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「共に生きる」みんなの居場所の始め方  ~みんなの家タブノキの場合~

目次

■ その1 ド真ん中の「一行(いちぎょう)」に何が何でもたどり着く!
■ その2 風と水の通り道の上の拠点を探す!
■ その3 タスク曼荼羅(マンダラ)はつよい。マジで強い。
■ その4 商工会議所は、行っておいた方がいい。
■ その5 1日1ツイート最低10年!しんどいけどリターンはでかい。
■ その6 写真で伝わるもの。
■ その7 主語は誰か。
■ その8 用事を作りそれぞれが目的を果たす場
■ その9 見えてきた課題

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皆さん こんばんは。
今年も残りわずかとなり、毎年思うのだけど今さら一年分をひっくり返す動きなんてできない。せめて、出来たこと、出来なかったことこれから行こうとしている場所を確認しておきたいと思った。

最高じゃなくても最低じゃない未来を何度でも描き出すために。約1万3000字。少し長いまとめになるけど興味のある人は最後まで読んでいただけたら嬉しい。

みんなの家タブノキを始めて約一年半が過ぎた。

新型コロナとともに事業がスタートし、本当にありがたいことに、ここまでたくさんの方々に応援され見守られ活動の内容も充実してきている。どうにか経営も安定しつつある。でももちろん全部できているわけじゃない。課題も山積みだ。それでも前を向いて歩き続けたいと思っている。

初心者の僕らだからこそ、今話せること、2年前の僕らと同じような思いを抱いている全国の仲間達の何かの足しになったらと思い、僕らなりの、このようなつどい場の【始め方】をまとめてみることにした。

最近は全国から見学に来られた方達から、「子供からお年寄りまで集まる場を作りたいけど何から始めたらいいのかよくわからない」「具体的な方法を知りたい」という相談をちょいちょい受けるようになった。僕らは大好きな先輩達がそうしてくれたように全部残らずお渡ししようと思っている。色々なところでお話しさせてもらっているが僕らにオリジナルなものはない。全部受け売りだ。でもそれでいいと思っている。

なぜならば、そこに暮らす人はたった一人のオリジナルな存在だから。
どんなに真似しようったってその人に成り代わる事はできないから。

だから星の数ほど「つどい場」はあった方がいい。
そこで暮らす人達の個性が暮らしの彩りを、幸せの形を、無数に描き出すことが想像できるから。

幸せは、みんなで分け合うほど、不思議なほど、どんどん増えていく。そして、集まってくる。僕らの言葉があなたの暮らしの中で家具のようなアイテムの一つになれますように。

そして小さなバトンをいつか渡しあえますように。

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■ その1 ド真ん中の「一行(いちぎょう)」に何が何でもたどり着く!

「こういうことをやりたいんだけど」と見学に来られた方から相談を受けた時、僕は必ずこの話をしている。その方達の目が、あの時の僕らと同じく未来を覗こうとしているのが分かるから。

だからいつも同じ話をする。

先輩達にお聞きする中で、同じ質問にどんな業種の方達も、皆、口をそろえて同じことを話してくれた。なぜか。そこに一つのヒントがある気がしている。それこそが「ど真ん中の理念」なんだと思う。

人は勝手に目的もなく集まったりしない。人が集まるのには、理由が必要だ。その理由は、僕らが考える限り「いい人」のところに集まってきたりもしない。人が集まるのは「言葉」の力によってのみなんじゃないかと思う。

「そういう事をしたいと考えてる」人のところに「そういうこと僕も私もしたいと思っていた」人達が集まる。

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このゆびとまれ、する人の一番先にやる仕事がこの「誰が聞いてもすぐに理解できる理念」をばっちーんと提示すること、ではないかと思う。そしてそれこそが、言い出しっぺの一番重要な仕事なんだろうと思っている。

集まる人達が、その「ど真ん中の一行(いちぎょう)」に反応した人達なのだとしたら、途中でそのド真ん中の一行を手放したり、違えたりすれば、途端に、消えていなくなってしまうはず。

