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文章の参考にしている本。

「文章を磨くために、何か参考にしている本はありますか?」

これも、よく聞かれることなので、ここに記しておこうと思う。

と思ったのだけれど、この質問の答えとして「この本です」とすぐ差し出せるものは、正直ない。

私は人物のノンフィクションやインタビュー、働き方に関する企業の取り組みについて書くことが多く、
このジャンルの本は、目を通す機会が多い。自然と、インタビュイーの著書もよく読む。

ただ、これらは事実関係や背景を理解するための「資料」という向き合い方。

これとは別に、文体をつくる上で、自分に“染み込ませておきたいな“と思って時々触れる文章はある。

それは「詩」。

詩集を買い込むほどの熱心な勉強家ではないし、詩の評論もほとんど読んだことがないのだから大変おこがましいのだけれど、好きな詩人の文体には私の理想の文章のエッセンスが凝縮されている。
前述の資料系の本が「目的」をもって読み進めるものであるのに対し、こちらは体にいい飲み物のように、スルスルと内面に染み込ませたいもの
「表現力には小説が参考になる」という人もいるけれど、私にとっては小説は純粋にストーリーを楽しむもので、記事の組み立てに役立てるものとは思っていない。

では、なぜ詩が役に立つと思うのか。

まず、その”短さ“がいい。

短文を重ねて、リズムの心地よさで引き付ける。
私は文章は「音読した時の心地よさ」をできるだけ目指すように書いているのだけれど、
まさに詩の世界にはそれがある。

次に、その”余白“がいい。
詩は余計な説明を一切削ぎ落とす潔さがある。
印字された文字列の配置には、整然とした余韻がある。
結果、メッセージの大部分を読み手の想像力に委ねる。
だから、誰にとっても詩は自分のものになる。
映像にはできないテキストならではの表現力の究極形だと、私は思う。

そして、その”凝縮“がいい。
本質だけを抜き取った言葉を集めた、シンプルで丈夫な編み物。
つい言い訳のようにあれこれと補いたくなってしまう書き癖を
ピシャリと叱ってくれるような。


写真は、2019年に買った詩に関する本で一番「得した!」と思った1冊。

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荻窪の新刊書店「Title」さんで見つけた、若松英輔さんの展示特性冊子。さすが、店主・辻山良雄さん、さりげなくこんな貴重な本を店の片隅に置くなんて心憎い(*残り少なかったから在庫があるかどうかは、お店に聞いてください)。
ごく薄い冊子だが、若松さんの手書き文字で、中原中也、志村ふくみ、萩原朔太郎などの名詩が綴られ、端的な解説が書かれている。
その中に、私がとりわけ好きな詩人、茨木のり子さんの作品もあった。

「自分の感受性くらい」と題する詩はあまりにも有名だけれど、何度読んでも背筋が伸びる。
最初に読んだのは、高校生の時だったと思う。
国語教師をしていた父が蔵書から1冊分けてくれて、その数年後、私が成人を迎えたときに、もう一度、新品の本を贈ってくれた。
この詩をくれただけでも、父にはありがとうと言いたい。

ぜひ今の時代にたくさんの人に知ってほしい詩だから、ここに引用して紹介させていただこうと思う。

自分の感受性くらい  茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志だった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

(*サムネイル画像にも表紙を使わせていただいた、小学館の「永遠の詩」シリーズより引用)


ああ、やっぱり書き出してみると、この文章の素晴らしさがよく分かる。他にも、好きな詩人がいるので、またあらためて紹介したいと思う。

おまけ。「詩」のほかにも、とても参考になるなと思っている本のジャンルが、一つ、二つある。

そのうちの一つは、意外かもしれないけれど「レシピ本」。こちらもまた次回以降にゆっくりと。


読んでくださってありがとうございました^^


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