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子ども部屋に怒鳴りこんで入ってくる毒父(小学生のときのトラウマ)

私は3姉妹の長女で、小2のとき東京の社宅から地方(田舎)の一軒家に引っ越しをしました。
部屋は冷暖房無しの6畳間に3人の子ども机が押し込まれていました。
1Fリビングは冷暖房付きTV有の空間で毒父が一人で占領していました。
休日になるとプロ野球などを見ていましたね。
食事はその部屋ではなくキッチンのある部屋で摂っていました。
子どもがリビングで好きなTVを見るのは禁止でした。
漫画もラジオも、子どもの娯楽は全て禁止でしたね。

毒父は奇行があって、私たち姉妹が部屋で少しでも笑ったりにぎやかにしていると、怒声を発しながら2Fに駆け上がってきて、ノックもせずに子供部屋に乗り込んで訳の分からない言葉で子どもを怒鳴りつけながら、頭を本で思い切り叩かれました。
それがすごく怖くて、以来毒父が家に居るときは物音を立てず息をひそめて子供部屋に籠っているようになりました。

またお友達を家に招いたり、お友達の家に行ったり、空き地で遊ぶことも禁止されていました。
毒父も毒母も家を整理整頓や掃除が出来る人ではなく、家はごみ屋敷になっていて、人を招くのが本当に嫌だったんでしょうね。

姉妹でわいわいしていても怒られる、お友達付き合いしていても怒られる、遊んでいる暇があったら勉強しろ!と床に正座させられ1m定規や布団叩きで背中やももを叩かれながら何時間も算数の勉強させられました。
毒父は自分は数学の教師の免許を持っている!と威張っていましたが、そんなもの大学に入って単位を取れば誰でも取得できるのです。
本当に恐ろしかった。
叩かれて痛いと感じた。
私は勉強が大嫌いになりました。

そして一番嫌だったのは私物や交換日記や作文を、子どもに黙ってチェックされることでした。
洋服1枚、ハンカチ1枚、鉛筆1本、すべて毒父が許可したものでなければ持つのを許されず、交換日記を読んで激怒され、作文は毒父の添削が入りました。
「ねんりん」という親子作文があって、「お父さんのことが大好きです」と無理やり書かされた作文が、今でもすごく屈辱です。

自分が遊びたいように遊んでいいんだ、自分が好きな服を着て、お友達と交換日記をしたり、友達の家を行き来してもいいんだ、見たいTVだって漫画だってラジオだってあったのに、それを自由に見る自由もないんだ。
毒父に反抗すれば、怒鳴られて叩かれるんだ。
それがすごく理不尽で怒りと恐怖でいっぱいな気持ちでした。
もっと子どもらしい自由が欲しかったですね。

あと、子どもの部屋に勝手に入って、私物をあさることは、人権侵害です。
親ならば子どものことは全部把握しておきたいという人はいると思いますが、今の世の中ならスマホの中身とかでしょうか。
子どものことが心配だからと、パスワードをかけることを禁止して、GPSを仕込んだり、LINEやSNSの内容をチェックするのはお願いだから止めてあげて欲しいですね。
本当は親が子どもを信用していなくて不安なだけでしょう?
子どもにも心があるし、秘密を守る権利はありますよ。
もしもタイムマシンがあったら、子どもの頃に戻って毒父をゴルフクラブで殴ってやりたい。

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