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自己紹介


記事をもう何度か投稿しているのですが、改めて自己紹介がまだだったのでさせていただきます。

モーレと言います❗️

静岡県出身で
陸上競技(長距離)を10年間やっていました。
今は趣味でランニングをしています。
ここから先は目次にそって自己紹介していこうと思います。

是非見てくださると嬉しいです。

学生時代

短距離から長距離へ

小学5年生から母親の勧めで陸上教室に通い始めました。走る事は昔から好きだったので走り幅跳びやリレー、短距離走を中心に活動していました。
中学時代は短距離走が目的で陸上部に入部しますが、当時はまだ長距離しかなく顧問の先生の誘いもあり長距離に所属します。
練習はキツく何度も辞めようと思いましたが、1500mで結果が出始め、その年駅伝では全国大会にも出場する事が出来ました。
顧問の先生、部活の先輩、後輩両親の支えもあり
中学3年次個人目標の3000m全国大会出場を達成する事が出来ました。

記録を伸ばしたいと思い高校へ

中学3年次全国大会に出場できたものの、予選で敗退してしまい、全国との力の差を思い知りました。
進学では地元の工業高校へ行くか悩んだ末
個人の力を伸ばし、インターハイ出場に向けて静岡の加藤学園高校に進学します。
中学時代と違って距離中心で、練習の多さについていけない事も多く、故障も目立ちました。
駅伝では全国大会を経験出来ましたが、個人ではインターハイ出場おろか県大会で敗れてしまいました。
個人で結果を残させなかった悔しさから大学でも競技を続けたい、走りたいという思いが強くなりその思いは箱根駅伝出場という目標に変わっていきました。

箱根駅伝出場に向けて進学

箱根駅伝出場へ向けて亜細亜大学に進学しました。
何故亜細亜大学にしたかというと最後に箱根駅伝に出場したのが2010年そこから順位が遠ざかっている状況でした。僕はその状況を変えたいという気持ちと下克上しようというチームの雰囲気が好きでした。また関東は陸上競技のレベルも高く、挑戦という環境においては適していると感じたからです。
練習の質も高くスピード中心だったので、高校時代とは真逆でいい刺激をもらいました。

選手からマネージャーへ転身

入寮してからすぐ足の甲の痛みを感じ、整形外科でMRIとレントゲンを撮りました。
診断結果は中足骨の疲労骨折でした。
そこから約2年間リハビリをし、練習をしていたのですが復帰と怪我の繰り返しで思うように練習が出来ず、
大学3年の夏にマネージャーに転身しました。
まだ走りたい気持ちもあったのですが、そこでマネージャーの大変さや今まで自分が知らなかった事を学べて本当に良かったと感じています。
中々身が入らず監督や他のマネージャー、選手に迷惑をかけてしまった事もあるのですが周囲の人が声をかけてくれて続ける事が出来ました。
本当にいい環境に恵まれていたなと感謝しています。

走れる環境に身を置き、市民ランナーになりたい

4年次の就職活動の際
自分は元々高校進学の際工業高校に進学したいと考えていた事もあり、モノづくりと走れる環境に身を置きたいという事を軸に今の会社に入社しました。
会社の近くにエコパスタジアムもあり、走れる環境としても最適でした。
現在(2022年2月)足の手術をして休養中ですが、リハビリを終えたらまた走るつもりです。

今後挑戦していきたい事

大学時代トレイルランをしていた事もあり、山を走る大会を中心に挑戦していきたいと考えています。

またこのnoteで大会の感想やトラックレースとの違いやシューズの感想を発信していけたらいいなと思っています。


以上です。
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ありがとうございます。

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