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白鵬という横綱に、間垣という親方に、あなたは何を求めますか


 白鵬翔引退、間垣親方襲名については文章を認めたいと思いつつ、少し間が空いてしまった。結論から書くが、白鵬はまごうことなく最強の横綱であり、後世まで角史に伝えるべき存在であることは間違いない。そして今の角界は、最強の横綱だった彼への対応をもう少し見直してほしいということだ。

 一つ一つの数字や記録を比較することはしないが、白鵬の戦績はこれまでの「伝説の横綱」とされる双葉山や千代の富士らと遜色無いか、それ以上に突出したものである。さらに特筆すべきは、00年代後半から10年代初頭における、暴行問題や八百長問題に揺れ動く角界の「冬の時代」を支えた大横綱であるということだ。
 当時正直なところ、大相撲興行というものが立ち行かなくなってしまうのではないかと思ったこともある。日本相撲協会は分裂、対立しあう人間がいがみ合い、力士たちは行き場を失い、次第にファンの心も離れ……、という未来も容易に想像がついた。2004年のプロ野球界の、近鉄球団合併に端を発した球界再編の際も同様のことが脳裏に浮かんだが、比較してみると「傷の深さ」は04年の球界より、当時の角界のほうが危機的な状況にあったような気さえする。
 そうした角界の「屋台骨」となったのは、ほかならぬ一人横綱の白鵬だった。空前絶後の強さで通算記録や連勝記録を重ねた白鵬のライバルは眼前の力士ばかりではなく、過去の偉大な先人たちの記録との勝負でもあった。角界に落胆していた好角家たちを、相撲の歴史をめぐる過去への時空旅行へいざなってくれたのだ。
 危機を乗り越えた角界は、2016年の琴奨菊優勝あたりには完全に復権を果たし、メディアが相撲の話題に触れる機会も目に見えて増えていった。途中に日馬富士の騒動などもあったものの、天皇賜杯を辞退し、「技量審査場所」という興行としての本場所を取りやめた時期のような、先行きの見えない不安はすでに無かった。苦しい時期を乗り越えて本当に良かったと思っていたし、それは間違いなく白鵬が居たから耐えることが出来たのだと感じていた。


 そんな白鵬に対して、ある時期から「品格」という言葉を投げかけられるようになった。確かにカチアゲにも見える荒々しい取り口や、日馬富士復帰に向けた万歳三唱を観客に促すなど、疑問視すべき部分は散見された。しかし「品格」とはなんなのか。そこまで咎められるほどのことなのか。
 この言葉には、当時「品格」と前後して流行を見せた「女子力」と同じような、曖昧なものを感じざるを得なかった。どちらも一見するとそれらしい言葉に聞こえるが、具体的にはどういったものなのか。何をすればそれが備わっていることになるのか。きちんとこの単語を定義し、説明が出来た人は「女子力」と同様存在したのだろうか。
 さらには自分の理想とする社会的役割を他者に押し付け、その理想にそぐわない人間を糾弾する意味合いを含んでいたようにも聞こえた。具体的な説明をなされないまま、「品格(女子力)が欠けている」などと、一方的に評価を下すのは、ともすればハラスメントだ。しかも白鵬はモンゴル出身である。日本人すら曖昧に感じる言葉で外国から来た人間に、そうした言葉を押し付けてしまっていたのではないか。


 他人になにか求める前に、角界は率先してすべきことがあったように思う。先ほど「冬の時代」を脱したとは書いたが、角界から不祥事を完全に一掃出来たという意味ではない。この数年だけでも、力士以外にも親方衆や行事に至るまで、悪い意味で信じられない言動を度々目にした。そのたびに角界の一般社会との認識のずれを露呈させていた。
 なかでも私が心を痛めた話がある。エジプト出身でムスリムだった大砂嵐に対して、イスラム系テロ組織に揶揄するヤジを飛ばした不届き者がいたという。どんな相手対しても、決して言ってはいけない言葉だ。しかしながら相撲協会はこの件について全くアクションを起こさなかった。
 わずかなレイシズムも見逃してはならないこの時代に、「外部のファンのやったことなのでわからない」では済まされない。Jリーグの浦和レッズの外国人排斥横断幕の件などと同様に、発言者を特定し、出禁などを含めた処分、再発防止策を講じるべきだったはずである。



 他人に自省を促す前に自分たちはどうなのか。白鵬が間垣を襲名するにあたって、「親方として言動に気を付ける」という誓約書のようなものを書かせたというが、悲しいを通り越して情けない気持ちになった。もはや「見せしめ」というか、「自分より強いやつが、外国から来たちょっとヤンチャなヤツなのが腹立つ」というように思えたからだ。横綱の「品格」と言うのなら、伝統を継承させる人間として、持つべきものがあるのではないだろうか。
 


 少々心の晴れない文章に終始してしまったが、白鵬の相撲人生だって逆境からの始まりだったことを考えれば、現状だってきっと跳ね返せると信じたい。2000年に6人のモンゴル人少年力士とセレクションのような形で大阪に来日した、のちの白鵬たるムンフバト・ダヴァジャルガル少年だが、小柄で色白だった彼は、一向に受け入れ先の部屋が決まらない「売れ残り」の状態からの相撲人生を始めた。しかも横綱経験者としては珍しい、序の口での負け越しも経験している。
 大砂嵐への心無いヤジを紹介したが、2017年の11月場所での白鵬の土俵入りのあとに、観客席の少年が発した「はくほーぅ!にっぽんいちぃ~!」という歓声が場内に響き渡った光景を覚えている。日本一の横綱だった男はきっと、親方としても日本一になるはずだ。そう信じている好角家が、自分だけとは思えない。

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