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日々のこと 0322

AVメーカーのハマジムさんでやらせていただいてる連載コラムで、先日更新されたインタビュー記事がとても好評だという。大変嬉しい。
梁井さんというハマジムの社員監督さんに、AVを始める前から現在に至るまでをアレコレじっくり聞いた、大切な記事。ほんとに嬉しい。
ご本人が喜んでくれたのが、何より本当に良かった。ありがたすぎる。「山口さんだからあんな感じに答えられた」とも言ってくれた。それはもうインタビュアーとしては最高にご褒美の言葉。私が犬なら、うれションしている。

私は普段、日常的にインタビュー仕事をやっていて、著名な映画監督や俳優から市井の人まで、話を聞いては原稿を書く。いろんな世界のいろんな価値観を教えてもらえるのは楽しい。
基本的にインタビュアーというのは黒子。聞き手の言葉は最小限に削り、なんなら一人語りのように読める形にもしてしまう。
でもハマジムのコラムは連載タイトルになぜか私の名前がついており、いつも迷う。コラム枠だし、ある程度「私」を出した方がいいのか? と聞き手の発言を多めにまとめると、もはやインタビューじゃなくて対談じゃん、需要ないでしょコレ…という原稿になってしまったりしている。常に文字数制限に追われる紙媒体の人間なので、Webの見せ方もどうも慣れない。毎度ビクビクしながら出している。

私は取材する側で、される側の気持ちはわからないので想像するしかない。新作映画の取材なら、最近は「相手も映画の感想を知りたがっているはず。ライターは最初の観客だ」と強気に考え、試写の感想をなるべく伝えながら話すようにしている。まだ一般公開されていない自作の感想に興味のない監督や主演はいない(はず)。でもある映画の取材で、その作品について悩み過ぎたまま監督取材に臨み、ワケの分からない質問をして困らせたこともある。ホント難しい。

知り合いの役者さんと雑談していて「取材を受けてて『コイツには何も話したくない』と思う相手もいるよ」と聞いた時は、震え上がった。少し話しただけでそう思ってしまう相手もいるそうな。怖すぎる。「でもあなたは大丈夫、誰が相手でも、それはない。そういう人ではない」と言われ「いやいやいや!」と焦った。
それでも、その言葉は今も私のお守りのようになっている。根拠がなくても、自信になる言葉は無理しても受け入れていかなくては。そういうものだよね。

そんなこんなでどうにかやってる私は、インタビューを受けた本人が喜んでくれたのはとても嬉しかった。本人が気分を害しても原稿が面白ければいい場合もあるのかな。でも自分の人生を語ってもらうような原稿で、そんなことはしたくないと思ってしまう。

梁井監督という人は、決して言葉が多い人ではない。4年ほど前、初めて対談取材をすることになった時、本人に会う前に「梁井は喋らないから頑張って~」と周りに冗談半分で脅されてビビってたことを思い出す。今では梁井さんとの間に少しは信頼関係が築かれたんだと思う。緊張感を保つため相手を知らずにぶつかるとか、あえて関係を離す主義のインタビュアーもいると思うが、私は信頼関係があればあるほどいいと思う。あなたの話を一番知りたいのは私なんだと言い切りたい。

こういう話は同業者以外にするもんじゃないかも。でも記事は本当に好評だそうなので、読まれ続けてくれたらいいと思う。梁井さんをもっと知ってほしい。Webの長所のひとつは、ずっと残ることだ。

「山口さんだからあんなふうに答えられた」という言葉も、この先ずっと私のお守りになると思う。そういうことを言葉にして伝えてくれるのがまた嬉しい。お守り、増えた。本当に本当に嬉しい言葉だったんだー。


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