誕生日

先日、誕生日を家で迎えました。

誕生日はちょうど、34週0日目。

まさか出産してから誕生日を迎えてるとは、思ってもみませんでした。

完全破水するまでは。

でも、破水した時から思うと、29週6日までよくもった、と思います。

28週までは全く何の変化もなし。ものもらいになりかけたくらい。

動きがあったのは、29週。

【出産まで】

29週1日目の夕方、突然、血圧が140を超える。

29週2日目の朝5時半。教えてもらえなかったが、内臓に影響が出るレベルの高血圧。(170/110とかだったのか)

早朝から急に慌ただしくなり、採血、マグセントの点滴、子どもの肺を大きくするためのステロイド剤の注入。

当直の先生が2人やってきて、

内臓に影響があるかもしれず、母体を守るため、血液検査の結果によっては、このまま帝王切開になる

と告げられる。

しかし、血液検査で、内臓には影響はなく。手術はその日の避けられた。

一方で、30週3日目にする予定だった、MRI検査を急遽その日に行うことに。

29週3日には、2回目のステロイド剤の注入。

マグセントの副作用で、全身に力が入らないようなしんどい状態がつづく。血圧は、いったん110代まで下がるも、また急上昇。

そして、28週4日で出血。

出産が近いと考えてくださいと先生に言われ、家族には連絡。

しかし、一旦落ち着き、29週5日目の朝、マグセントの注入をやめる。

マグセント自然な子宮の収縮を抑えてしまう可能性があるとのこと。感染してた場合には自然に収縮が起こった方がよいと。

29週5日は、点滴もとれ、久しぶりに自由な気持ちで過ごした。

夕食の時に、29週2日目の朝、非常に高血圧担当だったときに担当だったナースの方に、あの日、出産するかと思ってました、その後連休で戻ってきたらまだ出産してなくて驚きましたと告げられる。ドヤ顔で、まだここにいますよ!とお腹をさする。

それを見て微笑みながら、何か少しでもおかしいことがあれば、すぐにナースコールしてくださいと念を押される。

その数時間後、夜9時くらいに、定期的なハリとキュッという下腹部の痛みに気づく。ナースコール。

モニターで、ハッキリと定期的なハリがわかる。当直の先生に連絡。

内診。

もう、子宮口が開いている、これからすぐ帝王切開します、と。ご主人にも、ご連絡をと。

その間も、どんどん、キュッという下腹部の痛みは強くなってくる。

バタバタと、帝王切開の準備が進められる。

妙に冷静な自分。

でも、23時半ころから、痛みはどんどん強くなり、痛いよーっっっ早く麻酔してくださいー!!!帝王切開でよかったー!と心の中で叫ぶ。

29週6日目、午前12時19分、帝王切開にて出産。

出産後、子どもは、諸々の検査のためにすぐに新生児科の先生の元へ。

検査を終え、子どもが私の横を通る。一瞬止まり、担当された先生が、自分で泣きました、と教えてくれる。

「羊水がないために肺が形成されてなければ生きられない」と聞いていたので、泣いたということは、肺があったのだろうと思う。

はじめ気づかなかったが、子どもの後ろにはおびただしい数の機械に繋がれそれらを動かす数名の看護師さんたち。

まるで、大名行列のよう。

その後、私は麻酔の影響なのか、寒さでガタガタ震えながら、病室に戻り、一晩、看護師さんたちに術後のケアを受ける。

お昼から早速、助産師さんによる母乳ケア開始。(看護師さんだと思ってた方々が皆助産師さんだったと知る。)

その日の午後に、何とか、私は立ち上がり、トイレまで歩けるように。

自力で立てるになったので、その後すぐ看護師さんに車椅子を押してもらい、NICUへ。

そのとき、初めて保育器に入るわが子に触れられた。

よくがんばったね、そんな言葉が口から出て、涙がポロポロながれた。

触れたとき、我が子は、わたしに何かを感じとったように、ビクッ!とした。

その日の夜、新生児科の先生が私の病室まで来てくれ、詳しい病状を教えてくださった。

1156グラム。

早産児

極低体重出生児

多発性嚢胞腎

肺低形成

72時間は脳内出血の可能性がある。感染症への感染、眼の発達への影響などの可能性もある、とのこと。

ここまでは、事前にわかっていたのですが、さらに

鎖肛

停留精巣

お尻の穴がない。

男の子だと思うが、女の子の可能性が低いがある。出生届の提出は待ってください。

とのこと。

そんなことってあるの!?頭はぐちゃぐちゃ。。

よく、乗り越えたなぁと思う。

誕生日は、NICUで、ずいぶん大きくなったわが子を見て、一番の誕生日プレゼントだな、と思いました!





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