理念が上滑りしているような、あるいは沢山ありすぎてただの呪文のようになってしまっているような会社や組織は少なくないのかもしれない。でも。これからはじめようって時に、ド真ん中にあるべき理念がフニャフニャだったら、たとえ思いはあっても、きっとその「つどい場」にはいい感じのグルーヴが発生しないと思う。

ド真ん中にある一行は、もう一つ、ド真ん中に据えるための条件がある。
それは、主語をはっきりさせることだ。
よくみかける理念のなかには誰が主語なのか、目的語(対象者)は誰なのか。全くよくわからない玉虫色の理念もある。これまた、集まる人の力が焦点を結ばないと言わざるを得ない。

僕らの場合、ド真ん中の一行を『共に暮らしやすい地域をつくる』とした。

主語は、「僕ら」だ。目的語は「地域の人達と」。自分達で決めておいて、大それた目標だと思った。でも、絶対にぶれないとも。これから人の渦が生まれ磁場が発生したとしてもどれだけ経ってもその軸を離さずしっかりとつかんで立っていられる言葉。そんな言葉である必要を感じながら書いた一行だった。

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今にして思えば地域すべてを作るわけではなく「その中の一部に溶け込ませてもらう」という意味で、僕らは地域づくりに参加させてもらって居る。
「共に」という言葉にその思いも込めていたので、自分達の立てた目標が決して大きすぎるものではなかったし、身の丈に合った活動へとつながっていて、いつでも立ち帰る事の出来る目標だとも感じている。

だからといって、自分達の立てた理念が最高だとも思っていない。理念はそれぞれの場にあったものをありったけの思いを込めたものであればその場に居る人達にとっての芯の言葉になると思う。そういうものを持って居る人達は、きっと幸せに暮らせると実感してる。

実はこのド真ん中の一行にたどり着くという大仕事は、やれるタイミングが限られている。それは事を起こす前。言い出しっぺとその仲間達が知恵を絞って最初の一行にたどり着く瞬間が実は宝の瞬間だったと、ずっと後になって気づく。

事が動き出してしまえば、そうそう簡単に軸をずらすことはできないし、もし軸が弱ければ動き出した人・金・モノに簡単に引っ張られてしまう。すっぽ抜けたが最後もう戻ることはできない。

それだけ大切なものを一番最初に作る、ということを自覚できた人達がのちのちよいグルーヴを作っているのではないか。右も左もよくわからない、それでも思いだけがあふれてる状態でこの一行に辿り着くのは至難の業だ。

だから今までとこれからの人生をすべて賭けるくらいの意気込みをたった一行に込める。目指すべき道を。

何のために生きていきたいのか。
自分の命を何に使うのか。

なんだか途方もない話のようだけど究極のところ、そういうことなんだと思う。何日でも何か月でもかけてじっくり考えるべきだと思う。理念を変える時、それはその理念が達成できた時。次のゴールに向かって歩き始めた時。

僕らにそんな瞬間が訪れるとは思えないけど大目標を立てればそれでおしまい、というものではないことをいつも胸の奥にしまっている。

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■ その2 風と水の通り道の上の拠点を探す!

拠点とは僕らにとっては家のこと。
風が通り抜けるところには人も多く訪れる。家が地面とくっついている以上、その土地の影響を強く受け「佇まい」として、まるで人格に近い性格を帯びている。だから、どんな地形にある家なのかによってその特性が大きく異なる。ごくごく当たり前のことなんだけど、事を起こす前、なぜかそのことをスルーしてしまう方が多い。

その拠点がある地形の先が行きどまりになっているのか。
それとも峠の向こうへと道が続いているのか。

これでだいぶ集まる人の特性が変わる。向こうへ通り抜けている地形ならば
人と人が行き交う場になりやすいし、行きどまりの地形ならば肩寄せ集まっての形になりやすい。地域をどの範囲で考えるのか、によってもこの地形の捉え方が変わる。

僕らは町中に拠点を作りたくなかった。どちらかといえば田舎が好き。でも、町からもそれなりに近い場所がいい。そのぎりぎりのところで物件を探した。値段も重要。市町村の境目つまり辺境の地には掘り出し物がある。

