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習う事・失う事

我が子と一緒にいけばなを習ってみました。

興味ないかも!?と思いながらも集団の中で母(私)がフォロー出来そうなので行ってみましたが、案外乗り気で嬉しかったです。

花鋏の使い方もままならないし、いわゆるお花の教科書に描いてある花型図の見方も子どもにはわからないし、そしてそれをフォローするのに言葉がなんとも足らず…。それでも楽しそうにババーーーッンとした作品が出来上がりました。

楽し気で堂々としてて、でも花型図とはかけ離れた作品。
けど誇らしげにしていた子ども。
…ん、ん、ん これを先生に見せていいのであろうか?
私が直す?意味ないよね?
…と思って、そのまま先生に見て頂きました。

「いいじゃなーい!堂々としてるわねー」との事。
「葉っぱをもう少し工夫して、もう一度見せてね!」と言われて、ガツガツと直した後、OKを頂いて終了いたしました。

いけばなの教科書も使っているし、それに沿った説明も先生はされているので(〇ももらえないしね…)、花型図通りにした方がいいのかなぁ~と思うのだけれど…
そう思うのはやめました。

参加する事に意義がある。

教科書もとりあえず持っていくけど、先生の説明の補足ももちろんするけど、もう自由にやればいいかなーと思ったりしています。

花が嫌いにならなければいいし、自由に表現できることがひとつでも増える事がまず重要。

表現…っていうか、生活の中に少しお花があってホッとするとか
そんな気持ちが持てればいいかな。

お花をいけたあとの表情がなんとも良かったのよ。

習う事で基礎みたいな事は得られるのだけれど、そうゆうふうに出来ない人もいる。
習ったらその自由さが失われてしまわないのか?

なににおいてもそんな事を思ったりします。
悩みどころでもあります。


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