シューカツでのあり得ない失敗。残り10分の「書く勇気」で、私はここいる。


「書く」という行動が、人生を大きく動かすことがある。
そんな可能性を強く実感した経験が何度かあります。
とりわけ、今の仕事にダイレクトにつながったのは、就職活動で起きた出来事でした。

私が就職したのは2001年。いわゆる氷河期どっぷりの時代。
東京からやや離れた大学に通っていた私は、決して有利な状況とは言えなくて、あまり情報戦に強いほうでもありませんでした。
(地方出身で両親は教師。世の中にどういう職業があるのかも、よくわかっていなかった)

出版社に行きたい希望は持ちながら、エントリーは100社はしたと思います。
よく言われることですが、本当にあの時代のシューカツはハードでした。
大手老舗出版社からは軒並み落とされた後、募集に間に合ったのが1社だけ。
日経ホーム出版社。
この社名はすでになくなってしまいましたが、当時、日経新聞グループに2つあった出版社のうち「小さいほう」の会社で、「日経WOMAN」や「日経マネー」などtoC向けの雑誌を作っている会社でした。
社名の「ホーム」も、「個人が家で読む雑誌」という意味が込められていたそうです(ちなみに、後に合併した日経BPは、toB向けの雑誌を得意とする会社で、カルチャーはかなり違う)。

一般的には、あまり知られていない出版社でしたが、私にとっては「ぜひ行きたい」と思える魅力がありました。
その魅力とは、この会社が「編集者」でも「記者」でもなく、「編集記者」を募集していたこと
つまり、雑誌の企画やスタッフキャスティング・媒体のブランディングを担う編集職と、取材して執筆する記者職の両方の経験ができる会社だったのです。

一般的に、雑誌の編集部の構成は「編集職」に特化しているケースがほとんど。
また、同じメディアでも新聞社に入ると、「記者職」としての育成がメインになります。
「いいとこどり」が大好きで、いずれは独立したいという目標をぼんやり持っていた私にとって、
数少ない「スタッフライター制をとっている出版社」だった同社は、理想的な職場でした。
社員数は当時150人くらいで、青山一丁目のビルに2フロアだけのオフィスという規模感も、しっくり来ました。

幸運にも書類選考は通り、
意気込んで臨んだ筆記試験。

記憶が不正確かもしれませんが、たしか試験は1時間ずつ3コマ。
1コマ目は、3つの用語をつなげて文章をつくるというお題。
2コマ目は、時事用語を説明するというお題。
3コマ目は、英語の文章題だったと思う。

ガチガチに緊張しながら受けた1コマ目は「なんとか書けたかな?」という手応えを感じて2コマ目に。
お題として並んだ時事用語は、ラッキーにも、ある程度の対策をしていた用語でした。

私はスイスイと筆を進めました。
ずいぶん早く書けて、時間も余ってしまいました。
書いた文章を二度、三度、読み直して誤字脱字チェックをしても
まだ余裕がありました。

時間どころか、配布された原稿用紙もたくさん余っていました。
下書き用紙、こんなにあったんだっけ〜。

・・・ん?

なんか、おかしい。

ハッとしてもう一度、課題文を読んだ私。
一瞬にして冷や汗100杯分くらい出ました。

私はとんでもないミスをやらかしていたのです。

指定字数の読み間違い。
「一語につき800字でまとめよ」という課題を「200字」と勘違いしていたのです。
時間も紙も余るはずです!!

やばい。
落とされる。

私に残されたのは、終了時間までわずか10分と大量の紙。

ここで、私は苦肉の策に出ます。

残った紙を使って、「人事担当者様へ」と”手紙“を書いたのです。


「あろうことか、課題文を読み違えて、200字でまとめてしまいました。
当然、選考の対象から外れて仕方がない失態と、重々わかっております。
それでも、私はどうしてもこの会社に入りたいのです!
ですから、どうかどうか、次の3コマ目の結果まで見ていただいて、ご判断いただけないでしょうか。
温情いただき、めでたく入社できた暁には、このようなミスはおかさないよう細心の注意を払い、精進いたします…何卒!!」

そんなようなことを書き殴り、終了時間を迎えました。

今度はまったく見返すヒマもなかったので、文章もハチャメチャだったと思います。きっと、伝わったのは“必死さ”だけ。

その後。

奇跡が起きました。

なんと、選考通過。


次に呼ばれたのは、いきなり役員面接でした。
おそらく私のやらかしたことは、皆さんに知られていたのだと思います。
面接の部屋に通されて座った直後、手元の書類で私の名前を確認した社長が「おや、君は例の…。どうしてここまで進んだんでしたかね?」とニコニコおっしゃいました(私、冷や汗)。
並びで座っていた編集担当役員(後に社長になるカネコさん)がサッと立ち上がり、「いえ、こういう子も面白いんじゃないかと思いまして…」とフォローを入れる(私、さらに冷や汗)。

その後どんな話をしたのか、あまり覚えていないのですが、とにかく私は希望の出版社に入社することができたのでした。
いくつかの内定をお断りし、「この会社で頑張ろう」と思えました。

あの時は必死でしたが、ほんの10分間に賭けた「書く」という行動がなければ、私はまったく別の仕事をしていた可能性が高い。

ピンチに際しても、そこに「書けるチャンス」があれば、突破できるかもしれない。

どこかでそう信じることができるようになった体験でした。


注:私の体験は超レアケースだと思いますので、「手紙作戦」を狙うのは決しておすすめはいたしません! 試験の課題文はきちんと読みましょう^^。

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