これまたよく聞かれる質問だけど「どうやってこの家をみつけたんですか?」答えはシンプル。ネットで検索。ネットなんかに魂を奪われるな!というもう一人の自分もいるのだけど検索力は人生を左右すると思っている。

検索する際したポイントは「なるべく写真映りが悪く条件が良いところ」。
町からの距離、周りの交通状況、土地の広さ、、挙げればきりがないけど、
僕らがここだね、と決めた一番の理由は歩いて800mのところに古墳があったこと。実際に歩いてみないとその家の魅力はわからない。

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建物はとても変なつくりをしていてワクワクしたし、値段も魅力だった。
けど、古墳の方がさらに魅力だった。古墳が近くにあるということは
遥か昔この地に暮らした人の息遣いが残っているということ。歴史が暮らしの中にある安心感。この直感は、一年半経ってやっぱり間違いなかったと感じている。この家にはいつも浅間山から吹き降ろす風が強く吹き抜けている。

水が合う合わない、ということもある。

これは住んでみなければわからない、ということもあるけど「土地柄」と呼ばれるものと近い関係にある言葉だと思う。そこに暮らす人達の特性とのマッチング。仕事としてではなく、住人としてその土地を選べるのか、という視点。

学校や仕事場以外の、ほっと一息つける居場所は、きっと誰にも必要だ。

つどい場に、そんな機能もあるのだとしたら、そこで働く人にもその感じが必要で。ほっと一息つけるかどうかは、暮らしの中にそのゆとりがあるかどうかと、本能的にその場が気持ちの休まる場であるかどうかの二つの要素が必要だと思う。後者を決定するのが、水が合うかどうかではないか。

結果として、ネット検索で得た情報からではあったけれど、沢山のご縁をいただき僕らはこの地に根を下ろすことができた。きっかけは些細なことかもしれない。風と水の流れを感じて、直感を大切に、考えるより先に動くことも重要な局面もある気がしている。いきおい大事。

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■ その3 タスク曼荼羅(マンダラ)はつよい。マジで強い。

僕らをコンサルしてくれている浦野さんから、「大谷選手が高校の時使ってたらしい」と紹介され使い始めたツールがこれ。そのエピソードは有名らしいのであまり触れないことにする。

タスク曼荼羅を知らない人が読んでいることを想定して書いているので、知ってる方は読み飛ばしてほしい。

その1で「ド真ん中の一行にたどり着く」話を書いた。で?そのあとは?の答えがこのタスク曼荼羅だ。人生を絞り出して導かれた一行は、おそらく抽象的な内容だ。他の人からすれば夢うつつぬかしやがってと笑われる内容かもしれない。あなたに笑われたって全然かまわないよ、と突っぱねるには、自分達の中に具体的な実現までの道のり、工程表が必要になる。それがこのタスク曼荼羅だ。

詳しく説明しよう。

まずたどり着いた渾身の一行を真ん中に置き、その一行の内容を実現するための8つの目標を立てる。この8つを実現できれば真ん中の一行を達成できる、という十分な内容の8つの目標を。実は真ん中の一行と同じくらいの気合を入れてこの8つの目標を書く必要があるのだけど、そして具体的な内容なのでワクワク感もあるのだけど、ここからは戦略的思考が必要になる。

8つの目標には数値目標を設定する必要がある。しかも期限付きで。

タスク曼荼羅にはさらに続きがある。ド真ん中の一行に辿り着くための8つの具体的な目標に対し、その一つ一つを実現するためのさらに8つの小目標を立てるのだ。全部で64の目標になる。でも隣り合う領域でかぶっている小目標があってもよし、という補足ルールがある。このあたりから戦略を立て、道筋が見えてくるようになる。

ありとあらゆる目標に対し、ステップ表を追加し、半年一年と立てた目標を追っていくことを課すことによって、自分達が思い描いているビジョンが鮮明に他者へ伝わるツールになる。

タスク曼荼羅の何が強いって、このほわーんとした、もしかしたら自分に酔いそうになるストレートなド真ん中の一行に対して、ド厳しいスパルタなタスクを自覚せざるを得ない「現実寄り戻し感」に他ならない。

