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チューバとわたし

吹奏楽曲を聴いていると奥底に閉まったままだった古い記憶を色々と思い出す。

幼稚園の時、学芸会で【シンデレラ】をやった。
舞踏会でドレスを着て踊る人たちの役をやりたくて、くじ引きでその役を見事取得した。

だけど、カボチャの馬車の兵隊役に当たった女の子がドレスで踊る人をやりたいとわんわん泣いてしまい、誰か代わってくれる人いる?と先生が尋ねた。
けど、くじ引きをするくらいだから誰も代ろうとしなかった。
今思えばその頃から私は泣いてる女の子に弱い。
本当は自分もその役をやりたかったけど、配役を交換した。

おばあちゃんが「男の子3人に混じって1人だけ女の子なんてかわいそうに」と、せめてかわいい格好をさせてあげようと一生懸命ピンクのサテン生地で兵隊服を縫ってくれた。
なんでそれがかわいそうなのかよくわからなかったけど、おばあちゃんの気持ちが嬉しくて本当はドレス着て踊りたかったとは言わずきちんと役に徹して綺麗な行進をした。
ただ、今アルバムを見返しても1人だけピンクでなんで?と余計に目立ってるので衣装は緑で揃えても良かったのでは?とも思う。笑

誰よりも大きい

小学生の時は鼓笛隊に入り、キーボードをやりたかった。
一番人気で倍率が高かったけど、それも同じくせっかく当たったのに別の子に譲ってしまった。
パーカッション担当になったのでスネアをやろうとすると先輩が真っ先に取り、大太鼓とトライアングル担当になった。
4年生は下っ端だから我慢…と思い続けて6年生でようやくやりたいものをできるかと思いきや、なぜか指揮を任された。
楽器をやりたくて我慢していたのに先頭に立って指揮棒を振るという一番やりたくないものをお願いされたけど、頼りにされると断れない性分。
でもそれもきちっと行進しながらリズムを刻んで御堂筋パレードに出た。

その頃からチューバになる素養があったと思わざるを得ない。

中学の選択授業では音楽を選び、声質もあってアルトパートを担当した。
主旋律につられがちだったけど、ソプラノを立てるように綺麗にハモれるととても気持ち良かった。

高校、憧れの吹奏楽部。
一応希望はフルートかトランペットだけど吹かせてもらえるならなんでもいいです、と言ったがために後継者がいないからという理由でチューバを半ば押しつけられたような流れになったが、きっとあれはチューバが私を選ぶために他の人を寄せ付けなかったのかもしれない。

体調不良で合奏を休んだ翌日、友人に
「いつも合奏で吹いててもおるかおらんかわからんのに、おらんくなった途端にバランス崩れてチューバの大事さに気付いたわ。まさにあんた自身みたいや」
と褒められてるのか貶されてるのかわからないことを言われたのを覚えている。

普段おるかおらんかわからない?そんなことはない。
どんな曲を聴いていても必ずリズムや低音が耳に、体に入ってくる。
どこにいてもわかる。見つけられる。
たぶんチューバとわたしはそういう切っても切れない関係。

働き方とか制作とか色々と落ち着いて少し自分にゆとりが作れるようになったらまた楽団に入りたい。
眠ったままの小雪ちゃん(マイチューバ)を起こしてあげよう。

立ちながらiPadで描く

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