異文化理解力を読んだ感想

国の文化によって、人間の振る舞いが全然違ったりするよ。どんな文化圏の人なのか、相手を理解すればトラブルを避けられるよ。という本。異文化間での具体的なトラブル発生状況が書いてあったり、表にまとまってたり、読みやすい。

ローコンテクスト、ハイコンテクスト


日本はハイコンテクスト(はっきりと口にしない)
私は日本人なので、ハイコンテクストのようだ。相手になにか説明するのが下手なのはそういうことなのだろうか…。一方で仕事のときはローコンテクスト(明確。額面通り)のような気もする。自分の中で比べたら。他の国の人からは、やっぱりハイコンテクストだと思われるんだろうけど。あと冗談が分からなかったりするところもローコンテクストなのかな。

と、自分に当てはめて考えながら読んでみた。本は国の文化の違いを書いているけど、それは個人間にもある違いなんだと思う。本の最後にも人間はみんな違うとか書いてあったし。

ネガティブフィードバック

日本人は間接的なネガティブフィードバック。これは本当に慎重になりすぎと思えるぐらいにそう。なので、直接的ネガティブフィードバックの人類を前にすると、驚いてしまうし、傷つく。まぁちょっと繊細すぎるかなぁとも思うけど、違う文化圏の人だ!と思えば、傷つくこともないのかな?
違う文化圏の人に合わせようとして、真似をするのは良くないと書いてあった。どこまでが許容範囲なのかは結局その文化圏の人にしか分からないものだから。理解してないのに真似するのはやめよう。

ハイコンテクストで間接的ネガティブフィードバックをする日本


「好ましくないメッセージをぼかすために食べ物や飲み物を使う」

私はまさにこれをされた記憶がある。私が妊娠した時彼が食事に誘い、中絶してほしい旨を伝えられた時がこれだ。さらに「中絶」という直接的な言葉は使わなかった。日本人だぁ。

ハイコンテクストで直接的ネガティブフィードバックをするロシア


かとうさんはロシア文化の人と考えると、なるほどなと思うことがある。直接的ネガティブフィードバックが日本文化ではトラブルのもととなりやすい。なんとなく池袋で会った時にかとうさんが、「つまらない」は言えるけど、「トイレに行きたいからどいて」は言えなかったことを思い出した。
かとうさんとは

原理優先か応用優先かの話


原理優先…最初に理論や複雑な概念を検討してから事実や、発言や、意見を提示する。

応用優先…事実や、発言や、意見を提示した後で、それを裏付けたり結論に説得力を持たせる概念を加える。

私が行ってたギター教室、音楽理論の説明が多く、実技が少なかったの、原理優先って感じがした。座学と実技、並行して出来ると理想かもだけど、私は実技からやる方がいいかなと思った。座学わかっても、弾けるわけじゃないし。弾けてから座学やった方が興味が続きそう。と思ったところが私は応用優先っぽいなと。

平等主義と階層主義


平等主義…上司と部下の理想の距離は近い。理想の上司とは平等な人々のなかのまとめ役である。
階層主義…上司と部下の理想の距離は遠い。理想の上司とは最前線で導く強い旗振り役である。

日本は階層主義。前職場の院長がなにも決められないことに不満を持っていたのは日本人的。院長も日本人でしたが…
医師免許を持ってるかそうじゃないかとかあるし、平等主義的にはなりにくい。階層主義的なんだけど、強い旗振り役が強い旗振りができなくてグダグダだった。その割にプライドだけは高い。ただの院長の愚痴になってしまった。
院長に階層主義的な振る舞いを期待していたにもかかわらず、私は階層主義文化からズレてた可能性がある。
階層主義では、特に人前では上司の意見に敬意を払うような努力を必要とするそうだ。私はミーティングで、つまり人前で院長の意見にはっきりNOをつきつけていた。私は平等主義だった…?院長の了承を得ずに行動に移していたところも平等主義的。私と対立していた職場の方はザ階層主義だった。院長の意見に敬意を払っていたし、必ず院長の了承を得てから行動していた。そりゃ合わない訳だ。それと、私が平等主義的な動きをしていたのは、院長が階層主義的な動きをしなかった結果なんじゃないかとも思う。

バイキングは平等主義だった。

階層主義のイメージがあったけど、そうではなかったそうです。海賊王とかいなかったのかな。

平等主義「たまたま二年早く生まれたからという理由だけで一番良い梨を兄に譲ったりはしないだろう」

本当たまたまだよな…全てが…日本では年長者を大切にする文化があるからやはり階層主義だな。

合意志向とトップダウン式

合意志向…決断は全員の合意の上グループでなされる。
トップダウン式…決断は個人でなされる(たいていは上司がする)

日本は合意志向。


稟議システム…役職が下の人達が合意してからひとつ上の役職へと意見を渡していくシステム。
利点がよくわからなかった。やりすぎ感が強いと思った。コロナでのもたつき具合とか、こういうことなのかな。行動→修正を繰り返してく方(トップダウン式)が良いと思ってしまう。ある程度トップダウンが好み、なのかな。(多分従う側ではなく決断する側が好みな気がする)
同じ日本人でも合意志向かトップダウン式か、思想が個人間でも差があるから、そういう文化があるってことは理解しておこう…