事を成すには、ここまでやらなければと自分を奮い立たせることができる。

そしてたった一枚の中にあらゆる設計が含まれているため、誰が見てもすごいチャレンジを本気でするつもりだということがわかる。つまり本気度が問われるタスク曼荼羅。最強すぎる。中途半端な気持ちを寄せ付けない。

僕らの起業時のタスク曼荼羅がこちら。

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当然できていることも全然まだ手つかずなこともあるけど、こうして可視化されていると、いつでもそうだったそうだったと思い出せる。

僕らが進む道はひとつではない。

曲がりくねった中からも筋の通った一本の軌跡が、合点のいくものでなければならないと思っている。行き当たりばったりではあるけれど、非計画的ではあるけれど、僕らは全力で日々を紡ぐ指針を持っている。このことがつどい場を運営していくうえで判断を迫られる局面に出くわした時、いつでもまっすぐに答えられる強さになる。そんな曼荼羅だと思っている。目的と目標を見誤らないために。

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■ その4 商工会議所は、行っておいた方がいい。

その1で考えた理念を実現するために、その3のタスク曼荼羅を作り、次に取り掛かるべき仕事が、事業計画書だと思う。

事業計画書が必要な理由は、お金を借りるためと制度を使うため。両方使わないなら要らない。僕らの場合は元手がほとんどなかったのと、介護保険事業や障害サービスの制度をがっつり使うことが前提となっていたのでどうしても必要だった。

起業の相談に嫁さんの当時の職場であったわざわざの平田さんが乗ってくれた時、僕の書いた計画書を見て鼻で笑われたのを覚えている。今思えば多少わざとだったのかもしれないけれど、とてもありがたい瞬間だった。どれだけ思いを込めた計画書であっても、計画書を書く目的を正確に理解していないと全く機能しないからだ。

僕こんな事想ってるんです、と伝えることが計画書の目的ではない。この計画を実行するとこれだけの人が幸せになれるので、そのためにこういう方法で実行します、と伝えることが目的だ。想像と実行の違い。計画は思い描いたものを紙の上でまず一番初めに実行するDoだ。そこを勘違いすることがきっと多いのではないかと思う。

商工会議所に駆け込みな。

平田さんはあの時優しく教えてくれた。まずあの拙い計画書を持って銀行に行っていたら、門前払いだったと思う。会うべき人に会うべきタイミングを教えてくれる先生が僕らの周りにはたくさんいる。

小諸商工会議所の青木さんにはこれから先も頭が上がらない。もちろん事業を始める前、商工会と商工会議所の違いも知らなかったし、両方その存在をきちんと認識したことはなかった。青木さんは拙い計画書をおずおずと差し出した僕らの顔を見るなり身を乗り出して話を聞いてくれた。

「面白いと思うし、このご商売はご自分のためにやる事ではない。他の方とはちょっと違う。これからの世の中に必要なことじゃないかと私は思う。サポートしていきますよ」

力強い応援のお言葉をいただいた。と同時に具体的な数字の話に入り、倒産時のリスクや自分達の預金通帳とこの計画書が一気に同一線上に並び、ぞぞっとした。そう、計画書とは自分達の生活の上にある背筋がぞぞっとするものなのだ。この時になって平田さんに鼻で笑われた意味を理解した。

もっともっとぞぞっとしろよ。

きっと平田さんもそう思ったに違いない。つまり本気度。借金を背負うということは命がけの仕事になるということ。元々そのつもりだったけど、自分の中だけではなく沢山の人達をこれから巻き込んでいくことになることを思い背筋が伸びる思いだった。

それから、本当に青木さんは必要な知識や能力を必要なタイミングで習得できるよう一つずつ提示してくれて、僕らは霧の中その光だけを頼りに四つ這いでがけをよじ登っていたように思う。

お金の事、創業に必要なプレゼン能力の事、法律の事、、商工会議所に駆け込んでいなければ、これらの知識も技術もないまま突っ走ってどこかで挫折していたと思う。

商工会議所をネットで調べると担当の人次第とか、抜け道はこうだとか出てくるけど、僕らは胸を張って言いたい。つどい場をやりたい人は、その1からその3までを丁寧に作りこんだ人は、間違いなく商工会議所でプラスの情報を得ることができる。どんなに拙い計画書でも書き上げて、一度話を聞きに行っておいた方がいい。扉はノックした人だけに開かれる。

