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23/2 和歌山・奈良紀行②

八田を出た瞬間、近鉄の回送に抜かされる。のろますぎるだろ、、
それはともかく、朝日に照らされて気持ちの良い車窓だ。始発から乗ることにして正解だった。
キハ85はもう乗れないので乗れるだけ乗っておくほうが正解である。

三重県への川を渡る。うーんこれを越えるといかにも東海の旅という感じがする。東海だろうが近鉄だろうがここは同等の旅情があるというものだ。東海の車掌さんはハキハキと検札に来る。どこかの東○本とは大違いである。(偏見)

驚いたのは桑名までで降りる人が割といること。確かにこの時間は快速も走っていないのでJR利用者からすれば最適か。近鉄特急を下手に使うよりも安いかもしれないし。


四日市で多量の下車がある。それでも窓側はほぼ一通り埋まるほどには混んでいる。

ここからは伊勢鉄道を通るので少し割高だが。これのおかげで津に行くときに近鉄特急には歯が立たない。

夜行バスで眠れなかったので、うとうと居眠りをかましていた。
ちょうどよく松阪で起きた。未制覇区間直前だ。センスが良すぎる。

かなり田舎な景色の先に、多気駅はあった。ここには何年ぶりに来たのだろうか…20か21年の冬だった気がする。たしか京都の方に行った帰りの。その日は参宮線で鳥羽に抜けてそこからフェリーで豊橋に抜けたので、紀勢線のここより南は乗れていない。
しかし亀山〜津は乗れていたので、和歌山市まで行けば全線制覇なのだ。
当時は京都のアパホテルは4000円で温泉がついてるところに泊まれたもので、自分が高校生で金がないときに丁度コロナで価格崩壊が起きたのはある意味奇跡である。
自分が一番金が無くて体力はあったときに、インバウンドが壊滅して安く旅ができたのは時代に助けられたとも言える。コロナ時代は一概にクソだったとも言えない身分だ。まあ修学旅行等高校のイベント諸々が潰れたのでやっぱり良いものではないが。


行き違い待ちで7分の停車。ウトウトを重ね、久々に車外に出たら風が気持ち良い。丁度よい気温だ。

しかし、日本語の電子表示だけで、案内も肉声だけの特急がよく令和5年まで生き残ったなと言う感じである。確かに言われてみれば凄く時代遅れだ。
名古屋で見た高山方面の新車は、山手線と同等の案内を有していたわけで、それは大革新である。
どう考えても廃止の早いのはしらさぎやサンダバなのだが、関東人なので失念していた。うーん今年中に乗れるだろうか。特急旅は思った以上に金がかかるのだ。



海が見えてきた。お菓子を楽しみながら海も楽しむ。何と言う贅沢だろうか。埼玉育ち群馬在住の内陸ゴリゴリマンは海を見ること自体がお菓子を食うことと同じくらい幸せなことだというのに。
一応、初乗り運賃でも眺める事のできる海は知っているが、房総の海などもう中学の頃に何度も履修済みである。まあちゃんと降りてみたいけどね。

海沿いの小さな村々に思いを馳せる。出かけると、山奥の村でも育つ子供がいるという当然の事実にやはり驚く。自分のように埼玉と東京を股にかけて育った人間とは価値観が大きく異なるんだろう。同じ大学に来ている地方の人間とですら齟齬が多いのだから間違いない。出掛けるということは、自分と価値観の違う人間が住む場所に出向くという事でもある。首都圏の価値観が正義なのは首都圏だけで他はそうではないのだ。
価値観の押しつけは時に対立と争いを生む。もう20近いのでこういう事で面倒を起こさないように注力するべきなのだが。

ふと上を見ると、照明の古さが目立った。所々テープか何かで補修されている。
哀愁か旅情か。人それぞれに感想を持つ範囲だろう。

色褪せて駅名標が見えない駅があった。それはまずいだろ。本当に誰も使わないんだろうか…
一応集落に隣接していたのでまあ、地元の人はたまに使うはずである。


電波が死んでいる。地図で現在地を確認できないのは現代人としてはそこそこ耐え難い。


絵に書いたような集落である。このような集落が現れてはトンネルに入り、電波が途切れる。

これは綺麗だ。夏に海水浴で賑わうという電子案内も非常に理解できる。冬の今見ても入りたいが、これだと完全に寒中水泳になってしまう。冬であることを忘れさせるような夏要素だった。

熊野市を出て、ついに次は新宮。目的地だ。
明らかにここまでの山奥とは雰囲気が違う。
熊野市からでも乗車券と特急券を何も持たずに乗ってくる人がいた。熊野市って無人駅なのか?
現在の全国の鉄道状況を見ればあながち車内で販売する事による駅員の削減は確かに効率的か。

割と熊野市から先は平地を走る。集積とまでは行かないが、さきほどと異なり割と人里の中を走っている感じがある。紀州地域の「都市」だろうか。


三重県らしい工業施設が見えてきた。まあ、あと数分で三重県は終わってしまうが、やはりこの景色は安心感がある。産業があれば当然そこに人が集まり、地域が存続されるのだ。


列車は和歌山県新宮市に入り、程なくしてJR東海の終点に至った。
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