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野菜食べたら「えらいねぇ」?

うちの小学生の子供は幸いにして野菜は苦手ではないので、生でも調理されてても普通に食べる。それをみて祖母が「野菜食べれて『えらいねぇ』」と言う。これになんとなく違和感がある。他意はないし、そういう言葉のやり取りも普通にあることとは分かっているが、子供は頑張って食べているわけではなくて「美味しいから」食べているのを褒められるのがなんとなく気になった。

そういやこういうことって大人同士でもあるなぁと思った。例えば、本を読んでエライね、運動をしてエライね、子供と遊んでエライね、パソコン詳しくてエライね、などなど。自分が好きで苦も無くやっていることを褒められるのは嬉しさよりも「それほどでも」が優先される。ひねくれたようにも聞こえるが、なるほどそうか。「頑張っていること」だったら褒められたら嬉しいんだなと気づいた。多分ダイエットや試験勉強などは褒められ甲斐がある。

ただ、ここで一つ上のステップとして捉えると「誉め上手」があるように、「誉められ上手」もあるということだ。それは、自分では「それほどでも」なのに誉められる言葉は自分の長所であるということ。なかなか自分の長所は思い出しにくいのはなぜか。それはその手の誉め言葉には「いえいえ、大したことないですよ」で返すからである。実際頑張っていないので褒められても謙遜したりスルーしがちなのである。しかし、これまで何度となくスルーしていた「他者評価」は間違いなく世間からしたら秀でている自分の長所に他ならない。これは流してはもったいない!日本人の美徳として、ひけらかさないことや自慢しないことはまあ、おいといて、ぜひ何気無い、いろんな場面でのさりげない誉め言葉をストックしておいてほしい。それは時には社交辞令だったりしても、ある程度信ぴょう性を持った自分の強みである。

とりあえず子供の方はそんな事も考えず素直に「誉められ上手」に聞いております。

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