上京した日


毎年春が来ると12年前に上京した日のことを思い出す。
(自分で書いて震えたぜ。12年も経ってんのか)


面接さえ受ければ誰でも入れる高校の熾烈な受験戦争を勝ち抜き、晴れて高校生になった僕は
ロイヤルホストでアルバイトを始めました。

当時の時給は730円。
(これでも周りから「高えー!」と羨ましがられていた)

今では考えられないような時給で
毎月8万円くらい稼いでいた。

あの時日本で1番オムライスを作っていた高校生は
恐らく自分であると自負している。


初めての給料日。

『我は覇者なり』と思った。

15歳の少年が突然8万円という大金を手にしたのだ。

銀行から意味もなく給料を全額おろし
膨れ上がった財布を見て

『社長みたいだ!!!』とドキドキした。

ルンルンで帰宅した少年は
母親の発言で地獄に叩き落とされることになる。

「今月から毎月1万円を家に入れなさい」


パニックで過呼吸になりそうだった。
誰か紙袋を持ってきてくれ。


『このご婦人は一体何を言っているんだ!?(実母)』


4つ上の姉、1つ上の兄は
当時アルバイトをしていなかった。
もちろん家にお金など入れていない。

なのに。
15歳のおれが。

毎月家にお金を入れる……?

『あまりにも嫌すぎる!!!!!!』

そんなことあってはならないに決まっている。

それならせめて姉と兄も働いて
家にお金を入れるべきである。

「お姉ちゃんとお兄ちゃんは働いてないんだから。でもあんたは働いてるんだから。入れないと。お金」

もっと一生懸命勉強しておくんだった。
母親の言っていることが全く理解できない。

しかし母親の毅然とした態度と振る舞いに

『もしかしたら自分が間違っているのではないか…?』
という気持ちになってくる。

大人はすごいのである。

それから給料日が来るたびに
母親に1万円を渡す日々が始まった。

母親は

「は〜い。ごっ苦労さ〜ん」

「は〜い。ありがっと〜ん」

などと言いながら毎月お金を受け取っていた。

なにが『は〜い。ごっ苦労さ〜ん』だ!!!!

必死に働いてはお金を渡し

「は〜い。ごっ苦労さ〜ん」

お金を渡しては必死に働いた。

「は〜い。ありがっと〜ん」



月日は流れ上京する日がやってきた。


愛猫と愛犬に別れを告げ
家を出ようとした時だった。

「ちょっと座りなさい」

振り返ると父親と母親が並んで正座している。
なんだか厳かな雰囲気である。

なんだかよく分からないまま
気づいたら自分も正座していた。

母親がテーブルの上に何かを置いた。

封筒だ。

父親と目が合い
一瞬封筒を見てまた僕の目を見た。

中を確認しろという意味だ。

恐る恐る封筒を開く。

中にはお金が入っていた。
30万くらいはあるだろうか。


「これはあんたが毎月家に入れてくれてたお金だから。東京行ったら色々大変だろうから生活の足しにしなさい」



お小遣いやお年玉をもらっても
数日で使い切ってしまう自分を見かねて
両親が代わりに貯金してくれていたのだ。


『この日のことを一生忘れないだろうな』と思った。

福岡から東京への飛行機の中で
封筒を握りしめて泣いた。




いい話はここまでである。 

そのお金を1ヶ月で使い切ってしまったのだ。

特に大きな買い物をした訳でもない。

気づいたら無くなっていた。

お金とは不思議なもので
使うと無くなってしまうのだ。


ていうかそもそも自分が稼いだお金だから
どう使おうが自分の勝手なんですけどね!!??



30歳になった今。

友人に「貯金って……してる?」と恐る恐る質問し
「全然してない」という言葉に安堵する日々である。

『誰もするな。貯金なんて。』

あの時バイトをしていなかった兄は
先日マイホームを建てた。

今の自分ではマイホームどころか
シルバニアファミリーすら買えないのだ。


今日もおれはチャリを漕ぐ。

食べ物を移動するだけでお金がもらえるという
不思議な仕事がこの世には存在する。

春の夜風にふとあの日の両親の愛情を思い出し
宮本剛徳30歳。今日もチャリを漕ぐ。

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