見出し画像

ありのままが、あるところ。

7年前、私は怒っていた。

「なんでこの人は、私が良かれと思って接しているのに、考えを改めてくれないのか」と。

とても大切な人だった。自己中心的な考えの押し付けではなく、心から相手のことを考えてのことだった。(と、当時は思っていた)

そんな時、もう一人の大切な人から言われた、「その考えが正しいか正しくないかは置いておいて、誰かのためであれ、それがお前のエゴだ」と言われた言葉は、今でも私の心に残っている。


仕事柄、そんな昔のことを改めて思い出すような機会が増えてきた矢先、すごい本と出会ってしまった。

画像1

兼ねてから気になっていた福祉施設、しょうぶ学園。「障害」とは何か、「幸せ」とは何かを深く考えるきっかけをもらった。

社会のルールに従い、そこに築かれる人間関係にとらわれて行動する。それを「正しいこと」だと信じ、「そうでなければいけない」と常識に近づけるように障がい者を導くのだとしたら、それは多様性の否定でしかないだろう。

著者の福森さんによると、障がい者を見ると「可哀想だ」と言う人がいるが、実は本人はそう思っていないことが多いという。彼らは、彼らの欲求に忠実に、そして自分の身の丈の生活を楽しんでいる。むしろ、世の中の「常識」に縛られがちな私たちの方が、不自由なのではないかとさえ感じる。

諸行無常の世の中だからこそ、その瞬間の自分の感性に忠実であることが求められるが、一方で、他人からの価値観を押し付けられがちでもあるこの世界では、自分の感性に自身が持てない人が多い。

ハックツでの活動を通してそんな子どもと何人も出会ってきたが、そんな子が改めて自分と向き合う力をもつためには、他者からの愛が必要だと思う。

もっと言えば、「自分」という個人を理解してもらった上で、(心理的に)そばにいてくれる人の存在だ。

共感とは、人間の考えの共通点ではなくむしろ違いをしっかり理解した上に生じるもので、それがときに癒しにもなるだろう。
アートは単体では存在しない。作品と見る人の感性の間にアートがある。つまり「間」にアートがあるのであって、作品そのものはアートではない。

「人を変える」のではなく、「人に寄り添う」ことは、とても難しい。

それでも、相手を知るための努力を惜しまず、自分なりに他者を解釈し、対話し、また新しい一面を知っていく。そんな自分と違う他者を認め、ともに生きる。

そんな関係性の中から生まれるものを、自分の糧にしていきたい。


(1年前noteの開設をイキって宣言してから全く更新してなかった私が重い腰をあげて記事書くほど良い本だったよ。ぜひ読んでほしいよ。)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?