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さあ、ここまでで約半分。残りも読んでいただけると嬉しい。

■ その5 1日1ツイート最低10年!しんどいけどリターンはでかい。

平田さんはもう一つの重要なアドバイスをくれた。それがこれ。Twitterやってる?やった方がいいよ。わからなくてもいいから今すぐ始めな。と。

何度でも書こう。1日1ツイート最低10年。

平田さんはパンと日用品の店わざわざを10年で一流の名店に育て、オンラインを駆使しカリスマとなった方だ。とても気さくなお人柄だけど、経営者としての厳しさはむしろ清々しい。にしても、だ。この宿題の重さは、始めてすぐにはわからなかったけれど、少ししたら途方もない覚悟が必要になることがわかった。心の中のえいっという勢いなしには到底はじめられないことだったと。

SNSがこれだけ世間で騒がれているけれど、僕らはそれまであまり興味がなかった。何を隠そう僕はこの時まで、一度たりともTwitterを開けたことがなかった。正直なにやら怖かった。得体のしれないものを無条件に人は怖いと思うものだ。

平田さんはご自分のアカウントでこれから面白いことやる人達だから、とSNS講座の形をとり僕らを紹介してくれて、始めたその日に100人を超える方達からフォローしてもらった。なんだか泣きそうだった。僕らはスタートからぼっちじゃなかった。

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僕らはTwitterを見たことがなかったので、これを読んでいる人の中にもやったことがないという人がいることを想定している。知っている人は読み飛ばしてほしいけど少しだけTwitterというものを紹介しよう。

Twitterは基本的に文字の情報を主体に短文で情報を発信する媒体。匿名で参加可能なので仮面舞踏会のようでもある。1回に発信できる文字数には制限があり140字まで。実はこの140字というのがとても重要で、僕らはこれを短歌や俳句になぞらえ文学の新しい形態の一つと捉えている。140字の発信内容に対して4枚まで写真を添付することができる。

気に入った投稿をする人の事を追いかける機能がありフォローする、フォロワーになるという。また気に入った投稿をほかの人にもぜひ見て、と思った時、リツイートという方法で紹介できる。派生語は沢山ありすぎなので基本機能はここまで。現時点で、みんなの家タブノキを2800人を超える人がフォローしてくれている。

僕らは起業を決意し平田さんに紹介してもらった時点から今まで2年とちょっと、ほぼ毎日(寝落ちしちゃった日も何回かあり)更新し続けている。Twitterをメインに発信し続けることで生活のすべてがひっくり返るほどのパラダイムシフトが起こった。その変化はこんな感じで起こった。

・Twitterの文字に添えるために日常の写真を撮るようになった。

・写真を通してみてくれた人が反応してくれるので、まるで写真が窓のような存在になり、常にそっと見守ってくれてる人もいること、つまり窓の外から覗く何万人かと共にその存在や気配をお互い感じながら生活することになった。

・はじめはおっかなびっくりだったけど、次第に慣れてきたらTwitterを介して知り合う人達が、会う人会う人皆いい人ばかりだった。

・その中の一部の人は、実際に遊びに来てくれたりオンライン上で講演や対談をする機会をくれるようになり現実の生活とオンライン上でのやり取りの境目がなくなった。

・Twitterの為に取り始めた写真だったけど「写真を撮る」という行為そのものが僕らの場合日々の仕事や暮らしの質を爆上げすることに気が付いた。

・たくさんの方たちに見守られながら生活していたら、「僕ら」の範囲が画面の向こうにまで広がっていった。始めてすぐに一人じゃないと思えたことも大きいけれど、気が付いたら「小さな暮らし方」が日本全国を「小さな地域」に変える意識の変革が起きていた。沖縄も北海道も隣の家という感覚。この感覚は、「自分」というものを見直す機会にもなった。僕の命はもう僕だけのものではないという感覚。人間はつながりあって生きている。

