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日々のこと 1219

ただいま年末進行街道を爆進中。次々に襲いかかる仕事を右へ左へちぎっては投げ、ひた走り中である。すごく忙しい。
でも絶対に行きたい場所とか大事なものとか、優先順位と相談しながらどうにかこうにか、やっている。隙をみて見たい映画も見ているし。

先日は時間が空いてしまい、劇場でたまたま『火花』を見た。グッと来る場面もあったけど、正直あんまりノレず、かといって最低につまらないわけでもなく、「うん、なるほどね…」という感じの、フツーの映画だった。

隣の席に高齢のご夫婦がいて、私の横には奥さんの方が座った。わりとフリーダムな鑑賞スタイルの人らしく、心の声を口に出しちゃうタイプ。始まった瞬間から「あらまあ大変」「なあに、そんなことってあるの~」などと、お菓子をムシャムシャ食べながら一人言を言いまくっていた。

劇中で音楽を聴いていた主人公が、神の啓示的にいきなりの豪雨に打たれるシーンがあり、それを見ていた私の顔に、ビシャッと勢いよく大量の水がかかった。私は「え?」と混乱し、とっさに「間違えて4DXの部屋に来てしまった。料金が違うのに、どうしよう」と思った。
『火花』には、4DXなんかない。その映画館にも4DXなんかない。でも一瞬ワケが分からなくなり、本気でそう思った。「え、みんなは…?」と混乱しながら周りを見回したら、隣のオバさんが飲み終えた紙パックのジュースをぺたんこにつぶし、いそいそとカバンの中にしまう姿が横目に見えた。

彼女は何も気づいていないと思う。私は暗闇でハンカチを出して顔を拭きながら、なんか面白くて面白くて、声を出して笑いたいのをガマンした。心の中で大笑いした。数年後、この映画の内容を忘れても、オバさんがくれた4DX体験は忘れないと思った。

映画なんてそんな感じで、私の脳みそはそんな感じで、記憶力もそんな程度。好きな人と見たつまんない映画は「なんだかんだ楽しい映画だった」と擦り込まれていく。
私は評論家ではなく、作品の良しあしも、本当は大して分からない。分析もできない。作品としてどうとか考えたりもするけれど、何年かたったら「映画館を出た途端に犬のウンコ踏んだ映画」とか、「見ながら食べた売店のパンが美味しくてビックリした映画」とか、「見た後で感想を語っていた相手とケンカして最悪の気分で終わった映画」とか、そんなことで形づくられてしまう。最終的にはそれである。恐ろしい。映画を作る人には申し訳ない話だけど、案外そういうのは残る。10年たったらそれしか覚えてない。そんな映画、いっぱいある。

出来のいい映画、出来の悪い映画より、好きな映画、ヤな映画。主観の気持ちは映画とセットで結びつき、その作品を思い出す時、ズルズル一緒に芋づる式で出てきてしまう。本当はそんな理由でイヤな映画を増やしたくないし、そうなってしまった映画はとても悲しい。本当にごめんね。

私の言う「大好きな映画、忘れられない映画」を信用してはいけない。さぞや名作なんだろうとか思ってはいけない。それは私が今までちまちまと積み重ねてきた、個人的に大切な体験とか苦い思い出とか、いろんなモノで形成されまくった「私だけの映画」というだけの話である。



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