見出し画像

九月八日とあとがきと伝えたいこと

生きてほしい どうか幸せになって


言葉にできないなら涙を流して

動けないならしゃがんでいいから


この声を聞いたあなたはもう

僕の一部

だから一緒に生きてほしい


僕はあなたの手を取ることも

あなたの身体を抱きしめることも

なにもできなくて


でも声でならあなたと繋がれるから


結び目はほどけないようにして


星はちゃんと星座になって


夏の終わりは台風が連れてくるから


無責任な僕が頑張りすぎたあなたに結ぶの

間違った世界と壊れた僕ら


あなたがいるから 僕は生きることにする

僕がいるから あなたも生きよう

だからどうか ともに幸せを結ぼう

終わりの見えない旅路を進もう


生きてほしい どうか幸せになって


〈あとがき〉
来年の春まで、活動を休止するといって半年がたちました。
「8月31日の夜に」のハッシュタグを見て、私は、去年の今頃のことを思い出し、このハッシュタグを使った台本を作ったことも思い出しました。私は何もできない。死にたい、消えたい、つらい、苦しい……そんな気持ちに寄り添えない。でも書くことでなら、誰かの心に、何か響くものを残せるかもしれない。そう考えていてもたってもいられなくなりました。でも何を書けばいいのか、どう書けばいいのか、悩みました。死なないで、逃げていいよ、そんな言葉も無責任に感じられて仕方なかった。

けれど、cocommuには、声で届けてくれる人たちがいることに気付きました。
だからお願いします。
文では届けられない思いや気持ちを、あなた自身の、あなたにしかできないそのこえで、届けてほしいのです。

そして、もしよければ、あなたが「#8月31日の夜に」で感じたこと、思ったことを、こえのあとがきとして、残してほしいなと思います。

cocommuでの台本を出しました。迷ったけれど、でも出した方が後悔しないなと思いました。

私もこの半年で、多くのことを感じ、学び、気づきを得ました。自分のことをよく知ったし、よくわからないところがわかったことにも気づきました。死にたくなる夜もあったし、涙が止まらず、何も食べられなくなるくらいつらい時もありました。でも、私は私を諦めることができなかった。どうしても、まだやれるはずだと自分を信じずにはいられませんでした。それは、私の強さであり、弱さでもあります。そのことに気付けた今の私を、誇りに思うことがいつか来るといいなと思っています。今はどうしようもなく、考えがまとまらないけれど。

今死にたいと思っている人へ。
生きてください。私の言葉が頼りないことも、ネットのつながりなど信じられないこともあるのもわかっているけれど、言わずにはいられないんです。みんな、そういうきれいごとを言う人は、きれいごとを言わずにはいられないんです。だって自分も十分に傷ついたから。死にたいと思った夜があるから。リストカット、オーバードーズ、いじめられている、虐待されている、自分が嫌いだ、劣等感、誰にも愛されていない。その気持ちを押し込めたまま消えてしまわないでほしい。あなたに生きていてほしい。私も頑張るから。死にたいと、消えたいと思っても、自分を信じてみるから、だから、あなたも少しだけ信じてほしい。
辛い時は休んで。学校に行かない選択は逃げじゃない。辛くて苦しくて、泣きたくても泣けない時は、しゃがみこんでいいんだよ。

そしてその苦しみは、痛みは、あなただけのものだから。誰が何と言おうと関係ない。だから私の言葉を信じなくてもいい。でも私の望みは、あなたに生きてもらうこと。幸せに、なってもらうこと。そのために私はいまを生きるよ。