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#サステナしよう〜持続可能性の意味を考える

北イタリアはリグーリアのキレイな海で海水浴をして、私と、ラブラドールのグレースは毎日気持ちよくなっている。

でも、生まれてから一度も羽を広げることも、止まり木にのることも砂浴びをして気持ちよくなることもできず、狭い檻の中にぎゅうぎゅう詰めにされ、不安定なワイヤーの床に立たされ、一度も大地を踏むこともなく無理やり卵を産まされる鶏とか、ストレス性の下痢を止めるために抗生物質を食べさせられるブロイラーとか、豚や牛たちのことが気にかかる。

動物の命の尊厳を無視して、虐待に近いような飼育方法はやめよう、という流れが世界中で起きている。

それは動物を苦しませるのはいかん、という倫理的なことだけじゃない。身動きの取れない檻に押し込められてストレスまみれで命を終える動物たちの肉、そして動物たちを効率よく「生産」するために使う抗菌剤や抗生物質を肉や卵という形で口にする、人間の健康にも大きく関わってくる問題だからだ。

でも、日本のほとんどの生産者は未だにそういう過密飼育をやめられないそうだ。

朝日ドットコムのGlobe+に、オリンピックの選手村や関連会場で提供される食材にも、過密飼育で生産された肉や卵が使用された、という話を書いた。

広い飼育小屋を作ったり放牧をするには国土が狭いからとかコストがかかるとか、いろいろ理由はある。みんな家族を養って生きていかなきゃいけないもんね。

でも自分の利益のために他者を搾取したり、自然を破壊したり、命を軽視したり、そういうことはもうやめようよ、というのが持続可能性なんじゃないだろうか。自分の利益というのは、生産者がたくさん儲けたいということだけでなく、私たち消費者が一円でも安いものをたくさん買いたいと思う、そういう意識もだ。

誰かがすごく苦しんだり、何かがひどく壊れたりしないで、ずっと続けていけること、それが持続可能性ということだと思う。

Globe+の記事を読んでもらうとわかるけど、日本の畜産業者が過密飼育を続ける理由は
「平飼い方式は鶏が自由に運動でき、行動が多様化する」けれど「社会的順位の確立等による闘争行動が生じ」て喧嘩などが起きるし「鶏と排泄物が分離されずに飼育されるため、病気、寄生虫病などが発生しやすい」「野外での放し飼いでは野犬等による被害や野鳥などの接触による伝染病発生の危険性がある」なんだそうだ。

でもこれってまさに、管理しやすいように、人手をかけずに生産したいと言っているんじゃないか。オーガニックの農産物の栽培は、害虫や病気の対策をていねいに手で行うから人手がかかり(だから値段も高くなる)、一方で、農薬をバーっと機械でばら撒けば、虫のついてないキレイな農作物が
手間暇かけずに収穫できる(だから安くできる)。それと同じようなことなんじゃないの?

でも畜産農家の話は、ほんの一例。

私や、私の父母、祖父母の世代が享受してきたバブリーな時代やら経済発展の陰で、犠牲にしてきたものが今、環境問題の脅威となって地球を脅かしている。

私が住んでいるイタリアでも、南の方では毎日のように山火事が起き、北のほうでは洪水が起きている。全て温暖化の影響だそうだ。極に近いほど温暖化の影響が大きく出ているという調査結果もあって、そういえば涼しいはずのカナダで50度を記録したり、札幌に移動した東京オリンピックのマラソンも、ありえない暑さでゴタゴタしていたんじゃなかったか。

そんな話を、先日、20歳の娘としていて愕然とした。

あと10年以内に温暖化をストップしないと、2050年ごろには地球は本当にやばいらしいけど、彼女はその時まだ50歳。子供を産んで、その子供が成長して、幸せに安全に暮らしていられないかもしれないなんて。

彼女の世代は自分たちの問題として捉え、環境問題にとても敏感だけど、壊してきた当人である私たちおじさんおばさんも、昔を懐かしがってる場合じゃない。

見ないふりはもうやめようよ。持続可能性もSDGsもすぐに忘れていい流行語じゃない。


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