関係ベースとタスクベース

関係ベース…信頼は食事をしたりお酒を飲んだりすることによって築かれる。
タスクベース…信頼はビジネスに関連した活動によって築かれる。

シャドーハウス第5話「深夜の同期会」

この話ではケイトが同期の賛同を得るため、同期を集めてタスクベースで話し始めるが、他の同期は全然話を聞いてくれない。考えたケイトが「難しい話ばかりしてごめんなさい。せっかくみんな集まったんだし、楽しいことをして遊びましょう」みたいなことを言って遊ぶことになる。ひとしきり遊んで今日はこれでお開きにしようと帰ろうとしたケイトに、他の同期たちが「それで、俺たちは何をしたらいいんだ?」と、ケイトの話に乗ってくるようになる。ケイト(タスクベース)が他の同期(関係ベース)に合わせたことにより話ができるようになった例だなぁと。

関係ベースのアプローチが無難。

相手との共通点を探す。(年齢、経験、趣味、音楽…)
自分にとってものすごくしんどい作業のように思う。もっと他人への関心を持ったほうがいいのかな。他人への関心を持ち過ぎてると思って削りすぎたような。それか多分「関心を持つ」の意味が違う。

食事をともにすることが信頼を得るためには大切なこと。
思い出したけど、バンドやってるとき、飲みに行くためにリハに行ってるという認識。私はそうでもないけど、周りの特におじさん。この前行ったダンス部も、バーで飲むためにダンス部に行くと言っていてバンドと同じだと話した。目的がリハやダンス部ではあるけど、実は飲みに行くためのおまけ。やっぱり、それぐらい重要なことなんだと思った。

ミーティングの話。


A 良いミーティングでは、決断が下される。
B 良いミーティングでは、様々な意見が議論され熟慮される。
C 良いミーティングでは、ミーティングの前に行われた決断が正式に承認される。

どれだと思いますか?

私はAかなと思ったけど、日本人の多くはCを選ぶそうだ。
前職場でのミーティングを思い出した。たしかに、ミーティング前の決断の承認としてミーティングしてて、私はそれが納得出来なかったのは、私はミーティングによって決断されると思ってたからだ。そのミーティング前の決断というのも、事務側の意見なしで、院長と看護師サイドで決断されたものを言い渡されただけみたいな。ミーティングで事務側の私が意見を言っても意味なかったのは、そういうことか…
そういった根回しを行うことも日本文化で、前職場でなされていたんだなぁと。考えたら私も根回しはやろうとしてた。出来てたかは別として…。

直線的な時間と柔軟な時間


直線的な時間…プロジェクトは連続的なものとして捉えられ、ひとつの作業が終わったら次の作業へと進む。重要なのは締切で、スケジュール通りに進むこと。組織性や迅速さに価値が置かれる。

柔軟な時間…プロジェクトは流動的なものとして捉えられ、場当たり的に作業を進める。大切なのは順応性であり、柔軟性に価値が置かれる。

日本は直線的。私は時間に厳しいわけではないけど…直線的な時間で考えている。柔軟な時間は緩いというより、多元的というのは初めて知った。直線的より順応性があって、私は柔軟な時間の方が好みかもしれないとも思ったけど、それは直線的な日本にいるから、憧れ的にそう思うだけかもしれない。

行列の作り方の違い、「常緑樹文化」


常緑樹文化…行列は一列に並ぶのではなく、常緑樹のように列が各方向に広がり枝のようになる。

直線的な日本では、行列も一列だ。だけど、大規模なライブだと、ちょっと常緑樹文化っぽさもある。一列には並ばない。ざっくり何番から何番まで入場、入場後も並んだ(番号)順とは関係なく場所をとる。

私はやはり直線的。でも以前と比べると柔軟になってきた。遅刻するし…相手の遅刻も以前に比べたら気にしなくなった。これは自分が遅刻するからなんだろうけど。それでも、先の予定を立てたがるあたり、直線的だなぁと。
便宜上彼と呼んでいる彼。彼は私より柔軟な時間の人なのかもしれない。私に対してだけだと思うけど。予定が立てられない。状況が変わってしまうから。いやなんか書いてて悲しくなってきた。仕方のないことなのは分かってるはずなのだけど、彼もなるべく応えようとしてくれていると思ってるけど。…もうナイジェリア人(柔軟な時間文化)だと思い込むことにしよう。

そう考えたら悲しいことではないな。まぁ、真実なんて一生わからないし、そういう文化の人間だと捉えたらなにも悲しいことはない。違いを認識できないことが悲しいことだ。

結論、同じ人間だけど、みんな違うよねー


自分が触れてない文化について知ることができた。いいなと思ったところは取り入れたいとも思った。日本人の文化に注意して過ごすのがいいんだろうけど。
個人の違いとは文化の違い以外にも要因はあるものだと思うので、今回は異文化の違いだけに当てはめて考えてみました。おわり。

最後に

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
私の今回のnote記事がよかったら、いいね/フォロー/サポート/オススメなどしていってください

よろしければ、こちらにカンパお願いします🤲

画像1


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?