ここまで書くとTwitter信仰者のようだけど、メインの発信がTwitterというだけで、InstagramでもFacebookでも発信を続けている。ただ圧倒的に全く知らない人とつながれるのは僕らの場合Twitterがほとんどだ。

Instagramは写真のアーカイブとして、FacebookはTwitterでの発信のまとめとして使い分けている。さらにこうしてFacebookでの記事などをまとめてnoteにアーカイブしようとも考えている。

SNSで生活が変わった。それに費やすエネルギーは小さくないけれど、リターンは目に見えてドでかいものだった。まず僕らの場合収益のほとんどはネット上の情報を見て、興味を持ってくれた人たちが反応してくれて利用につながっている。足で回る営業活動は2年間で2回しかしていない。

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SNSを通して僕らは昔ながらの家で暮らし、赤ちゃんからお年寄りまで共に過ごす居場所を作っていて、田舎のゆったりとした生活を送っているように見えるが、決して昔ながらのやり方はしていない。SNSで発信するということは、目の前に一緒に過ごす人達と築くお互い様の関係づくりと全く何ら変わらない。その範囲が拡張されただけ。

「共に生きる」という暮らし方を選択肢の一つとして提示する。そのこと自体が、実は提示した内容に共感してくれた人達とも共に生きるということだったのだ。僕らは決して独りじゃない。これを読んでくれているあなたも。


■ その6 写真で伝わるもの

時系列で言うと、僕らは平田さんのアドバイスを受け毎日SNSでの発信を自らに課し、そのためのツールとしてTwitterを選択した。その発信に合わせて日常の写真も必要と思い取り始めた。それは概ね周りの人達に歓迎された。そこまでは、想定内だった。

予想外の事が起きたのは、それからだった。

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僕らは「写真を撮る」という行為そのものの効能について、完全に甘く見ていたのだ。今はただの情報共有のためのツールではなくなっている。どういうことだろう。皆で写真を撮れば撮るほどお年寄り達もスタッフも皆が元気になっていく。これには何か深い理由があると考え始めた。そしてある仮定にたどり着いた。写真が愛を増幅させている。つどい場と写真は、めちゃめちゃ相性がいい。もう少しこの考察の解像度を上げてみてみよう。

タブノキの写真はスタッフがそれぞれの携帯で撮影し、毎日オンライン上の共有アルバムでお互いに一日の終わりにアップしあい、眺めほっこりしている。あの人こんな表情をしている、こんなことしていたんだ、いいな行きたかったな、、うわ!この写真の光やば!よく撮ったなこの瞬間。。!と。

福祉の用語には、エンパワメント(強み探し)、アドボカシー(代弁)、アセスメント(情報抽出)などの専門用語が数多くあるがどれも入れ物であって中身を表す言葉ではない。その中身が、僕らにとってはこのほっこりとした一日の終わりの瞬間に集約されている。その人が輝く瞬間に遭遇し、目の当たりにする、と言う行為そのものがエンパワメントでありアドボカシーであり、多くの視点から支点を得ることによる自立支援になりうるのだ。

ちなみにこの自立支援という言葉も僕は偉そうであまり好きではない。僕自身全っ然自立できていないので。

そしてもう一つ。スタッフは写真を撮る行為を通して、媒介となる自分に喜びを見出す。介護の介は媒介の介。心の師である三好春樹先生は、「考える杖になろうぜ」と介護職に呼び掛けている。僕らは心の在り方として、その人が輝く瞬間を共に喜び合い、考える杖となる事に喜びを感じる仕事に取り組んでいるので、この写真を撮るという行為と介護とがほぼ丸かぶりなのである。

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さらに。僕らが毎日撮りためた写真は、SNSで発信を続けることで、まるで見ている方々も巻き込んでの集合体、小さく開かれた家、を実現している。

外の目が入ることでケアの質を保てるメリットもあるが、そのような消極的な理由ではなく、もっといい写真を撮るためにもっといい時間を過ごそうとするスタッフの意識の高さが正しく評価され、フィードバックを受けることでスタッフ自身の自己肯定感も爆上がりするのだ。

介護の仕事はとかくフィードバックを受けにくく孤立しやすい。僕らはここでも決して独りではない、という感覚を得るとともに、見ている方達もまた自分達に共感してくれる全国の仲間と認識が変化していった。

