する必要もないのではないか。

ここまでではないかもしれないが、他の40人近い児童を待たせて、一人の児童を30分待ち続けることは、構造上できない。
これは私が教員になっていたとしても絶対にできなかったはずだ。
このような構造の教室に週5日、6年間通い続けてきた彼らに刻み付けられた「自己表現できない」「話せない」という問題は、とても根深いものだった。

3.彼らにしていったこと

その後、彼らにしていったことは非常に単純だ。
抽象的に言えば、彼らと向き合うこと。何を考えているかを読み取ること、を常に考え続けていた。(サッカーのコーチングがどこかに行ってしまっている)

一つ意識したことは彼らに情報や思っていることを発信する機会を与え続けたこと。
そしてもう一つ意識したことは質問の難易度を選手に合わせて調整したこと、である。

一方的に声掛けをするのではなく、いつも選手達の意見を聞いた。
そして質問のレベルをこんな風に調整していったのである。

第一段階:今、逆サイドを見た?(Yes/Noで答えられ、かつ本人に正解が分かる質問)
第二段階:今こっちは選手がたくさんいて、逆サイドががら空きだったけど、混んでいるほうにパスを出すほうがいいかな?(Yes/Noで答えられるが正解がありそうな質問)
第三段階:今何を考えてこっちにドリブルしてきた?(本人の意思を尋ねる質問)

例えばこんなような具合だ。
前の段階をクリアできているなと思ったら次の段階、というようにしていった。

半年ほどそんなことを続けていたある日。
一人の保護者と並んで練習を眺めていたタイミングで、その保護者の方が、ポツリと話し出した。
「最近、子どもがサッカーの時だけじゃなくて家でも、自分の意見や気持ちを伝えてくれることが多くなってきた気がするんですよね」
嬉しかった。と同時に、環境や周囲の大人の言動がどれだけ彼らに影響を与えるのかということを思った。
こういったことをもし毎日の学校生活ですることができたら、彼らはどれだけ変われるのだろう。

4.卒団式で

その代の一年が終わる頃、万年市内の大会でも予選全敗、ビリ争いをしていたチームは久しぶりに予選を勝ち抜き、上位トーナメント進出を果たした。(久しぶりだなぁ、と、チームの代表である父が言っていた記憶がある)

毎年恒例の卒団式で。
冒頭のセンターバックの選手が話した言葉を今でも覚えている。

「僕はこのチームでたくさんの人に支えられてここまでサッカーを続けてくることができました。
まずは中学、高校とサッカーを頑張って、いつか僕もこのチームにコーチとして戻ってきたいと思います。」

その時にもまた、泣きそうになりながらお酒を飲んだのを覚えている。
小さき者の挑戦を見ていると涙腺が緩むのが厄介なところだ。
ちなみにこの時彼の身長も体重も、大学生だった私を大きく超えるほど成長していた…その意味では小さくないが…

そんな彼ももう大学生になる歳だ。
今頃どこで何をしているのだろう。

5.これからの私の戦場は

7年の時を経て、ついに教員として教壇に立てる挑戦の権利を得ることができた。
前述してきたことは、自分が大学も含めて6~23歳まで学校教育を受けてきた経験と、外から見ている外野の視点から好き勝手言っていただけの問題点である。
まずはきちんと今の学校教育の在り方と問題点をきちんと把握すること。
そして健全な批判に基づいてできる改善を行っていくこと。
(こと日本人は批判が苦手と感じるが、健全な批判は物事をより良く改善し、前に進めていくために必要不可欠であると考えている。学校教育法の高等学校の目的・目標の中にも「健全な批判力を養う」という文言がある。
それだけ大切だということだと思う)

彼らは自分に打ち勝ち、大切な何かを手に入れ、彼らの心の中で”小さな革命”を起こした。
彼らとの一年が与えてくれた”小さな革命の火”は今もまだ私の心の奥で静かに燃え続けている。
この火を一人でも多くの子どもに、若者に、生徒達に。
伝えていけたらと思う。
準備は整った。私自身の革命が、まもなく始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?