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【だれかのじかん】野村英司さんの巻

「最近どうですか?」というインタビュー、今回は野村英司さんです。
彼は、私が学生時代を含めた数年間バイトしていた飲み屋の後輩。歴代バイトの仲が良く、年代は重ならなくても互いに顔を知っているという、ちょっと変わった店でした。
神奈川にあるその店を離れてずいぶん経ちますが、彼とは思いがけない場所でよく再会します。2年前は、ある映画の製作現場へスチールの手伝いに呼ばれて行ったら、彼が美術として参加していて「なんで居るの?」とビックリしました。はたまた昨年はカフェの店長をしてたので、お茶がてら会いに行ったことも。
何だかいろんなことをしてる自由人のような野村くん、2020年の初夏。

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― 今は、仕事は何をしてるんでしたっけ? 聞くたびに違う気がするんだけど(笑)。

その時、お金が入ってくることですよ(笑)。名古屋では大工さん。現場仕事で生計を立ててるってことになるのかな。
こないだの映画の時は美術チーム。あとはツレの会社で仕事したり、たまにカレー屋。

― カレー屋さんは、車でやってたんですよね。

そう、カレーの移動販売。今は車を処分しちゃったけど、食べたいと言ってくれる人がいるから販売だけ。

― コロナの影響はなかったですか?

現場は飛んだし、あるはずだった仕事がなくなった。でも5月は休もうと思ってたから、ちょうど良かった。

― なんで休もうと思ったの?

4月に働いたから(笑)。

― 4月は仕事できたの?

4月はギリOK。静岡で現場に入ってた。2週間詰めてたから少しゆっくりしようかなと思ってたところで、休暇がちょっと長くなった感じ。
どうにかしなきゃっていうのがあんまりないね。待ってると仕事が来るというか「ヒマにしてるなら手伝って」と声が掛かる。

― 待ってれば仕事がやってくるなんて、一番いいね。

うん。でも自分から仕掛けていく段取りはずっとしてますよ。もともと旅をしたり、フラフラするために蓄えてる。蓄えというほどじゃないけど、数ヵ月は遊べる状態にしてる。

― 休みになった期間は、自粛してた?

自粛はしてない(笑)。もともとそんなに出掛けない。子どもが2歳なんで、それを見てた方が面白い。今までできなかったことをやりたくて、部屋にロフトを作ったり、廃材で親戚に椅子を作ってあげたり、大工仕事してた。

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 ― 大工さんだから、そういうことができるのね。

去年、宅建の資格を取ったの。脳みそを鍛えたかったのと、今やってることの延長線上で役立ちそうだなと思って。今は中断してるけど塾の先生もやってるから、知識がないことを勉強してみたくて4ヵ月勉強して資格を取った。

― 難しい資格だった?

思ったより難しかった。「200時間勉強したら取れる」と書いてあったけど、習慣がないから長かった(笑)。でも後半は楽しかったよ。

― それが去年?

うん。去年も仕事がない時に勉強してた。だから仕事がないなら、また何かやる時間になるなって感じ。

― そういう時間の使い方に慣れてるんだね。

そうそう。自分の時間が欲しくて仕事してるようなものだからさ。時間がプレゼントされたと思って、やりたいことをやるチャンス。

― こうなる前は、旅もあちこち行ってたの?

最近は年1回「大人の修学旅行」をしてる。以前は一人で、4~5年前からは誰かと。
最初はインドネシア。「宿と飯はある、行けばどうにかなる」と言われ、ダンサーの友達と一緒に。向こうではマネージャーということにしてもらって一緒について回ってた。
翌年がインド。3ヵ月いた。
カレー屋をしてる時に「目の前にある調理とお客しか見えないな。遠い世界とつながれる方法はないかな」と思ってたの。僕にカレーを教えてくれた人がいるんだけど、さらにその人にカレーを教えた人が、今はインドの孤児院で支援活動をしてるのね。その孤児院に僕も毎年寄付をしていて、お金だけ送っててもなーとそこを訪ねたことがあった。で、今回は3ヵ月。旅行代理店をやってる知人がいるから、それをつなげた。インドからのインバウンドのサポートや、仲間と一緒に何か販売しようかという意見もあって。でも今回のコロナで、インバウンドもしばらく動かないね。
インドは4人で行ったけど、バラバラの滞在期間。僕が3ヵ月、1ヵ月滞在した人、10日滞在した人がいて、全員が重なったのは5日間くらい。僕と、代理店の社長、ダンサー、通訳できる英語の先生。「インドでダンスの公演をしよう」ってことで、僕が場所を探して、次に来た人と選定してパンフレットを作って。

― 滞在中に、場所確保から公演までやったの?

そう。ダンススタジオを見つけ、段取りをつけ、ダンサーが来て、数日後に公演。ただの旅行じゃなくなって、街の輪郭が見えてくるの。
だから遊びに行くというより、何か仕事になればいいなと思って毎回行ってる。違う景色を見てきたいんだよね。
最近はアジアが多い。知り合いがいるし、友達もできてきた。2回以上行ってる国はインドと韓国かな。ベトナムも10日間くらい行った。

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― カレー屋をしてた頃にコロナが来てたら、大変だったのでは?

2つ3つの仕事を、いつも同時にするようにしてるの。カレー屋をやってた頃はシェアハウスもやってた。1階にカレーの仕込み場を作り、昼間にカレーを仕込み、夜は塾をやってた。週末どこかでイベントがあるとカレーを売る。

― 同時並行でいろんな仕事をするのは、難しくない?

一度に全部はできないよ。仕事を小分けにパッケージ化して「今日は玉ねぎを炒める日」「今日はスパイスを入れる日」とか行程を分け、最終的にその日に販売する。

― 仕事の枠組みも、そういう小分け方式で並列させるの?

「1ヵ月間は映画の現場、その次はカレー屋」とかね。何だかんだで数年それで転がってる。
もともと自宅で塾をやってたんだけど、最終的には、カフェと塾が一緒になった駄菓子屋みたいな塾をやりたいと思ってるんだよね。子どもたちの行き場がない時に「500円持ってきてカレー食いながら宿題やる」みたいなことができたらいいなと思う。だから、波を待ってるところがあるね。
塾といっても子どもが没頭することを自分で見つけていける環境づくり。以前、塾で「何をしてもいいよ」と言ったら、子どもが「家を作りたい」と言ったの。「それはできないな」と思った。でも作れるようにしてあげたい。

― 今なら大工をしてるから、一緒に作れるね。

うん、最終的にパーツが組み合わさればいい。どこにその波が来るかなって。常に波待ちしてる感じ。
その時に自分にその能力があったらいいし、そういう人がいてくれたらいい。ずっと部品作りをしてる。「一つのことが続かないね」と言われることがあるんだけど、そこに至るために、一個ずつ部品を集めてるような感じかな。

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この記事を事前に本人に見せたら「僕、何してる人かサッパリ分かんないね(笑)」とのことでした。なんだか不安定で心配な人みたいですが、私の100倍くらいの知人友人を持っていて、とにかく人に愛される、すごくイイ奴。多分どんな状況でもサバイバルしていける。
話に出てきた彼の「塾」の名称を聞いて、笑いました。私や彼がバイトしていた店の名前をそのままつけてました。
常にデカい音量で音楽が流れていたその小っちゃい店に、私も彼も他の元スタッフたちも、多大なる影響を受けてしまったのだなあと、改めて思う、今日この頃。



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