写真は鏡ではなく窓。

そして質感を持った作品でもあり、その価値は計り知れない。つどい場をやりたいというすべての人に伝えたい。ただの記録ではない、こころからその表情、素敵だなあと思う写真を一枚でも多く撮り、みんなに見せてもいいという許可をもらい発信すべきだと思う。この流れがやがて世界を愛で動かす原動力になると、本気で感じている。

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■ その7 主語はだれか。

僕はつどい場を始めるとき、その1の「ど真ん中の一行」を絞り出す過程で「共に暮らしやすい地域をつくる」とし、意図的に主語を僕、から僕ら、に変えた。

しかし実際は、意識がすぐに変わるわけではなかった。変わるわけがなかった。周りの「分からず屋達」をひっくり返さなければ、と意気込んでいた。

日々を丁寧に紡ぎ発信を続け周りの方から温かい眼差しで応援の声を受け続けるうちに、僕の中で次第に変化するものがあった。なぜこんなにも優しくしてくれるのだろう?という思いから、自分の傲慢さを思い知ったのだ。

仮想敵と思い込んでいたものは、実は全部自分が作り出した影だったのだ。そのことに気が付いた時、僕の周りからどんどん敵がいなくなっていった。

「僕」が「僕ら」に変わるとき、まるで違う景色が見えた。

この変化こそ、地域のつどい場を始めた本当の目的だったのではないか、とさえ思えた。自分の命がとても小さく、人間と言う生き物がとてつもなく大きく感じ始めたのだ。それは決して悲観的な感覚ではなく、没個性的なわけでもなく、ただそうなんだと受け止める感覚。これまたとりとめのない話なのだけど、自分自身が溶けていく感覚がここまでの流れの中で自然に生まれてきたのはとても不思議でもあり、必然でもあるように感じている。

主語は、僕ではなく、僕らがいい。でも僕と言う存在もとても大切。感じるままに生きていける環境は、きっと分断された世の中に必要とされていると心から思えるようになった。つどい場には僕、を僕ら、に変える力がある。

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■ その8 用事を作りそれぞれが目的を果たす場

地域のつどい場にはたくさんの機能がある。それぞれのつどい場に特色があっていいと思っている。僕らの場合、大切にしているのは「用事」だ。

用事には様々な種類がある。自分の用、人の用。趣味の用、仕事の用。楽しいこと、やらなきゃならないこと。どこかへいくこと、人に会うこと。黙々とする作業。年に一回だけの事。用がある、と言い訳して遊びに行くこと。

日本語にはこの用事と言う便利な言葉があった、と発酵研究家の小倉ヒラクさんが話されていた。ところが近代化と共に「趣味、仕事」と分断され、あいまいさを失ってしまった言葉ではないか、と。僕らはこの「あいまいさ」の中にこそ、つどい場の強みや意義みたいなものがぎっちり詰まっている気がしてならない。

人は目的なくつどい場に集まったりしないが、理由や目的なんて実はすごくあいまいで不確かなものだと思う。一番確かなものは、その場にいても大丈夫と思える安心感。そしてその居心地の良い場所には「ありがとう」と言ってもらえる関係性の輪が広がっているかどうか。お互いに声を掛けあえる場は、どんな用事でもきっと成立する。

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仕事や趣味は、人生の中ですべて手離してしまう瞬間があるかもしれない。でも「用事」だけは、最期のその日まで人が失うことのない、限りなく「尊厳」に近い言葉だと思う。

いかにして多様な用事を掘り起こし、地域の中で連綿と続いてきた暮らしの中の文化にアクセスできるのかで、日々の充実感がまるで変ってくると感じている。文化を継承する、ということは一過性のイベントをやるだけではなく日々の積み重ねの中にこそ、また日常の他愛のない会話の中にこそより多く含まれていると感じている。そしてそれは大それた決意や行動を伴わなかったとしても成立する。小さな小さな積み重ねが幸せの連鎖を呼ぶ。

僕の大好きな筑波の田中のおじさんはこう教えてくれた。「人が生きていくのに社交性はいらないのね。社会性があれば」と。なるほどと思った。僕には社交性が決定的に欠けている。それでも僕らの大切にしている「用事中心」の生活では、必ずしも「笑顔」や「協調性」は必要とされない。でも、その人が用事を持ち、それをこなしながら輝く瞬間、それを写真に収めれば人が見ると「楽しそう」と感じるのだ。全く笑っていなかったとしても。用事にはそれだけその人を「社会的」にエンパワメントする力がある。

ここまで書いてきた「写真」「用事」「つどい場」の相性の良さを、感じて頂けただろうか。僕らが何となくたどり着いたやり方は、たまたま数ある方法のうちのひとつだったに過ぎないと思う。いろんな場所に合わせたやり方で、つどい場のグルーヴが生まれるなら、それはきっと内容が何であっても楽しいと思う。

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■ その9 見えてきた課題

ここまでの流れの中で、発信することと自己肯定感を高めていく流れがつどい場に勢いをつけることを書いてきた。しかしSNS上で発信していく中で、当然のことながら触れてはいけないような事や、「炎上案件」と言うものが存在している。僕らはあえてプラスの発信に特化し続けてきたけれど、内情として課題は山積みだし、未解決な問題も数多く一寸先は闇状態が続いている。決して順風満帆とは言い難い。

どんな事業でもそうだと思うけど、始めるより続けるほうがずっと難しい。

そして長く続けているということは、それだけでどでかい価値を持っている。真っ直ぐに立ち続けることなんてできない。下を向く時も膝をつく時も転んでしまうことだってある。それでも何度でも立ち上がってチャレンジし続ける意思を持ち続けること。 どれだけ吹っ飛ばされそうになっても、ド真ん中の一行を手離さずに握り続けていること。

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一日一日が宝物であると同時に勝負だとも思っている。僕らは誰もが愛を届けるために生まれてきたのだ。奪い合い、憎みあうだけの人生だったらこの世に生まれた意味を失ってしまう。外から見るよりずっとギリギリのところで耐えていることもある。

文化とは圧倒的に持たざる者の手によって形成されるものだと思う。元々持ってる人は手に入れるための痛みも工夫も努力も知らない。持たざる者は、ない中で何とかしようと学び助け合い生き残るために必死だ。手に入れた途端、残念な感じになってしまう事もある。僕らはいつだって「文化的」でありたいと思っている。

具体的にハード面での限界も感じている。この家はみんなの家だけど、介護保険上緊急時の宿泊しかできないスペックだ。赤ちゃんからお年寄りまで共に過ごす居場所である以上、最期の瞬間をどこで迎えるのか、と言う課題を命題として抱えている。僕らには次なる「シェルター」が必要だ。シェルターは何の制度も使わない、「ただの家」でありたいと考えている。シェアハウスの原型。まだ具体的な形は見えていないけれど、井戸端げんきさんの「かっぱ庵」がひとつの道しるべと思っている。タブノキに歩いて通える範囲で、と考えている。

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そして形を変え、規模が大きくなったとしても足ることを知ること。目の前の一人と向き合い続けること。自分達がたくさんの方達の優しさでできていることを忘れず、履き違えたりしないこと。どこまでも謙虚であり続けること。

タスク曼荼羅の中では、大波小波に飲まれそうになっても挫けない、などという目標はない。当たり前すぎて目標にならない。でも一つ一つのミッションをこなす事よりもずっと負荷がかかるのがこちらなのかもしれない。

僕らはつどい場を始めて、心から良かったと思っている。

自分たちの為だけではない、みんなの居場所を作るということは、それだけ負荷も高いけれど幸せなことだ。日々は目まぐるしく回り続け、冷静な思考を保てないほど混ぜこぜ状態。混沌とした中に安らぎと興奮が同居している。絶えず衝突し、笑いと涙にあふれている。人生の中でこんなに濃い時間を過ごしたことはない、という状態になっている。

もう、後戻りはできないと思う。それでいいと思っている。丁寧に日々を紡ぎ続け今日を楽しみ続けたい。その日々が、いつか誰かの闇を照らす灯りになったら嬉しい。

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